聖徳太子傳註之掲示板

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-日本神道無秘密学党結社「糺すの社」烏合衆 禊祓 鎮魂帰神 プロジェクト「メサイア」- 賀茂皇太神宮神詠 慈悲の眼に憎しと思ふことぞなき、咎有る者はなほ哀憐れにて
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真典・先代旧事本紀の研究「聖徳太子と日本神道」日本文化の基礎 - 神斎 大和

2023/01/01 (Sun) 17:22:36

■お知らせ!

真典・先代旧事本紀の研究「聖徳太子と日本神道」日本文化の基礎
著者、神斎 大和(かみつき やまと)(ペンネーム)

紆余曲折を経て、アマゾンのキンドル(電子書籍)にて遂に発売!!!


①真典・先代旧事本紀の研究「聖徳太子と日本神道」日本文化の基礎 上巻、聖徳太子篇、価格500円 498ページ

②真典・先代旧事本紀の研究「聖徳太子と日本神道」日本文化の基礎 下巻、日本神道篇、価格1000円 2656ページ

アマゾン公式ホームページ https://www.amazon.co.jp/ref=nav_logo にアクセス、Kindleストアを選択し、上記の本のタイトルを検索してください。


この電子書籍は、Kindle専用端末、スマホ、タブレット、パソコンで閲覧できます。

それぞれのビューアー(無料)をダウンロードしてご覧ください。

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■kindie(電子書籍)本の支払い方法には、五種類あります。


①クレジットカード
②Amazonギフト券
③Amazonポイント
④携帯決済(ドコモ・au・ソフトバンク)
⓹後払い決済サービスPaidy

(詳しくは、https://www.excite.co.jp/news/article/ExApptopi_339763/

簡単なのが、①と②です。当方は、コンビニで購入できる②のアマゾンギフト券「カードタイプ」(バリアブル)を推奨します。
レジにて「バリアブル(金額指定)」で「1500円」を指定、現金でお支払いした後、自分のアマゾン・アカウントに1500円分をチャージします。


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Re: 真典・先代旧事本紀の研究「聖徳太子と日本神道」日本文化の基礎 - 神斎 大和

2023/02/18 (Sat) 03:13:11

書籍の拡大・縮小自在のスマホ版ビューアを推奨します。

聖徳太子の父方は、秦氏系、母方は、鴨族の海部氏系だった! - トバル

2022/04/26 (Tue) 03:58:15

渡来人「秦氏」が創建した京都の松尾大社の境外摂社、月読神社には、月読命を崇敬した聖徳太子を祀る聖徳太子社がある。聖徳太子が編纂した先代旧事本紀には、月豊受大神=月読命とあり、豊受大神を祀る丹後の籠神社の奥宮、眞名井神社に於ても、豊受大神は、月の神でもあると傳えられている。祀るのは、鴨族(烏族とも)の海部氏。私は、聖徳太子の父方は、秦氏系の血筋で、母方は、鴨族の海部氏の血筋とみる。

詳しくは、著書、聖徳太子と日本神道ー日本文化の基礎ーを参照してほしい。

先代旧事本紀(大成経)の造化三神 - トバル

2022/04/25 (Mon) 22:14:46

先代旧事本紀(大成経)の秘伝書によれば、以下の先代旧事本紀(大成経)「神代本紀」の原初三神が旧事紀における至高の超越神(過神(こやかみ))「造化三神」であるという。



①天祖(あめのみをや)、天讓日天先霧地讓月地先霧皇尊(あまのゆづるひあまのさぎりくにのづるきくにのさぎりのすめらみこと)(別名、常世常皇尊(とこよのとこすめのみこと))


②天尊(あめのみこと)、大甘美葦芽彦舅尊(おほうましあしかびひこちのみこと)(別名、天御始化尊(あまのみはじめなりのみこと))

 
③天皇(あめのすめらき)、天常立尊(あまのとこたちのみこと)(別名、天魂尊(あめのみたまのみこと))



本号と別号をみれば、これは、聖書における三神、御父(天之御親)、御子(天之御言)、聖霊(天之御魂)であることが分かる。


この神号を以てすれば、古代伊雑宮の正殿三社のご祭神は、向かって中に①天祖、向かって右に②天尊、向かって左に③天皇の対応となる。

古事記の造化三神「相撲」 - トバル

2022/04/26 (Tue) 03:40:24

相撲の行司は、天之御中主神、
東の力士は、高御産巣日神、
西の力士は、神産巣日神に対応する。

力士が三回手刀を切る作法は、この造化三神を拝する神拝作法である。

相撲は、造化三神の取り組み=万物造化を再現、体現する造化神事で、天下太平、国家安泰、五穀豊穣を祈念する。


天之御中主神は、分霊(わけみたま)を生成し、高御産巣日神は、万物を創造し、神産巣日神は、万物に分霊を封入する役割を持つ。

天之御中主神は、父親、高御産巣日神は、長男、神産巣日神は、次男であるという。造化三神は、男性。故に女性は土俵には入れないのである。

メシアでは無いのですが… - 拾世主 URL

2021/10/16 (Sat) 23:47:10

https://note.com/10104623/n/n776da706cb66
偶然の一致も2、3個くらいなら笑えましたがヾ(・ω・`;))ノぁゎゎ
家族や友達に話してもこじつけで頭がおかしくなったと言われます( ノ∀`)タハー
誕生日12月24日より10月10日のほうがしっくりくる気がしませんか?

twitter - トバル

2021/08/18 (Wed) 05:20:34


(聖徳太子没後1400年)

真典・先代旧事本紀の研究

 聖徳太子と日本神道

 ー日本文化の基礎ー


の著者名(ペンネーム)、神斎 大和(かみつき やまと)としてのTwitterです。


■ https://twitter.com/XhqvcSkEDG5ESGI

Re: twitter - トバル

2021/09/03 (Fri) 05:06:26

短文ですが、ツイッターの方でも、時事ネタは、勿論、新情報を公開しています。

危険!新型コロナワクチン - トバル

2021/06/19 (Sat) 23:19:45

■かねしろ♥クリニック

https://www.kaneshiro-honest-clinic.com/

https://www.kaneshiro-honest-clinic.com/2021/02/15/


■飛鳥昭雄氏の情報

https://twitter.com/askaakiox

Re: 危険!新型コロナワクチン - トバル

2021/06/22 (Tue) 06:28:24

6月24日、参議院議員会館にて『新型コロナワクチン接種中止』の嘆願書提出・記者会見が行われます。

医師達からの警告です。真剣に耳をかたむけましょう。

https://www.kaneshiro-honest-clinic.com/2021/06/21/624

Re: Re: 危険!新型コロナワクチン - トバル

2021/06/25 (Fri) 08:53:43


YouTube

https://youtu.be/U3BZ0CTgGto

録画配信

Re: Re: Re: 危険!新型コロナワクチン - トバル

2021/06/26 (Sat) 16:00:31

削除されたようですね(〃 ̄ー ̄〃)
                 

Re: Re: Re: Re: 危険!新型コロナワクチン - トバル

2021/08/29 (Sun) 22:07:57

アストラゼネカ製とモデルナ製の新型コロナワクチン中に「異物」が混入していたことが判明しましたね。これだけとっても新型コロナワクチン接種がいかに危険なことか分かります。接種は任意ですが、やはり、お勧めはできません。

マタイによる福音書に起源を持つ「蘇民将来」伝説! - トバル

2021/08/23 (Mon) 07:53:56

第10章

1 そこで、イエスは十二弟子でしを呼よび寄よせて、汚けがれた霊れいを追おい出だし、あらゆる病気びょうき、あらゆるわずらいをいやす権威けんいをお授さづけになった。

2 十二使徒しとの名なは、次つぎのとおりである。まずペテロと呼よばれたシモンとその兄弟きょうだいアンデレ、それからゼベダイの子こヤコブとその兄弟きょうだいヨハネ、

3 ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人しゅぜいにんマタイ、アルパヨの子こヤコブとタダイ、

4 熱心ねっしん党とうのシモンとイスカリオテのユダ。このユダはイエスを裏切うらぎった者ものである。

5 イエスはこの十二人にんをつかわすに当あたり、彼かれらに命めいじて言いわれた、「異邦人いほうじんの道みちに行いくな。またサマリヤ人びとの町まちにはいるな。

6 むしろ、イスラエルの家いえの失うしなわれた羊ひつじのところに行いけ。

7 行いって、『天国てんごくが近ちかづいた』と宣のべ伝つたえよ。

8 病人びょうにんをいやし、死人しにんをよみがえらせ、らい病人びょうにんをきよめ、悪霊あくれいを追おい出だせ。ただで受うけたのだから、ただで与あたえるがよい。

9 財布さいふの中なかに金きん、銀ぎんまたは銭ぜにを入いれて行いくな。

10 旅行りょこうのための袋ふくろも、二枚まいの下着したぎも、くつも、つえも持もって行いくな。働はたらき人びとがその食物しょくもつを得えるのは当然とうぜんである。

11 どの町まち、どの村むらにはいっても、その中なかでだれがふさわしい人ひとか、たずね出だして、立たち去さるまではその人ひとのところにとどまっておれ。

12 その家いえにはいったなら、平安へいあんを祈いのってあげなさい。

13 もし平安へいあんを受うけるにふさわしい家いえであれば、あなたがたの祈いのる平安へいあんはその家いえに来くるであろう。もしふさわしくなければ、その平安へいあんはあなたがたに帰かえって来くるであろう。

14 もしあなたがたを迎むかえもせず、またあなたがたの言葉ことばを聞ききもしない人ひとがあれば、その家いえや町まちを立たち去さる時ときに、足あしのちりを払はらい落おとしなさい。

15 あなたがたによく言いっておく。さばきの日ひには、ソドム、ゴモラの地ちの方ほうが、その町まちよりは耐たえやすいであろう

聖書と末日聖典他 - トバル

2020/11/03 (Tue) 16:30:37

以下の末日聖徒イエス・キリスト教会の公式サイトで聖書と末日聖典他がすべて無料で閲覧できます。


https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn

・・・ - トバル

2020/10/23 (Fri) 00:40:37

10月某日、アメリカで、ある重要組織の偉大な重要人物が逝去されました。

もう少し長生きしてもらいたいと願っていたのですが・・・。


謹んでお悔やみ申し上げます。

表の天皇と裏の天皇 - トバル

2020/08/25 (Tue) 12:05:38

最近、飛鳥昭雄氏によって拡散された裏天皇について第三者による(相当酷い)デマが飛び交っているようなので裏天皇の真傳を今ここに明かしておきたい。



■表の天皇と裏の天皇


この世は、陰と陽。神と魔、光と闇、火と水、霊と身、男と女、善と悪・・・。


陽神、伊弉諾尊、陰神、伊弉冉尊、二柱による国生み(神話)にて造られたる我が国にも表社会と裏社会が存在し、各々に支配者である「天皇」(大王)が存在する、表の天皇と裏の天皇である。表の天皇とは、我々一般人が住む世界である現世(うつしよ)を統治する現津神(あきつかみ)であらせられる今上天皇を指す。裏の天皇とは、我々一般人が住む世界とは別の世界である幽世(かくりよ)を統治する幽冥神(かくりがみ)であらせられる牛頭天皇を指す。この牛頭天皇は、三面一体の尊像に示されるが如く、三人一組の大王で、俗に三羽烏と称される。熊野三社の烏文字が描かれた牛王宝印(「熊野牛王神符」、「烏牛王」、「御烏さん」)は、この牛頭天皇=三羽烏の存在を暗に示し傳えたものである。


■牛頭天皇の使命


牛頭天皇は、我が国最古の王朝の大王であり、国譲りの際、天照大御神から幽世に転入して陰裏から現世の天皇を守護補佐するように命じられた。牛頭天皇一族は、烏傳神道を継承し、其の神道系陰陽道に基づく神道祭祀(祭事)を司る神道祭司系陰陽師(賀茂(神)の陰陽師)「神祓(かんぱら)」を基本職とする。ゆえに、牛頭天皇一族の拠点である京都の賀茂皇太神宮では、日本の神と祭は、当社の神と祭を指すと云い伝え、中務省陰陽寮とは別の陰陽寮「賀茂社陰陽寮」が存在したのである。ちなみに、神祓には、他にも別名として式神、職神、式鬼神、式王子、十二神将等がある。(十二天狗も然り。)陰陽師、安倍晴明の伝記に登場する烏や天狗、式神は、皆、この牛頭天皇、及び、その一族を指す。さらにいえば、賀茂の陰陽師の読み方の一つ「おんみょうじ」とは、彼ら幽世を統治する幽冥神を意味する穏名字=穏名師のことである。ちなみに、神道系陰陽道における闇の呪術、丑の刻参りにおける丑の刻(丑三)には、牛三、即ち、牛頭天皇=三羽烏の暗号が隠されている。神社の御神木に五寸釘を打ち付ける藁人形は、頭に草冠を付けた高木神=日止形=天照大御神である。術者が身に着ける鏡が天照大御神のご神体である八咫鏡の象徴であることは言うまでもない。これは、陰=闇の陰陽道の呪術だが、陽=光の陰陽道の呪術もある。照り雛=照る照る坊主である。あれは、天照大御神の御隠れ=死と御目出=復活を再現する呪術である。ゆえに、天晴れとなるまえには、目を入れずに日差しに吊るし、天晴れとなって初めて目を入れる=魂入れするのである。

牛頭天皇は、この御神木に釘で磔にされて一度死に復活した皇祖、天照大御神の指示の下に我が国を守護先導する「金鵄八咫烏」の冠位号を持つ。是非、この事実を知って、天照大御神の再臨の日に備えていただきたい。



■神道系陰陽道「カバラ」


牛頭天皇一族は、神道系陰陽道「カバラ」の術式を使用した呪術を駆使する権能を持っている。神道系陰陽道「カバラ」は、現世の天皇一族にも伝承されているが、これを神道秘伝「神秘」として集大成したのが、聖徳太子(厩戸皇子)である。太子は、この神秘をベースとして書物の先代旧事本記と口伝(秘伝)の先代旧事本記を編纂した。今ここでは、公開できないが、
今後出版予定の拙著「聖徳太子と日本神道ー日本文化の基礎ー」にて大公開する予定である。


もしかすると、学研のムーの三上丈晴編集長にお世話になるかもしれません。研究、執筆、編纂に約20年かけてきましたからね。並の人間には、扱えないですよ。この本は・・・。

有益なリンク紹介 - トバル

2020/08/23 (Sun) 06:30:42

サイエンス・エンターテイナー飛鳥昭雄公式サイト

http://www.akio-aska.com/


謎学研究家の三神たけるさん

https://twitter.com/mikami_takeru


国際政治学専門のMASAさん

https://twitter.com/pgjournal12


聖書学専門の忍さん

http://elbaal.web.fc2.com/

にゃんぱく宣言 - トバル

2020/04/23 (Thu) 13:02:04

日々の生活が大変。まったく。音声でコロナと聞くだけで耳が痛い。

Re: にゃんぱく宣言 - トバル

2020/08/23 (Sun) 06:18:51

聖徳太子傳註之連絡板が復活しました。

http://e.z-z.jp/?YHVH

令和となりて、、、 - トバル

2019/07/07 (Sun) 10:09:00

イエス-キリストに和訓漢字をあてはめる。         


命恵為(イエス)・木理救人(キリスト)

聖書の真実 - トバル

2019/02/23 (Sat) 13:32:03

ダーウィンの進化仮説発表以降、聖書を批判する人々は、創世記にエヴァを誘惑した蛇は、神が呪った後、這うものとなったと書いてある。だとすれば、神が呪う前に蛇は立って歩いていたとでもいうのか、この記述は現実的におかしいと指摘した。あの池上彰も同じことを指摘している。これに対して、聖書擁護派は、蛇には、元々足があったのではないかと反論している。しかしながら、証拠はないということになっている。ところがである!近年、中国の四川省で爪付きの足が生えた蛇が捕獲されたのである。ネットでも話題になっているので検索してみるといいだろう。ということはだ。蛇には、元々、爪付きの足が生えており、其の足で移動していた可能性がでてくる。そう、今、聖書の創世記にある蛇は神が呪ったために腹這いになったという記述が真実として甦ってくるのである。とまあ、今回は、こんな感じで、聖書の恐るべき一面を紹介させていただきました。

終末時代 - トバル

2018/12/20 (Thu) 03:26:26

来年は、現天皇退位、そして、新天皇即位。今年から始まった仁徳天皇陵の調査とも連動していそうですね。わざとらしいですが、皇室の本当の歴史が公表されるのかもしれません。

Re: 終末時代 - GG

2018/12/23 (Sun) 10:12:14

わざとらしいくらいの導きですよ。

世界大恐慌さえも演出する巨大な宗教団体 - さくら

2018/08/29 (Wed) 08:32:03

.
世界大恐慌さえも演出する巨大な宗教団体

http://3rd.geocities.jp/jcon_tline/02/n/1/9/2/8/n1928.html#1_02

http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p008.html#page99

この宗教団体の本質は底知れない。

(仮説を含みます)

( http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/01/p007.html )

世界の終り - トバル

2018/07/10 (Tue) 05:13:39

いや~幾多の災害、本当にきついですね。被災者の一人として疲れました。もはや、誰もが世界の終り=一つの区切りを認識し始めたのではないでしょうか。古代の日本の預言として「天皇は、三百六十代で終る」というのがあります。白川神祇伯王家や正統竹内神道の預言を鑑みれば、次の天皇(現皇太子徳仁親王様)が最後の三百六十代目に当たることになるのでしょうか。大成経や九鬼文書、竹内文書には、神武天皇以前の神々が天皇として記述されていますから、次の天皇が三百六十代目に当る可能性は、否定できません。今現在、この件について研究する余裕がないため、確定的なことは言えませんが、大体のことは認識しておくべきでしょう。即ち、世界の終り=一つの区切りについて、、、。

Re: 世界の終り - トバル

2018/08/14 (Tue) 17:19:12

下鴨神社で[光の祭]開催。光の存在が降臨する夜明けは、近いということか。

2回の『世界恐慌』は、『武市半平太(たけちはんぺいた)』に関連。 - さくら

2018/03/20 (Tue) 03:29:02

2回の『世界恐慌』は、『武市半平太(たけちはんぺいた)』に関連。

http://3rd.geocities.jp/jcon_tline/02/n/1/8/7/3/n1873_9_18J.html

http://book.geocities.jp/conspiracycalendar/02/d/09/0918.html#1873

1873年『世界恐慌』が起こる。

だが、1929年さらに大きな『世界大恐慌』が起こる。

それで、区別のため1873年の恐慌は『米国大不況』と呼ばれることになった。

しかし、両方の恐慌とも土佐藩の郷士『武市半平太』に関連している。

おそらく、『ドケチ、半分減った』の駄洒落だろう。

本当に腹黒い。

(個人的見解)

http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p001.html#page110
http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p004.html#page131
http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/01/p003.html#page36

日本三大王朝と裏天皇成立の大秘密 - トバル

2017/09/08 (Fri) 19:34:20


我が国の史書である、先代旧事本紀(異本複数有り。実は、記紀の原本「先代旧辞」もこの系統に属する。)、古事記、日本紀や其の他、古傳資料によれば、我が国には、三つの王朝が存在したということが記されている。おおまかに整理すると以下のようになる。

①出雲国―大和国を拠点とする地祇系スサノヲ―オホクニヌシ系王朝。通称、賀茂族。
②丹波国―大和国を拠点とする天神系ニギハヤヒ王朝。皇孫族。通称、海士族(海部族)。
③日向国―大和国を拠点とする天神系ニニギ系王朝。天孫族。現皇室。

まず、紀元前のある時代に、①の王朝が最初に成立、存在し、古代日本を統治した。次に②の皇孫族が紀元前のある時代に古代日本に渡来、①の王族と婚姻関係を結ぶことで、第二の王朝が成立し、紀元前~紀元後のある時代まで古代日本を統治した。次に紀元後のある時代に③の天孫族が古代日本に渡来、①と②の王朝と婚姻関係を結ぶことで、今に続く第三の王朝が成立した。即ち、①の王朝が最古の王朝であり、②と③の王と婚姻関係を結ぶにあたり、②と③に国の統治を明け渡す「国譲り」が行われたのである。が、ここで①の王朝は、②と③の王朝に対してある密約を交している。それは、①の王朝の王族と其の領民が「幽冥神(かくりがみ)」となって、幽冥事(かくりのこと)を司り、我が国を陰裏から守護するというものであった。この①の系統の幽冥神の大王のことを牛頭天皇(牛頭天王)というのである。牛頭天皇像は、三面一体の像として伝承されているが、これは、牛頭天皇が三人一組の大王であることを意味しており、一般的には、別名の三羽烏の呼称で知られている。熊野大社の牛王宝印は、この事実を今に傳えている。ちなみに、三羽烏には、他にも、金鵄(ヤタガラス)や大天狗、大烏という別名がある。①の王族、牛頭天皇は、幽冥事を司る幽冥神(無戸籍)として今も存在し、顕露事(あらはのこと)を司る露顕神(あらはのかみ)=現人神であらせられるニニギ系の天皇陛下を守護されている。さらにいえば、牛頭天皇の一族は、牛頭天皇と同じく無戸籍にして、其の名を王子(皇子)と呼ばれており、皇族と同じ位を持つ。牛頭天皇=泰山府君を祀る安倍一族の祖、安倍晴明は、この牛頭天皇の皇子の血筋で、安倍土御門家から伝授を受けたいざなぎ流陰陽道は、明治時代から、この王子(皇子)のことを式王子と呼んでいる。式王子は、別名、式神として知られるが、これは、王子(皇子)達の組織「十二神将(十二天将)」を指し、別名を小天狗、十二天狗、小烏ともいう。

そう、賀茂皇太神宮を拠点とする十二人からなる神道組織「ヤタガラス」とは、この式王子の組織のことである。

アルカイダ指導者ビンラディンは『世界大恐慌』1万0000日。 - さくら

2017/08/24 (Thu) 04:42:22

アルカイダ指導者ビンラディンは『世界大恐慌』1万0000日。

http://3rd.geocities.jp/jcon_tline/02/n/1/9/2/9/n1929_10_24J.html

http://book.geocities.jp/conspiracycalendar/02/d/03/0310.html#1957

http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p009.html#page107

ビンラディンの誕生日は、『世界大恐慌』1万0000周日記念日だった。

鹿取義隆は、ビンラディンと同じ誕生日。

『らでん蚊取り線香』の駄洒落だった。

(検証途中)

( http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/01/p008.html )

忍者の五遁の術は、原始キリスト教! - トバル

2017/03/31 (Fri) 12:37:15

太古の昔より、この日本国には、忍者が存在した。忍者を組織化した聖徳太子は、先代旧事本紀(大成経)に於て太古の忍者を「忍士」と記している。忍士の開祖は、ヤタガラスである。ヤタガラスは、別名を十二天狗と云い、其の実体は、イエス・キリストの十二使徒会である。天狗が授ける秘伝書「虎の巻」と忍者の秘伝書を虎の巻という両者の関係は、ここから来ているし、忍者の必須アイテムである十字手裏剣は、其のままイエス・キリストの十字架の象徴である。この他の様々な形状をした手裏剣類も其の実体は、ユダヤ・キリスト教神秘主義「カバラ」の生命の神木(セフィロトの木)を分解した象徴図形を現物化したものである。忍者の代表的な遁術「五遁」も実は、新約聖書のイエス・キリストの生涯を伝えたものである。まず、木遁の身代わりの術、これは、イエス・キリストが全人類の身代わりとして木製の十字架にかけられて死んだことを伝えたものである。だから、木の身代に十字手裏剣を刺す。次いで、土遁の地中隠れの術、これは、イエス・キリストが一度、死んで墓に埋葬され、復活したことを伝えたものである。次いで、水遁の水面歩行の術、水中潜りの術、これは。イエス・キリストが水面歩行したこと、そして、水中に潜る洗礼(水によるバプテスマ)を受けたことを伝えたものである。次いで、火遁の火術は、イエス・キリストが聖霊の火による鎮魂を受け、且つ、聖霊の火による様々な奇跡(神術)を行ったことを伝えたものである。次いで、金遁の金術も、イエス・キリストの十分の一の律法に関する金銭等の伝を今に伝えたものである。(カバラと錬金術の関係は、言うまでもない)そもそも、五遁の五行自体、ユダヤ教・キリスト教神秘主義「カバラ」の五元素と五つのセフィロト(五行)からきている。また、忍者は、九字を切るが、九字の秘伝は、十字である。

言うまでもなく、カバラに由来し、十字架に架けられたイエス・キリストを象徴するキリスト教徒の「十字切り」の所作(儀式)である。


今でも、陸上自衛隊の「中央情報隊」(防衛大臣直轄)と「中部方面情報隊」がヤタガラスの象徴とされる三本足の烏をシンボルマークにしている。江戸時代末期から明治時代にかけて忍者の一族(忍族(しのがら))は、全べて、解散したとされるが、さにあらず。

解散したという情報操作(大衆操作。思い込み)によって、忍族は、晴れて、自由にスパイできる諜報組織へと変貌を遂げた(昇化した)のである。戦前の旧日本軍や戦後の(現在の)陸上自衛隊の情報隊がヤタガラスをシンボルマークに掲げているのも決して偶然ではないのである!!!

自らを「明治大帝の生まれ変わり」と言う男 - うさぎ777

2016/12/03 (Sat) 08:20:56

自らを「明治大帝の生まれ変わり」と言う男

http://park.geocities.jp/j_con4/0204/p048.html#page311

信じていたのが、元パラグアイ大統領「ストロエスネル」だ。

( http://sky.geocities.jp/datepedia/02/update.html )

( http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/index.html )

( 個人的意見 )

中臣祓詞と天津祝詞之太祝詞事と天津祝詞之太祝詞 - トバル

2016/10/30 (Sun) 20:12:37

神道に於いて、人間が自分の身に犯す罪、咎、気枯れを祓う祝詞を中臣祓詞と云う。奏上体と宣命体の二種があるが、今は、神社伝承等から、奏上体が先に作成され、宣命体が後に作成されたとだけ伝えておく。さて、今回の本題は、中臣祓詞の中で言明される「天津祝詞之太祝詞事」についてである。昔から、この祝詞が実在するのか諸説紛糾してきた。私も神道を研究しだしてから、この祝詞に興味を持ってきた。そこで、まず、現在、入手出来る限りで、中臣氏の祖神である天之児屋根命の神伝(秘詞)と称する祝詞を集めてみた。其の中には、最古の飛鳥時代に記録されたものがあって、これが真伝であることは、明白であった。一目瞭然とはまさにこのことであった。何故なら、内容がすべて中臣祓詞と完全に一致していたのみならず、この秘伝継承者がこれが天津祝詞之太祝詞事であると明記していたからである。さらに、この秘伝継承者の先代のある人物は、ヤタガラスを師として仕えていたこともあって、これこそが、真伝であることは、間違い無いと分かったのである。では、実在した其の真伝の天津祝詞之太祝詞事なる祝詞は如何なるものなのか。残念ながら、今、其の全文を公開できない。これには、深い理由があるからである。今回は、其の深い理由のみを公開することにしたい。其の深い理由とは、この天津祝詞之太祝詞事は、人間に取り憑きて、罪を犯させ、気枯れをまき散らし、精神的、肉体的に人間を衰亡(死)に至らしめる恐怖の大王=悪霊の大王、、、、そう、あの堕天使ルシファーをイエス・キリスト直伝の儀式(術式)を通じて追い祓う、最強で危険な「悪魔祓」の祝詞そのものであるということである!!!人類(正天使)は、悪霊(堕天使)に取り憑かれて(魔がさし)罪を犯し、悪性に染まる。元の善性に復帰するには、洗礼、即ち、禊祓と鎮魂帰神の儀式を行う必要があるが、その前に、まず、この罪の根元である悪霊の大王とその権属である悪霊達を追い祓う必要がある。これが、天津祝詞之太祝詞事の真相である。そして、この悪魔祓の後に中臣祓の後半部分の「かくのらば」から始まる、禊祓の祝詞(儀式を含む)が展開する仕組みになっているのである。ちなみに、これは、秘中の秘伝だが、天津祝詞之太祝詞事の中では「天津祝詞之太祝詞」なる、さらなる高みの秘呪(神呪)を発言して、悪霊を呪詛して、さらに悪霊を追い祓う段がある。これこそ、最強の祝詞で、神道祭司族や大祭司イエス・キリストの大神権=メルキゼデク大神権、アロン神権を持つ人間が発言して効力が発揮される。悪霊が吹っ飛ぶのだ!!!!!!!!

無題 - カラス

2016/06/24 (Fri) 21:53:50

 紀元前の日本には、イスラエルから古代アメリカに移住しマヤ文明などを築いていた民がアメリカから渡来して移住しました。
   
 その後、紀元前に秦からユダヤ教徒の徐福たちが集団で西日本に渡来してました。
 邪馬台国の文字は、当時の中国人が付けた文字で発音でいえば「ヤマト国」です。
 「ヤ」はヘブル語の「ヤハウェ(エホバ)」の短縮形で、新約時代に使用されていたアラム語で「ゥマット」は人民の意味があります。
 したがって「ヤマト」とは「ヤハウェの民」です。
 
 その後、紀元後の3世紀末、朝鮮半島を経由して、原始キリスト教徒集団が渡来しました。
 初代天皇陛下は、原始キリスト教徒集団の長です。
  
 イエス・キリストは、仏教の観音菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩であり、神道の高御産巣日神、豊受大神、天照大神です。
  
 漢字は、中国から日本に渡来した徐福たちユダヤ教徒が作った文字で、後に渡来した原始キリスト教徒が作りました。
 だからこそ、漢字に聖書の故事が含まれています。
  
 あなたの知らない驚きの極秘情報があります。
  
 日本人のルーツと神道、仏教の真実
 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1025769358.html
    
 天照大神の正体
 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1058533143.html 

Re: - 捨篠

2016/08/31 (Wed) 00:03:53

紀元後の3世紀末の初代天皇陛下は原始キリスト教徒集団の長、  だとすると、時系列が変になります。

そもそも原始キリスト教徒集団とは、イエスの直系弟子が広めたイエスの師匠だった洗礼者ヨハネの教えを広めた集団ではないでしょうか?

イエスは神では無く八百万の神の教えを広めた反ユダヤ教徒です。 イエスは神として後世で自分が崇められている事を望んでいるのか分かりませんが、自分が神であると説いてユダヤ教徒によって磔刑されました。

貴方の言う紀元前紀元後の時系列は古代日本の時系列とは合わないよ。

学研「ムー」の三上丈晴編集長をよく見かける件 - トバル

2015/12/28 (Mon) 01:19:39

最近、地上波やBS等のTV番組に学研「ムー」の三上丈晴編集長が多数出演してますね!出演情報の確認無しでこれほど見かけるということは、私が知る以上に出演している可能性あり。出演情報とか前もってリークしてないのかな。そうそう、ムーと言えば、来年1月9日発売の学研「ムー」2月号(雑誌)は、絶対買いですぞ!特に付録に注目!!!

謹賀新年 - トバル

2016/01/01 (Fri) 23:14:15

新年、明けましてお目出とうございます。

ムー2月号の「大祭司組織「ヤタガラス」は存在しない」の間違い - トバル

2016/01/09 (Sat) 01:07:19

ムー2月号の中に天歳真文なる人物が「祭司組織「ヤタガラス」は存在しない」と述べる記事があります。これは、飛鳥昭雄氏の著作に対して異議を唱えたものですが、残念ながら、全くの間違いですね。下にある、宮中祭祀の斎元道を司る大祭司としてのヤタガラスの実在を物語る資料をご覧ください。それに、藤原不比等は、鴨氏とも婚姻関係を結んでいてヤタガラスの支配下にあったことは明白な事実なのですが。そんなことも知らん人間が、あんなへぼ記事を書いているわけです。みなさん、新年早々騙されないように注意しましょう。

Re: 学研「ムー」の三上丈晴編集長をよく見かける件 - 捨篠

2016/01/09 (Sat) 22:19:01

明けましておめでとうございます。
ぐっちぃ教団を退団しました。
なんだか最近は飛鳥昭雄氏の言う事が怪しくなっています。鵜呑みすることなく自己で判断と検証が大事だと思います。

祖父の誕生日に自民党総裁に就任した男 - うさぎ777

2015/12/13 (Sun) 11:32:05

祖父の誕生日に自民党総裁に就任した男

http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p008.html#page180

吉田茂の子孫の「麻生太郎」のことだ。

( http://sky.geocities.jp/datepedia/02/update.html )

( http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0102/p004.html )

( 個人的意見 )

斎元道 - トバル

2015/07/22 (Wed) 11:08:22

斎元道とは?

大成経序

齋元(いつきみもと)は、是(こ)れ、吾(あ)が國(くに)の別道(ことわきのみち)にして、異國(あたしくに)に倶(ともなら)なくの正道(まさみち)なり。

齋元(いつきみもと)は、別(ことわ)けて、三璽(みしるし)と三特(みのり)を謂(と)く。

齋元(いつきみもと)は、又(また)、王道(きみのみち)の事極(ことわざのみち)、神道(かみのみち)は、此(こ)の中(うち)に在(あ)り。

茲(こ)れ、天太魂命(あまのふとたまのみこと)の傳(つた)ふる所(ところ)なり。

(三璽とは、①日神の神体、八咫鏡と、②日神の神心、八坂玉と、③日神の神気、十握剣の三種の神器を指す。)

(三特とは、①日霊の日徳、明徳=智徳、②温徳=仁徳、③烈徳=勇徳の三種の日徳を指す。)

依田貞鎮(釈)

斎元道とは、三部の一にして、神国の別道なり。斎は、潔なり。万物潔斎の義、斎壮清正にして、神天の道なり。又、限なり。断なり。契りて、其の斎を取る。是れ、即ち、他国の道に斉しからざるなり。元は、始なり。又、善の長なり。此の斎元道は、吾国の別道、潔斎の元始にして、異国に異なる霊法なり。故に斎元と云ふ。


斎元道(いつきみもとのみち)とは、天照大御神を主祭神とする我が国、独自、別在の神祭=神政、即ち、皇道のことである。

斎元道は、簡単に述べると、天照大御神の皇胤であられる天皇陛下、及び、天照大御神の荒魂であられる金鵄=八咫烏(天日鷲命)、及び、其の一族の賀茂、忌部が「物忌潔斎」を元始として、天照大御神の御神体である八咫鏡と、御神心である八坂玉と、御神気である十握剣を七枝の真榊に架けて天照大御神を祀るを以て神祭とし、天下太平(泰平)、国家安泰、五穀豊穣を斎き願ぎ、其の天照大御神の三種の神器の三種の日徳である明徳=智徳、温徳=仁徳、烈徳=勇徳を以て日本国民(やまとのくにのあをひとぐさ)を統べ治めるを神政とする皇道の事である。

これを、、、、、まつりごと、、、、、というのだ!!!

神道奥義を伝える華道では、これを「生け花」(活け花)とも云う。

華道奥義、七枝の生花(活花)とは、実は、天照大御神の御神体が架けられた七枝の真榊のことなのだ!!!

当然、生け活けは、弥栄の意、逝けばな(死ぬ)にも掛かる。要は、死と復活の意味が込められている。

其の御正体は、生命の神木=十字架に架けられた死と復活の日神、イエス・キリスト、其のお方である。


今回、最後に日本、そして、世界を揺るがす神道奥義を公開しておく。


日神、天照大御神の鏡徳=明徳=智徳、玉徳=温徳=仁徳、剣徳=烈徳=勇徳の三種の神器は、フリーメーソンのスローガンとして知られる平等、博愛、自由の三徳であるという事実である!!!

これは、日本の天皇陛下が全人類の父祖であるイザナキノミコト(アダム)から続く真の古代フリーメーソンであることを意味する。其の秘伝秘儀を大成したのが、ご存じ、日本のメーソンであり、大工中興の祖である聖徳太子であったのだ。

それを証明する神書が斎元道の教義が記された「日本紀」(日本書記)で、其の奥義書が京都の賀茂皇太神宮に眠っている、、、。

いずれ、公開する!!!


今回は、ここまで!!!

Re: 斎元道 - ぐっちぃ教団退団者

2015/07/23 (Thu) 08:09:50

続きを楽しみにしてます。
賀茂皇太神宮ですか?
皇太神宮というと天照太御神を示すような感じ(漢字)ですね。
十握剣は蛇の韓鋤刀でしょうか?

Re: 斎元道の関連資料 - トバル

2015/07/23 (Thu) 13:10:17

【齋元道要教伝】(著者抜粋)

神代本紀


天太玉命(あまのふとたまのみこと)

この神(かみ)は、齋元道(いつきみもとのみち)を傳(つた)へたまふ。

齋元(いつきみもとのみち)は、唯(ただ)、日上(ひのかみ)に在(ま)す。

一日(あるひ)、唱(とな)へて曰(のりたまは)く、「吾(あ)が日(ひのかみ)、獨(ひと)り尊(たふと)し。

齋元(いつきみもとのみち)に總(すべしな)と別(わけしな)と有(あ)り。

其(そ)の總(すべしな)とは、日(おほひるめのむちのみこと)と天(あめ)と地(つち)となり。

其(そ)の別(わきしな)とは、日(あまてらすおほみかみ)と國(くに)と王(すめらきみ)となり。

總(すべしな)に體(むね)と用(わざ)と有(あ)り。

月(つき)は、偶(そ)ひ、星(ほし)は、散(ち)り、人(ひと)は、降(ふ)る。

是(こ)れ、用(わざ)なり。

別(わきしな)に體(むね)と用(わざ)と有(あ)り。

吾(あ)が法(のり)と吾(あ)が齋(いみ)と吾(あ)が祭(まつり)となり。

是(こ)れ、用(わざ)なり。

其(そ)の二(すべわき)の體(むね)は、是(こ)れ、日(ひのかみ)のみ。

常(つね)なるときは、神(かみ)、衛(まも)りたまひ、變(あた)あるときは、神(かみ)、責(せ)めたまふ。是(こ)れ、天地(あめつち)の定(おきて)なり。」とのりたまふ。

是(こ)れ、齋元(いつきみもとのみち)を説(と)く、其(そ)の學(まな)びの元(もと)なり。


神代本紀箋(依田貞鎮)


此章、太玉命の神説く、ならびに、斎元道を明す。此の神は、天太玉命、斎元道は、三部の一にして神国の別道、斎は、潔、忌部祖神、斎元は、唯、日上に在り。とは、斎元道とは、専ら王道を述ぶ。君臣上下の義を厳にす。其の意、みな、本を立るに在り。吾が皇は、是れ、日胤にして萬君の主、我国は、是れ、神国にして、是れ、万国の主、故に皇胤を崇めて此の国を重んず。又、神明は、人の元にして天地を化育するを主る。神明の恩庇を蒙りて生生する故に斎禁法の如くにして神明を祭り、以て天恩に報ふ。是れ、皆、本を立るを以て道とする所以なり。

日上に在りとは、日神は、天地の霊主、神明の皇神なり。天地の造化、諸神の霊徳、皆、日神より出づ。故に斎元道とは、唯、日上に在りと云ふ。日上は、日上を尊びて上と云ふ。位品、諸神の上に在りて、霊徳、成功も亦諸神の上に在る所以なり。歌を發するを唱ふと謂ふ。

唱えて曰く、は、斎元深秘の義を歓美し、正道、体用の説を詠唱す。

我が日神、独り尊しとは、日神、吾が君神にして吾が道の元、吾が国の神なり。吾が日と云ふ。独尊とは、独は、孤、比類無きの義なり。言ふは、諸神各各威霊広徳有りと雖も、中に就きて日神、独り勝ちて尊し。
故に独は、尊と云ふ。

斎元は、総と別に有りとは、総は、統、括る。別に分なり。異。総は、宗源、万国の総道にして別は、斎元、吾が別道、此の全章、全体、斎元を説くと雖も、此中に又、総別有り。其の総とは、日、天と地は、総別の中に就きて先づ総の義を説く。日と天地とは、三国、及び、外国、と雖も日の光を受く。天を覆ひ、地を敷く。故に之を総と云ふ。

其の別は、日と国と王とは、吾日神、吾が神国、吾が皇胤、日神は、吾が国の帝皇の祖神にして他に異り、別て崇め奉る太神。

神国は、吾が皇祖神の造化の神産みの別、外国、奪ふこと能はざる霊国なり。吾が王は、皇胤にして正統を継ぎ、夷賊、犯すこと能はざる他に異る尊位、故故に之を別と云ふ。

総に体と用有り。

月は、偶ひ、星は、散る、人は、降る。是れ、用とは、先、所謂、総の中の又、体と用あり。体は、本体、用は、施用、此の二句、先用を挙ぐ。月は偶ひ、星散るの一句は、上に所謂、天義を宛て、人は、降るの一句は、地義を宛つ。

月は、偶ひ、星は、散る、とは、元、水の精、英にして、内は、明。外は、晴。外暗きが故に光輝こと無し。内、明なるが故に日輪の光輝を光曜を為し、日に偶にして、或いは、進み、或いは、退き、其の増減すること星散るは、星光も亦之を日に受く。散るは、日輪の光輝散りて星光為る。

人は、降るとは、日は、上天に在りて人に降りて下地に居りて日日を肉に具ふ。温恵を外に受けて生生する故に人心を日心と云ふ。

月と星は、是れ、天。人は、地。人を言ひて万物生霊を兼ぬ。皆、日輪を体として。天地の用、ことごとく、行るなり。日は、君、上にして、他は、臣下、是れ、萬国一同の通理にして、是れを斎元、総の体用とす。

別に体用有るを吾が法、吾が斎、吾が祭、是れ、用とは、所謂、別道の中に亦体用有り。此の二句、先に用を言ふ。

吾法は、此れを王に宛て、斎と祭は、此れを国に宛つ。吾が法とは、斎元、神■を建つる神法。神国の法は、皇天の尊胤を以て代代の王として、臣賊蛮夷、之を犯し、奪はず。是れ、斎元の法、吾が斎は、吾が神国の他に異なる清浄の義を以て五斎の法を立つ。一に忌火、二に忌食、三、慎身、四、浴水、五、修法。吾が祭は、神国、他に異りて、祠祭に神事修法有り。穢物を供へず。天の五祭、地の五祭を以てす。皆、他に異なるが故に是れを斎元の用とす。

其の二体は、是れ、日のみ。

とは、是れ、総と別の二体、総べて、別の二用は、上既に之を■ぶ。

其の二の体、是れ、日輪、総は、所謂、月星、日光を受く。

其の用、日輪は、月星の本体、是の故に総の中に亦日輪有り。是れ、体なり。

別は、所謂、法と斎と祭と皆、日神より出で日神、吾が法の立所、日神、是れ、本なり。吾が斎、吾が祭、皆、日神、之定ふ。事は、神事本紀に在り。

吾が国も亦、日神の御国、吾が王も、亦、日神の御裔、みな、日神を以て体とす。始めに二の用を言ひて末だ体を言はず。是に於て、日神を以て二の体とする所以なり。常なるときは、神、衛り、変るときは、神責とは、常とは、如理の如く、神道に背ざる。是れなり。常道なるときは、諸神、之を恵愛して其の人を衛りたまふ。変とは、常道に戻り、法に違ひ、理に背く。是れなり。是の如くなるときは、諸神、■悪して其の人を責め罰したまふ。是れ、天地の定は、上の上の句に結ぶ。上に所謂、斎元の法、立つときは、神衛り、神責むること、是れ、天地の定理なり。神は、非礼を享けたまはず理に非る祭祠は、之を崇敬せずと雖も神享けざざるなり。斎元の法は、理の如理の如如、之を立て毛私も無く点乱も無し。是れ、天地の定なり。経文、斎元道を説き、言は、約にして其の綱領を明す。是れ、斎元道の学元なり。


天神本紀

天照大神(あまてらすおほみかみ)、天太魂命(あまのふとたまのみこと)に詔(みことのり)して曰(のりたまは)く、「弱肩(よはかた)に太手繦(ふとたすき)を被(とりか)けて、而(しか)も、之(こ)れを御手代(みてしろ)として、神祭(かみまつり)の忌事(いみこと)を執(たなと)りて、齋元(
いつきみもと)の道(みち)を主(つかさと)り、而(しか)も、之(こ)れに事(つか)へ奉(たてまつ)れ。

夫(そ)れ、齋元(いつきみもと)の道(みち)とは、天(あめ)、獨(ひとり)の最尊(たかきみこと)を得(え)て、月(つき)も星(ほし)も光(て)りを生(な)し、天(あめ)を廻(めぐ)るなり。又(また)、須臾(しまらく)も獨尊(ひとりのみこと)を失(うしな)ふときは、帝神(あまつかみ)、悉(ふつ)くに度(のり)を失(うしな)ふ。故(か)れ、吾尊(あれ)を以(もち)て要帝(むなつかみ)とす。

地(つち)も吾(あ)が其(そ)の日昇國(ひのぼるくに)を得(え)て、五穀(たなもの)、又、悉(
ふつ)くに登(みの)るべし。日高見(ひたかみ)の國(くに)無(な)きときは、五行(いゆき)、根(ね)を失(うしな)ふ。故(か)れ、后「示偏に氏」(くにつかみ)も之(こ)れを崇(あがま)ふ。是(こ)れを要尊(もとつみこと)の域(みき)とす。

一(ひと)たび天(あめ)と地(つち)とに分(わか)れては、二(ふた)たび地(つち)、天(あめ)と
爲(な)らず。天(あめ)は、君(おほきみ)、地(つち)は、臣(みやつこ)なり。臣(みやつこ)は、君(おほきみ)の位(くらゐ)に復(かへ)らず。日(ひ)と月(つき)とに一(ひと)たび分(わか)れては、日(ひ)は、主(おほきみ)と爲(な)りて常御(とこしら)し、月(つき)は、從(みやつこ)として、進(すす)み、退(まか)り、晦(くら)み、望(のぞ)み、増(ま)し、減(へ)りす。君(おほきみ)に向(むか)ふときは、之(こ)れを増(ま)し、君(おほきみ)に背(そむ)くときは、減(へ)る。讓(ゆづ)りて、而(しか)も、位(
くらゐ)に中(あた)るときは、望位(もちのくらゐ)を得(う)べし。輒(たやす)く、馴(なじ)みて君(
おほきみ)と戰(たたか)ふときは、亡(ほろ)びて晦(つこもり)と成(な)る。日(ひ)、月(つき)の爲(ため)に蝕(むしはみ)せらるるは、寵臣(めでしやつこ)、位(くらゐ)に過(ほこ)りて、臣(みやつこ)、還(かへ)りて、君(おほきみ)を損(そこな)へばなり。月(つき)、星(ほし)の爲(ため)に蝕(むしはみ)せらるるは、自位(おのがくらゐ)に滿(み)ち滿(み)ちて、星(ほし)、日(あまつひ)の光(ひかり)を遮(さいき)ればなり。悔(く)ひ復(かへ)り、恐(おそ)り還(かへ)りて、君(おほきみ)は、君(おほきみ)の徳(いさをし)を全(また)くし、臣(みやつこ)は、臣(みやつこ)の位(くらゐ)に謙(へ)り、君(おほきみ)と臣(みやつこ)、一(ひとつ)に致(いた)るときは、永久(ひたふる)に吉(よ)し。

天(あめ)と地(つち)と亡(ほろ)ぼさむと欲(ほり)して、度(のり)を失(うしな)ひ、頻(しき)りに蝕(むしは)むときは、天地(あめつち)、自(おのつか)ら壊(やぶ)るのみ。君(おほきみ)と臣(みやつこ)の道(みち)も然(しか)り。是(こ)れ、萬國(もろくに)に通(おなじ)なり。中(なか)に就(つ)くに、吾(あ)れ生(うま)れし瑞朗中國(みづほのなかつくに)は、地津主根(くにつぬしね)の神國(かみくに)なり。諸(もろもろ)の他州(ひとくに)に異(こと)なる尊國(たかみくに)なり。君胤永久(きみたねひたふる)の君國(きみくに)なり。萬臣(もろもろのみやつこ)、君(おほきみ)とならぬ公國(おほやけのくに)なり。故(か)れ、皇子(すめみこ)たりと雖(いふと)も一(ひと)たび臣(みやつこ)に下(くだ)るときは、日祚(あまつひつぎ)に復(かへ)るといふこと無(な)し。是(こ)れ、吾(あ)が嫡胤(まさみこ)の皇(すめらき)なり。

今(いま)、此(こ)の齋元(いつきみもと)は、他國(あたしくに)に齊(ひとし)からざる道(みのり)を以(もち)て、上天(かみあめ)の日尊(ひのみこと)の吾(あれ)と地(つち)の神産(かみなし)の吾(あ)が國(くに)とに合(あは)せて、三勝(みけ)の靈法(みのり)を爲(な)す。三璽(みしるし)を以(もち)て、之(こ)れを信(しるし)と爲(な)し、天孫尊(あめみまこのみこと)に付(さつ)けたり。又(また)、予(あ)れ、汝(いまし)に付(さつ)くるに、天地(あめつち)の開(ひら)けし時(とき)、天祖(あまつみおや)の神定(かみさだ)めに、帝天(みおや)、空(みそら)より下(あまくだ)りまして、心(こころ)を練(おもね)りて、命(おほせ)を尋(たづ)ね、國(くに)を生(うみな)し、吾(あれ)を生(うみな)し、胤(みたね)を定(さだ)め、祚(ひつぎ)を定(さだめたり)し、異國(あたしくに)に異(こと)なる靈法(あやしみのり)の皇祚(あまつひつぎ)、不絶(ひたふる)の祭(まつりこと)、是(こ)の齋元(いつきみもと)の道(みち)と道(い)へるを以(もち)てす。

汝(いまし)の命(みこと)、愼(つつし)みて、之(こ)れを傳(つた)へよ。


是(こ)れ、齋元(いつきみもと)の傳(みつたへ)を續(つ)ぐ、其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

天照大御神の神宣にある日が昇る国とは、聖書の聖句にある極東のイスラエル王国、日が昇る国=日本帝国のこと。日本人は、祭祀の神民、イスラエル人なのである。

旧約聖書

(ヤハウェの神勅)

万軍の主はこう言われる。

見よ、日が昇る国からも、日の沈む国からも
わたしは、わが民を救い出し
彼らを連れて来て、エルサレムに住まわせる。
こうして、彼らは、わたしの民となり
わたしは、真実と正義に基づいて
彼らの神となる。
万軍の主はこう言われる。
勇気を出せ。
あなたたちは、近ごろからこれらの言葉を
預言者の口から、度々聞いているではないか。

(「旧約聖書」ゼカリヤ書8章7節~9節)


神教經


齋元(いつきみもとのみち)


(天照大御神の神勅)

一(ひと)たび天(あめ)と地(つち)とに分(わ)かれては、二(ふた)たび地(つち)、天(あめ)と爲(な)らず。

天(あめ)は、君(おほきみ)、地(つち)は、臣(みやつこ)なり。臣(みやつこ)は、君(おほきみ)の位(くらゐ)に復(かへ)らず。

(聖徳太子の御釈)

齋元(いつきみもと)の道(みち)は、天道(あまつみち)の本道(もとつみち)なり。

特(こと)にして、獨(ひと)り、吾(あ)が國(くに)のみの正道(まさみち)なり。

是(こ)れ、神國(かみのくに)、奇國(あやのくに)、天國(あまつくに)、本國(もとつくに)の神道(かむみち)、勝道(あてみち)、天道(あまつみち)、正道(まさみち)なり。

其(そ)の國(くに)の道(みち)とは、那(なに)の道(みち)そや。

天地(あめつち)は、本(もと)、一(ひとつ)なり。已(すで)にして、陽清(すみあきらかなるをいき)、陰濁(こりくらやかなるめいき)を分(わか)ちて、天(あめ)は、君上(おほきみ)に定(さだま)り、地(つち)は、臣下(みやつこ)に定(さだま)り、再(ふた)たび、地(つち)、上(のぼ)りて、天(あめ)と成(な)らず。臣地(みやつこ)、君天(おほきみ)を覆(くつかへ)し侵(をか)さず。

是(こ)れ、正法(まさのり)の大法(おほのり)なり。

(天照大御神の神勅)

日(ひ)と月(つき)とに一(ひと)たび分(わか)れては、日(ひ)は、主(おほきみ)と爲(な)りて、常(つね)に圓位(まろきくらゐ)と度位(ちのりのくらゐ)とに御(ま)し、月(つき)は、從(みやつこ)と爲(な)りて、進(すす)み退(まか)りて、晦(くら)み望(のぞ)み、増(ま)し減(へ)りす。君(おほきみ)に向(むか)ふときは、之(こ)れを増(ま)し、君(おほきみ)に背(そむ)くときは、之(こ)れを減(へ)らす。


(聖徳太子の御釈)

日(ひ)と月(つき)とは、本(もと)、一胞(ひとえな)なり。主(おほきみ)と佐(みやつこ)と一(
ひと)たび別(わか)れては、日(ひ)は、月(つき)の位(くらゐ)に下(くだ)らず。月(つき)は、日(ひ)の位(くらゐ)を侵(をか)さず。日(あまつひ)は、皇天(すめらき)にして、常(つね)に圓(まろ)く、又(また)、陽徳(をのいきほひ)にして常(つね)に政(まつりこと)す。月(つき)は、君天(まちぎみ)にして、増(ま)し減(へ)りし、又(また)、進(すす)み退(まか)りして、晦(くら)み望(のぞ)む。是(こ)れ、齋元(いつきみもと)の法(のり)なり。

其(そ)れ、其(そ)の齋元(いつきみもと)の法(みのり)は、天皇(すめらき)の兩兒(ふたみこ)が一王(ひときみ)は、位(たかみくら)に即(つ)きて踐祚(ひつぎ)し、一王(ひときみ)は、姓(かばね)を賜(たまは)りて、臣(みやつこ)に下(くだ)る。宮(みや)に在(ま)す王(きみ)は、當(まさ)に踐祚(ひつぎ)を踐(ふ)み、姓(かばね)を賜(たまは)れる臣(みやつこ)は、踐祚(ひつぎ)を斷(た)つ。

天道(あまつみち)の正道(まさみち)たるは、是(こ)れなり。

(天照大御神の神勅)

日(あまつひ)に、三徳(みしなのいきほひ)有(あ)り。

温徳(ぬくいき)、明徳(あかいき)、烈徳(つよいき)、是(こ)れなり。

(聖徳太子の御釈)


陽温(ひのぬくいき)は、世界(よのなか)の寒毒(さむいき)を解(はら)ひて、萬物(あらゆるもの)を養生(ひた)し、陽明(ひのあかいき)は、世界(よのなか)の暗邪(くらやみ)を避(はら)ひて、萬物(あらゆるもの)を照映(てら)し、陽烈(ひのつよいき)は、世界(よのなか)の湿害(しめいき)を撥(はら)ひて、萬物(あらゆるもの)を建立(なした)つ。

温徳(ぬくいき)は、心道(こころのみち)の體(むね)にして、即(すなは)ち、天下(あめのした)の仁道(めぐみ)なり。

明徳(あかいき)は、心道(こころのみち)の相(なり)にして、即(すなは)ち、天下(あめのした)の知徳(さとり)なり。

烈徳(つよいき)は、心道(こころのみち)の用(わざ)にして、即(すなは)ち、天下(あめのした)の勇徳(いさみ)なり。

この三徳(みしなのいきほひ)は、人世(ひとのよ)の大綱(かなめ)なるのみ。

(天照大御神の神勅)

又、三功(みしなのいさをし)有(あ)り。

自行(おのがみち)と使行(つかひのみち)と余行(あまりのみち)と是(こ)れなり。

(聖徳太子の御釈)

自行(おのがみち)は、日度(ひのり)、三百六十五度(みほむそちあまりいつのり)の行(めぐり)、是(こ)れなり。

使行(つかひのみち)は、天(あめ)をして、一度(ひとのり)を促(や)りて行(ゆかし)む。是(こ)れなり。

余行(あまりのみち)は、月(つき)と星(ほし)、皆(ことこと)く、日(あまつひ)に從(したか)ふ。是(こ)れなり。

天皇(すめらき)、位(くらゐ)に在(ま)して、三徳(みしなのいきほひ)を行(おこな)ふは、是(こ)れ、自行(おのがみち)なり。

天下(あめのした)をして、安平(おだひ)ならしむるは、是(こ)れ、使行(つかひのみち)なり。

王(おほきみ)、臣徳(やつこがいきほひ)に從(したか)ふは、是(こ)れ、余行(あまりのみち)なり。

(天照大御神の神勅)

是(こ)れ、即(すなは)ち、天孫(あめみま)の徳功(いさをし)なるのみ。

(聖徳太子の御釈)

踐祚(あまつひつぎ)の嫡胤(はつみこ)、是(こ)れを天孫(あめみま)と名(い)ふ。

天孫(あめみま)の守(まも)るべきは、是(こ)れ、日(おほひるめ)の道(みち)、齋元(いつきみもと)の天道(あまつみち)なり。

天位(あまつくらゐ)を失(うしな)はずして、天道(あまつみち)を發(おこ)すは、是(こ)れ、天孫(あめみま)の徳功(いさをし)なり。

(天照大御神の神勅)

月(つき)に、二法(ふたのり)有(あ)り。一(ひと)つは、増法(ましのり)、是(こ)れなり。二(ふた)つは、減法(へりのり)なり。

日(あまつひ)に向(むか)ふときは、増(ま)し、日(あまつひ)に背(そむ)くときは、減(へ)る。

(聖徳太子の御釈)

白月(しらつき)は、日(あまつひ)に向(むか)ふが故(ゆゑ)に面(おもて)より白(しろさ)を増(ま)すべし。

黒月(くらつき)は、日(あまつひ)に背(そむ)くが故(ゆゑ)に面(おもて)より光(ひかり)を減(へら)すべし。

是(こ)れ、臣道(みやつこのみち)の理元(ことわりのもと)なり。

忠(まめこころ)を以(もち)て君(おほきみ)に向(むか)ふときは、朝恩(たまもの)を得(え)て威(いきほひ)を増(ま)し、逆(さかしま)を以(もち)て君(おほきみ)に背(そむ)くときは、朝征(つみなへ)を蒙(かがふ)りて、勢(いきほひ)を減(へら)すべし。

是(こ)れ、天道(あまつみち)の常理(つねのことわり)なり。

中(なか)に就(つ)くに、齋元(いつきみもとのみち)は、天約(あめちきり)、神約(かみちきり)の
神理(かみつことわり)なり。必(かなら)ず、此(こ)の制(いましめ)を免(まぬか)れず。

又、二理(ふたつのことわり)有(あ)り。

一(ひと)つは、望理(もちのことわり)、是(こ)れなり。二(ふた)つには、晦理(つこもりのことわり)なり。

謙(へ)りて、中(なか)に位(くらゐ)するときは、望位(もちのくらゐ)を得(う)べし。

馴(な)れ「小偏に喬」(おご)りて、日(あまつひ)を後(せうしろ)にするときは、亡(ほろ)びて晦(つこもり)と成(な)る。

朔弦(かみつき)、日日(ひひ)、日(あまつひ)を辭(ことは)る。是(こ)れ、天(あめ)の謙道(ゆづりのみち)なり。

遂(つひ)に、位(くらゐ)して、望(もち)に至(いた)る。

既弦(しもつき)、日日(ひひ)、日(あまつひ)に馴(な)るるは、是(こ)れ、天(あめ)の「小偏に喬」咎(おごり)なり。

遂(つひ)に亡(ほろ)びて晦(つこもり)に至(いた)る。

是(こ)れ、臣道(やつこのみち)の理元(ことわりのもと)なり。

義(ことわり)を以(もち)て君(おほきみ)に事(つか)へたてまつるときは、朝用(よさし)を得(え)て、位(くらゐ)に封(つ)けられ、利(むさほり)を以(もち)て、君(おほきみ)に敵(あたな)ふときは、朝軍(みいくさ)に當(あた)りて、亡(ほろぼ)さるべし。

是(こ)れ、天道(あまつみち)の常理(つねのことわり)なり。

中(なか)に就(つ)くに、齋元(いつきみもとのみち)は、天約(あめちきり)、神約(かみちきり)の神理(かむことわり)なり。

遂(つひ)に、此(こ)の制(いましめ)を解(と)くといふこと無(な)し。

(天照大御神の神勅)

是(こ)れ、即(すなは)ち、臣孫(やこみま)の天道(あまつみち)なり。

(聖徳太子の御釈)

臣(みやつこ)は、神(かみ)の子孫(すゑ)、是(こ)れを臣孫(やこみま)と名(い)ふ。

臣孫(やこみま)の守(まも)るべきは、是(こ)れ、月道(つくよみのみち)、齋元(いつきみもと)の天道(あまつみち)なり。

天忠(あまつまこころ)を忽(いるかせ)にせず。天義(あまつことわり)を慢(みだ)りにせず。

是(こ)れ、臣孫(やこみま)の法理(のりのことわり)なり。

(天照大御神の神勅)

日(あまつひ)、月(つき)の爲(ため)に蝕(むしはみ)せらるるは、寵臣(めでしやつこ)、位(くらゐ)に過(す)ぎて、臣(みやつこ)、還(かへ)りて、君(おほきみ)を損(そこな)へばなり。

(聖徳太子の御釈)

日度(ひのり)、其(そ)の數(かず)に至(いた)るときは、蝕(むしはみ)に會(あ)ふ。

是(こ)れ、月(つき)、侵(をか)さむが爲(ため)なり。


王者(おほきみ)、徳(いきほひ)を廢(す)て、道(みち)を無(なみ)して、寵(めで)に倚(よ)りて、偏(かたよ)り用(もち)ゐるときは、「小偏に喬」臣(おごれるみやつこ)、威(いきほひ)に乘(の)りて、君(おほきみ)を侵(をか)す。唯(ただ)、獨(ひと)り、之(こ)れを侵(をか)すのみに非(あら)ず。

群臣(もろみやつこ)、不義(つみ)を惡(にく)みて、乃(すなは)ち、王者(おほきみ)に叛(そむ)く。

日(あまつひ)の蝕(むしはみ)を見(み)るときは、恐(おそ)りて、其(そ)の政(まつりこと)を愼(つつし)むときは、道(みち)に復(かへ)るべし。

是(こ)れ、日道(ひるめのみち)の用心(こころがけ)なり。


(天照大御神の神勅)

月(つき)、星(ほし)の爲(ため)に蝕(むしみ)せらるるは、自位(おのがくらゐ)に滿(み)ち滿(み)ちて、星(ほし)、日(あまつひ)の移(うつ)ることを遮(さいき)ればなり。

(聖徳太子の御釈)

月度(つくのり)、其(そ)の數(かず)に至(いた)るときは、白輪(しろきわ)、實(まこと)に滿(み)つ。

時(とき)に中(あた)りて、星(ほし)の轉(めぐ)り、日月(ひつき)の間(あひた)に在(あ)り。

是(こ)れ、星(ほし)の侵(をか)しなり。

臣(みやつこ)、夸(ほこ)り傲(おご)りて、君(きみ)を蔑(かろみ)し、威(いきほひ)に過(す)ぎて、理(ことわり)を失(うしな)ふときは、傍臣(かたはらのみやつこ)、不義(つみ)を惡(にく)みて、乃(すなは)ち、之(こ)れを撃(う)つ。

臣(みやつこ)、月(つき)の蝕(むしはみ)を見(み)るときは、懼(おそ)りて、其(そ)の「小偏に喬」(おご)りを欽(つつし)み、即(すなは)ち、義(ことわり)に復(かへ)る。

是(こ)れ、月道(つくよみのみち)の用心(こころがけ)なり。

悔(く)ひ復(かへ)り、恐(おそ)り還(かへ)りて、君(おほきみ)は、日道(ひるめのみち)に
坐(ま)し、臣(みやつこ)は、月道(つくよみのみち)に止(ととま)り、君(おほきみ)と臣(み
やつこ)、徳(いきほひ)を一(とも)に致(いた)すときは、永久(ひたふる)に吉(さき)なり。

君(おほきみ)は、無道(あつきなさ)を悔(く)ひ、寵用(めでこと)を恐(おそ)りて、三徳(みしなのいきほひ)に復(かへ)り、三功(みしなのいさをし)に還(かへ)る。

臣(みやつこ)は、減法(へりのり)を悔(く)へ、晦理(つこもりのことわり)を恐(おそ)りて、増法(ましのり)に復(かへ)り、望理(もちのことわり)に還(かへ)るときは、徳(いさをし)一(ひと)つなり。

是(ここ)を以(もち)て、吉(さき)永(なが)く、世(よよ)久(ひさ)し。

是(こ)れ、即(すなは)ち、君臣(おほきみとみやつこ)の天道(あまつみち)なり。

(日=君=去來諾尊、月=臣=去來尊冉尊、日=主=大日霊貴尊、月=佐=月夜見尊、星=客=速荒業雄尊)

(了)

禮綱本紀

日(ひ)、尊(たかきもの)として、天(あめ)をして一度(ひとのり)を先(さきたた)せ、一年(ひと
とせ)に天(あめ)を周(めぐ)りて日候(ひひ)の節(とき)を作(つく)る。常体(つね)にして不易(ときは)にして不動(かちは)の徳(いきほひ)を見(あらは)す。

是(こ)れ、主(あろじ)とし、師(ものをしへ)とし、兄(え)とし、老(をきな)とす。

月(つき)は、卑(ひくきもの)として、自(みつか)ら十三度(とをあまりみのり)を後(おくら)せ、三旬(みそか)にして天(あめ)を周(めぐ)りて月氣(つき)の節(とき)を作(つく)る。朔弦(つきたちのゆみ)、望弦(もちつき)にして進退(すすみまかり)の功(いさをし)を見(あらは)す。

是(こ)れ、伴(とも)とし、子(みこ)とし、弟(おと)とし、少(をぐな)とす。

この間(あひた)に序(つぎて)有(あ)り。

日(ひ)は、一度(ひとのり)にして一年(ひととせ)の一周(ひとめぐり)なり。

月(つき)は、二旬(はたち)有(あまり)七余(なのか)の周天(めぐり)、二日余日(ふつかあまりのひ)あり。

其(そ)の主(あろじ)と伴(とも)、師(ものをしへ)と子(こども)、兄(え)と弟(と)、老(をきな)と少(をぐな)の禮(のり)、動(うごき)と静(しづか)、語(かたる)と聴(きく)、進(すすみ)と退(まかり)、問(とひ)と答(こたへ)の儀(のりこと)、悉(ことごと)く茲(ここ)に在(あ)り。禮(のり)は、天地(あめつち)の大則(おほみのり)たること是(こ)の如(こと)し。
日月(ひつき)の下(した)にして人(ひと)として禮(のり)に非(あら)ざるときは、身(み)を寄(よ)す物(もの)無(な)し。


禮網本紀

君(おほきみ)、盛(さか)りなるときは、臣(みやつこ)衰(おとろ)ふ。内方(おほうちのみのり)、改(あらた)むるの罪(つみ)は、即(すなは)ち、君(おほきみ)に在(あ)り。この君(おほきみ)の社稷(くにのいへ)をして、之(こ)れを微(こ)らしむ。

臣(みやつこ)、盛(さか)りなるときは、君(おほきみ)衰(おとろ)ふ。内方(おほうちのみのり)、易(か)ふるの罪(つみ)は、即(すなは)ち、臣(みやつこ)に在(あ)り。この臣(みやつこ)の自家(おのがいへ)をして、之(こ)れを亡(ほろばし)む。

此(こ)の罰(つみなへ)、必然(きめこと)として差(たが)ひあるといふこと無(な)し。

是(こ)れ、吾(あ)が齋元(いつきみもと)の神定(かみさだめ)なり。

(「先代旧事本紀(大成経)」秘伝奥義書)

勝限總傳(かちさだめのすべつたへ)


天中(あめなか)の日(ひ)、勝(かち)を為(な)し、齋元(いつきみもと)の天皇(すめらき)を
定(さだ)む。天(あめ)は、大(おほきなる)、地(つち)は、小(ほそきなる)にして、永(なが)
く齋元(いつきみもと)の臣造(みやつこ)を定(さだ)む。勝劣(まさりおとり)の分限(さだめ)は、
天下(あめのした)の大法(おほのり)なり。中(なか)に就(つ)くに、吾(わ)が國(くに)、之(こ)れを侵(をか)すときは、亡(ほろ)ぶなり。

日勝分傳(ひまさりのわきつたへ)

日勝(ひまさり)无任光在者

獨(ひと)り日(あまつひ)は、天(あめ)を照(て)らす。月(つき)は、氏(こ)れ、偶(そ)ひ
光(て)らし、星(ほし)は、氏(こ)れ、散(ち)り光(て)るなり。元(もと)、日(ひ)の光(
ひかり)なり。故(ゆゑ)に、日(ひ)、出(まかで)れば、咸(みな)、滅(ほろ)び、光(ひかり)
在(あ)る者(もの)に任(まか)すといふこと无(な)し。天(あめ)に日(ひ)有(あ)りて、能(
よ)く勝(か)ち、月(つき)、星(ほし)、悉(ことこと)く負(ま)くる限(さだめ)なり。天皇(
すめらき)に對(たむか)ふ臣(やつこ)、其(そ)の永(なが)きを得(う)ること无(な)し。齋
元(いつきみもと)、勝威(まされるいきほひ)、套(つつし)みて侵(をか)すこと勿(なか)れ。

月偶(つきのそひ)、星散(ほしのちり)、咸(みな)、日光(ひのひかり)に依(よ)る。
獨(ひと)り日(あまつひ)照(て)らす主(あろじ)、齋元(いつきみもと)勝(まさ)れるの画(ゑ)

(「日勝」画像)

分限(さだめ)

天(あめ)は、三百六十五度(みほちあまりむそちあまりいのり)、地(つち)は、二百四十四度(
ふほちあまりよそちあまりよのり)、六四(むよ)の相分(あひわけ)、君臣(きみとやこ)の定(
さだ)め、過分(すぎこし)を作(な)すときは、運(めぐり)、盡(ことこと)く亡(ほろ)ぶ。
天理(あまつことわり)、氏(こ)の如(こと)し。人(ひと)、宜(よろ)しく怖(おそ)りて謙(へりくだ)るべし。

天量三分(あめはかりみわけ)、地量二分(つちはかりふわけ)、天君(あめきみ)、地臣(つちやこ)、
過者(すぎひと)は、亡(ほろ)ぶ画(ゑ)

(「分限」画像)

以上、忌部斎元神道、神国皇法神伝。吾が国の絶体国法である。天体の日主、月臣、星衆の定位を人体の日主、月臣、星衆の定位とする天人唯一、天道即地道の神伝。即ち、天皇は、日主=君上にして無姓の日胤、臣下は、月臣=臣下にして有姓、諸民は、星衆=王民にして有姓。天体と人体の天人唯一の自然法則に従って説く、この神伝は、いずれも聖書の天人唯一思想を引用した神伝。聖書では、いと高き神の独り子、主ヤハウェを太陽に当て、いと高き神の子等を萬星に当て、天道即地道を教示する。天皇は、太陽に当てられる主ヤハウェ=イエス・キリストの皇位を継ぐ為、天照大神=日主に即位されます。あなかしこ。

ちなみに、吾が国の神社は、この天人唯一の神国皇法を以て、北極星=天皇星=紫微宮を中心とする二十八宿になぞらえて、天皇在御の紫寝殿を中心とする四方に配分されている。これは、単純に天人通理の自然国法を体現するだけでなく、神が世変を感知し、天体(日、月、星)に異変を預現した時に、其の星の種類と方向と動向を観測すれば、地上の誰が、四方二十八宿のどこで、何をしようとするのかが分るように仕組まれた国仕掛けでもある。聖徳太子の式令草案以降、代々の天文頭がこの星読の事を掌握した。ちなみに、敏達天皇の後裔である橘氏の伝承によれば、天文博士の安倍晴明は、天人唯一の天人通理に従って認められた聖徳太子の未来記を拝読していたというから、聖徳太子以降、代々の天文頭は、時々の天体異変を聖徳太子の未来記の天体異変の記事に照合しながら精密に分析し、其の結果報告を天皇に奏上していた可能性がある。或いは、忌部筆頭の賀茂縣主の族長にして、賀茂社陰陽寮の大祭司兼陰陽頭である「頭八咫烏」が、中務省陰陽寮の天文頭の分析奏文と聖徳太子の未来記を照合する作業を掌握していた可能性がある。ちなみに、鎌倉時代には、朝廷と幕府双方に聖徳太子の未来記が存在したという。奈良時代以降の日本歴史は、神の預言を記した聖徳太子の未来記の記述通りに作られてきたのである。

Re: 斎元道 - トバル

2015/07/23 (Thu) 13:45:10

>賀茂皇太神宮ですか?
>皇太神宮というと天照太御神を示すような感じ(漢字)ですね。

ようやくお気づきになられましたか。

実は、密かに天照坐皇大御神の皇子(推して知るべし)が祀られており、これらの神秘を明かすと我が皇国を守護する天下第一の社稷である(実は、皇室の宗廟でもある)賀茂皇太神宮が廃れる=日本が滅びると伝えられております。それは、日本の神とは、賀茂皇太宮の神を指すという伝承からもお分かり頂けると思います。以前にも言いましたが、賀茂氏の直系筋には、京都の賀茂皇太神宮に祀られる真の祭神が明記された秘密文書が伝来しており、皇家でもそれを閲覧したのは、たったお一人の天皇のみです。これは、畏怖すべき代物(国宝)で、実際、天皇に献上した下鴨神社の関係者は、それを閲覧した天皇に御一読の後にそれを返却するように進言しています。普通、天皇に献上した物を返却するように進言するでしょうか?

この秘密文書の公開は、もっと、先になるでしょう。

あなかしこ。


>十握剣は蛇の韓鋤刀でしょうか?


草薙剣ですよ。飛鳥時代に編纂された天照神話には、
真榊に三種の神器が架けられたとあります。奈良時代に編纂された記紀の天照神話には、鏡と玉の二種の神器のみが真榊に架けられたとあります。これは、奈良時代に伊勢三宮が伊勢二宮制になったことと無関係ではないようですね。

Re: 斎元道 - ぐっちぃ教団退団者

2015/07/25 (Sat) 23:08:40

十握剣(蛇韓鋤刀・天羽々斬・蛇之麁正・天蠅斫之剣・天之尾羽張) = 草薙剣。 
これはイザナギから続く神剣ですね。
次の天皇へ神剣が渡される前には熱田神宮や伊勢神宮以外の神社へ神剣を入神させてますね。これはどこの神社なのかはわかりませんが、十握剣を引き継ぐ神を祀る神社であることは間違いありません。

カモ系ではもう一人の天皇を立てているから、象徴天皇とは対等の立場だと思います。

逆に、象徴天皇が賀茂皇太神宮へあるモノを献上され、返上願う行事は秘儀です。

>賀茂皇太神宮が廃れる
とは、昨今の式年遷宮における資金不足解消策の糺すの森売却でしょうか?

Re: 斎元道の大祭司(御手代)「八咫烏」 - トバル

2015/08/01 (Sat) 14:39:24

神皇本紀


頭八咫烏(やたからす)、奏(ことあげ)して、曰(まをしたまは)く、「宗宮(もとつみや)の前(みまへ)には、神門(みかと)を立(た)てたまへ。神門(みかと)と謂(い)ふは、兩氣(めをいき)の柱(はしら)、天(あめ)の蓋棟(おほむなき)、地(つち)の横梁(よこうつはり)、人(ひと)の心柱(さなこはしら)を總(す)べ立(た)つるなり。是(こ)れ、神形(かみのみすかた)なり。吾(あ)れは、是(こ)れ、天魂(あまつみたま)なり。八極(やすみ)に瀰(ほびこ)りて、八箇(やつ)の頭(かしら)有(あ)り。天照太神(あまてらすおほみかみ)の分(わ)け爲(な)しませる荒魂(あらみたま)なり。天孫(あめみま)を尊(たふと)ぶが故(ゆゑ)に、下(あまくだ)りて、臣(やつかれ)と稱(い)へり。末世(すゑつよ)の衰(おとろ)ふる時(とき)と雖(いふと)も、齋元(いつきみもと)の法(みのり)有(あ)らむ限(かぎ)り、日神(あまてらすおほみかみ)、世(みよ)に在(ま)さむ限(かぎ)り、寶祚(あまつひつぎ)の長續(みつづき)を護(まも)り、齋元(いつきみもと)の永傳(みつたへ)を守(まも)らむ。爲(ため)に、故(か)れ、日太神(あまてらすおほみかみ)の坐(ま)せる祠(みや)にては、必(かなら)ず、吾(あ)れ、來至(まゐのぼ)り、飛(と)び詣(まゐい)でて、直(ただ)ちに、正月(むつき)の供(
みそなへ)を受(う)け持(も)ちて、上(まゐのぼ)り、直(ただ)ちに、日神(あまてらすおほみかみ)の膳(かしはて)に捧(ささ)げたてまつらむ。八頭(やつかしら)を密(かく)して代(か)ふるに、白羽(しらは)を以(もち)てせむ。吾(あ)れ、日宮(ひのみや)を出(い)づるとき、羽(はね)の度(ちのり)は、百里(ももちのり)、四天(よつぎのあめ)にては、五十里(いそちのり)、三天(みつぎのあめ)に至(いた)りては、一十里(つつちのり)、二天(ふたつぎのあめ)に至(いた)りては、一里(ひとちのり)、一天(ひとつぎのあめ)に至(いた)りては、百丈(ももつゑ)、地(つち)に來(まゐき)たりて、八尺(やた)、後世(のちつよ)には、二尺(ふたあた)なり。是(こ)れ、大神(おほかみ)在(ま)す、其(そ)の御倉(みてくら)の信(しるし)なり。」とまをしたまふ。

是(こ)れ、五十宮(いそのみや)、及(およ)び、熱田宮(あつたみや)の御烏(みからす)が度御(わたります)、其(そ)の祭(まつ)りの元(もと)なり。

吾(あ)れは、常(つね)に、其(そ)の神門(みかと)に棲(す)みて、天皇(すめらみこと)が御世(みよ)に供(つか)へ奉(たてまつ)らむ。」とまをしたまふ。

今(いま)、此(こ)の門(みかと)を鳥居(とりゐ)と謂(い)ふ。總(す)べて、神門(みかと)に立(た)つるものなり。

是(こ)れ、鳥居(とりゐ)を立(た)つる、其(そ)の事(こと)の元(もと)なり。


詠歌本紀



橿原宮(かしはらのみや)に御宇(あめのしたしら)しめしし天皇(すめらみこと)、東征(ひなむけ)を企(くはた)て、中國(なかつくに)を治(をさ)め、始(はし)めて、皇極(あまつひつぎ)を立(た)て、新(あらた)に天下(あめのした)を知(し)らしけり。其(そ)の功(いさをし)、天皇(すめらき)の造化(はしめ)なり。時(とき)に、頭八咫烏(やたからす)、之(こ)れを讚(ほめたた)へて謠(うた)へり。


頭八咫烏(やたからす)

大神之、命畏執、行軍、皇極乎、初立只然、御門御名立載、御法立載、我天皇者、日識于坐只(おほかみの、みことかしこみ、いくさとり、あまつひつぎを、はつたたし、みかとみなたて、みのりたて、あがおほきみは、ひじりにますも)

(行軍、異本に、三軍(みたむろの))

(祝歌、大文、長歌、質製)

御和(みかへし)を給(たまは)りて、次(つ)ぎて、之(こ)れを謠(うたよみ)したまふ。


神武天皇


這國者、非吾國、天于在爾、日靈之神之、所知御國
(このくには、あがくにならず、あめにます、ひるめのかみの、しらしめすくに)

(祝歌、大文、短歌、平製)


詠歌本紀


金刺宮(かなさしのみや)に御宇(あめのしたしら)しめしし天皇(みかど)、世(みよ)を治(しら)しめし、而(しか)も、大政(おほきまつりこと)、先皇(さきつみかど)に下(くだ)らず。兆民(おほみたから)、之(こ)れを悦(よろこ)び、世(みよ)を祝(ことほき)して、之(こ)れを謠(うた)へり。

時(とき)の人(ひと)

君之代者、千代于八千代于、徴小砂石之、磐嚴與成而、苔之絡迄。

(きみがよは、ちよにやちよに、さざれいしの、いはをとなりて、こけのむすまで)

(祝歌、属文、餘歌、質製)(欽明天皇の時の人とは、秦大津父か、秦河勝か。敏達天皇の後胤を称する橘氏の子孫、友常貴仁氏は、君が代の詠歌の作者が誰か秘伝を継承しているらしい。)


詠歌本紀


伏夷歌(ひなふしうた)

天從傳之、寶祚之、敵者、天共地共于、倶責亡于
(あめゆつの、あまつひつぎの、あたなへは、あめもつちもに、ともせめほろに)

(咒歌、大武、短歌、言製)

敵呪歌

内外于生若武太神之守る我于向斯る敵者、自諸亡已

(うとにます、おほかみの、もるあれに、むかへるあたは、おのれほろびぬ)

(咒歌、小武、短歌、平製)

崇咒歌(たたりのまじうた)

天之胤、神之心之、成若人乎、祟諸了鬼者、自乎崇兮去諸

(あめのたね、かみのこころの、なすひとを、たたれるをには、おをたたりされ)

(咒歌、小武、短歌、平製)


大武、

若桜宮天皇(わかさくらのみやのみかど)、韓征(からうち)の時(とき)、兆庶(もろひと)、神祝(かみほき)して、之(こ)れを詠謡(うた)へり。

神祝于、敵対西之、■等者、沫与消以、神酒成清爾

(かみほきに、あたなふにしの、えみしらは、あわときえもて、みきなりすみす)

干(ここ)に、諸民(もろひと)、君恩(おほきみのめぐみ)に感(うご)きて、誠信(まことこころ)を以(もち)て、祝壽(ことほき)を為(な)しけり。
諸神(もろかみ)、之(こ)れを感(おもほ)へて、祭場(ゆには)に現形(あらは)れ、庶人(もとひと)と為(な)りて下和(かへし)たまふ。

八百萬、多諸神之、神祝于、天皇御壽、賊服生
(やほよろづ、さわもろかみの、かみほきに、おほきみみほき、えみしまつろふ)

右の五句、成篇、質製の体。

(祝歌、大武、短歌、質製)



神皇本紀(開化天皇)


宗源(もとつみもと)は、至(いた)りて正(ただし)く、齋元(いつきみもと)は、至(いた)りて
淳(きよ)く、靈宗(かみつみむね)は、至(いた)りて誠(まこと)なり。三傳(みつたへ)、總(す)べて敬(うやま)ふべし。此(こ)の道(みち)を人(ひと)は知(し)らず。故(か)れ、夷戎(えみし)、甚(にへさ)に逆(あたな)へり。三道(みしなのみち)は、人(ひと)の元道(もとつみち)なり。知(し)らずは、故(ことさ)らに人(ひと)に非(あらざ)ること然(しか)り。朕(あ)が代(
よ)に當(あた)りて、方(のり)を國國(くにくに)に布(し)くべし。以(もち)て、神主(かむぬ
し)を定(さだ)めて、周(あまね)く王道(きみがみち)を弘(ひろ)めむ。」とのりたまふ。

築石(つくし)に吾襲(あそ)の神主(かむぬし)、日向(ひむか)に吾田(あた)の神主(かむぬし)、谿羽(たには)に豐食(とようけ)の神主(かむぬし)、出雲(いづも)に杵築(きつき)の神主(かむぬし)、五瀬(いせ)に飯井(いゐ)の神主(かむぬし)、常陸(ひたち)に築羽(つくは)の神主(かむぬし)、奥北(でば)に羽黒(はくろ)の神主(かむぬし)、奧東(いはだ)に鹽竈(しほかま)の神主(かむぬし)、皆(ことこと)く定(さだま)りて、夏冬(なつふゆ)の祭祠(みまつり)の祭日(まつりひ)に齋元道(いつきみもとのみち)を暢(の)ぶ。天下(あめのした)、始(はし)めて、君道(きみがみち)を知(し)りぬ。

是(こ)れ、神道(かみながらのみち)を弘(ひろ)む。其(そ)の教(をし)への元(もと)なり。


天神本紀


時(とき)に、高皇産靈尊(たかみむすひのみこと)、百八十部(ももやそとも)の神等(かみたち)、天八意命(あまのやこころのみこと)、天太魂命(あまのふとたまのみこと)、天物梁命(あまのこやねのみこと)に勅(みことのり)して、天津神籬(あまつひもろき)、及(およ)び、天津磐境(あまついはさか)を以(もち)て、豐芦原中國(とよあしはらのなかつくに)に起樹(さした)て、亦、吾(あ)が孫(みまこ)の爲(ため)に齋(いつ)き奉(たてまつ)るべし、と。此(こ)の玄印(たかみしるし)は、斯(こ)れ、天祖(あまつみおや)、之(こ)れを許(ゆる)したまふ。天照大神(あまてらすおほみかみ)の印(しるし)として、之(こ)れを擧(あ)げて、天帝(あまつおほきみ)に授(さつ)けたまふ。天帝(あまつおほきみ)、詔(みことのり)して、天王(あまつきみ)に授(さつ)けたまふ。時(とき)に、天王(あまつきみ)、愼(つつし)みて、之(こ)れを受(うけたまは)りて、天物梁命等(あまのこやねのみことたち)に授(さつ)けたまひて、神籬(ひもろき)、磐境(いはさか)を樹(た)てしむ。御手黌(みてまな)の神籬(ひもろき)、十隅(とすみ)、皆(みな)、樹(た)て塞(ふさが)りて、鬼國(をにのくに)、獸國(けもの
くに)、蛇國(へみのくに)、人國(ひとのくに)、來(おしきた)りて讐(あた)せじと樹(た)て、左(ひだり)、四坂(よさか)、押(お)し合(あは)せ、右(みぎり)、四坂(よさか)、標(さ)し合(あは)せて、八坂(やさか)の八境(やさか)、曲國(まがくに)爲(な)せば、皇上(すめらき)も、臣下(みやつこ)も、亂(みだ)れじと樹(た)てり。神籬(ひもろき)は、神(かみ)の在(ま)す限(かぎ)り、磐境(いはさか)は、世(よ)の有(あ)る限(かぎ)りなり。

是(こ)れ、齋元(いつきみもと)の法(みのり)は、月氏(おほからくに)、辰旦(なかからくに)、三韓(みからくに)、諸國(もろくに)、蠻國(ひなくに)に勝越(ことすぐ)れて、唯(ただ)、吾(あ)が國(くに)一(ひとくに)のみ日祚(あまつひつぎ)質(ただし)き、靈國(あやしくに)、神國(かみつくに)たる、其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。


神事本紀


時(とき)に、天照大神(あまてらすおほみかみ)、天八意神(あまのやこころのかみ)に告曰(のりたまは)く、「天祖(あまつみおや)の道(みち)とは、是(こ)れ、神籬(ひもろき)を建(た)て、磐坂(いはさか)を建(た)つるにあり。

其(そ)の神籬(ひもろき)を建(た)て、磐坂(いはさか)を建(た)つる道(みち)は、乃(すなは)ち、神(みたま)の邪(わろさ、よこしま、けがれ)を祓(はら)ひ、神(みたま)の正(ただしさ)に住(ととま)る。是(こ)れなり。

神(みたま)を正(ただ)すの道(みち)は、只(ただ)、心(こころ)を修(をさ)むるに在(あ)り。

心(こころ)を修(をさ)むる道(みち)は、理(ことわり)を明(あきら)むるに在(あ)り。

理(ことわり)を明(あきら)むる道(みち)は、氣(みいき)を養(やしな)ふに在(あ)り。

氣(みいき)を養(やしな)ふの道(みち)は、境(さかひ)を貞(さだか)にするに在(あ)り。

境(さかひ)、貞(みさを)を得(う)るときは、氣(みいき)、亂(みだ)れず。

氣(みいき)、亂(みだ)れざるときは、理(ことわり)、紛(まぎ)れず。

理(ことわり)、紛(まぎ)れざるときは、心(こころ)迷(まよ)はず。

心(こころ)、迷(まよ)はざるときは、神(みたま)、正(ただし)を得(え)む。

神(みたま)、正(ただし)を得(う)るときは、邪僻(わろさ、よこしま、けがれ)解(ち)りて、神籬(ひもろき)建(た)ち、磐坂(いはさか)建(た)つのみ。

天孫(あめみま)は、徳(いさをし)立(た)ち、威(いきほひ)立(た)ち、祚(ひつぎ)立(た)ち、治(をさめ)立(た)ち、貢(みつき)立(た)つのみ。

又、其(そ)れ、臣庶(やつこら)は、徳(いさをし)立(た)ち、身(わがみ)立(た)ち、家(いへ)立(た)ち、官(つかさ)立(た)ち、財(たから)立(た)つのみ。

國家(くにいへ)は、五(いくさ)の中(なか)に立(た)ちて、而(しか)も、續(つづ)くときは、又、續(つづ)くことを得(え)む。

之(こ)れを世界(よのなか)の成(な)る本(もと)と道(い)ふ。之(こ)れを世界(よのなか)の要道(むなつみち)と謂(い)ふ。

是(こ)れ、五鎭(いしづ)を修(をさ)むるに、序(しな)有(あ)りて、之(こ)れを得(う)る、其(そ)の教(をし)への元(もと)なり。

宗徳経

五鎮

神、心、理、氣、境。


【境】①陰、②目、③耳、④鼻、⑤口
【氣】①大陽(寒氣)、②終陰(風氣)、③兩小陰陽(熱氣)、④限陽(燥氣)、⑤大陰(湿氣)
【理】①縁、②生、③極、④易、⑤定、
【心】①禮、②仁、③智、④義、⑤信、
【神】①黒精、②青魂、③赤神、④白魄、⑤黄靈、

【神】   【心】  【理】   【氣】   【境】

黒精(和魂)、礼心、縁理、太陽(寒氣-水) 陰
青魂(幸魂) 仁心、生理、終陰(風氣-木) 目
赤神(荒魂)、智心、極理、両小(熱氣-火) 耳
白魄(奇魂)、義心、易理、限陽(燥氣-金) 鼻
黄霊(術魂)、信心、定理、大陰(湿氣-土) 口


【宗源道神籬磐坂之修徳図】


【天祖の道】神←心←理←氣←境

天孫、徳、威、祚、治、貢

臣庶、徳、身、家、官、財


経教本紀


宗徳經

五鎭(いしづ)、第一(神-心-理-氣-境)

(天照大御神の神勅)

天祖(あまつみおや)の道(みち)は、是(こ)れ、神籬(ひもろき)を建(た)て、磐坂(いはさか)を建(た)つるにあり。

(聖徳太子の御釈)

天祖(あまつみおや)の道(みち)とは、帝天(あまつみおや)の聖命(みことのり)にして、皇極(あまつひつぎ)の宗法(もとつみのり)なり。

神籬(ひもろき)、磐坂(いはさか)とは、神璽(みしるし)の靈理(みことわり)にして、帝道(まつりごと)の尊軌(たかつみのり)なり。

其(そ)の體(むね)は、仁善(うつくしび)にして、其(そ)の用(わざ)は、禮正(つつしみ)なり。

(天照大御神の神勅)

其(そ)れ、神籬(ひもろき)を建(た)て、磐坂(いはさか)を建(た)つるの道(みち)は、乃(すなは)ち、神(みたま)の邪(わろさ、よこしま、けがれ)を祓(はら)ひ、神(みたま)の正(ただしさ)に住(とと)まる。是(こ)れなり。

(聖徳太子の御釈)

神(みたま)は、元(もと)より、邪(わろさ、よこしま、けがれ)無(な)くして聖(きよらか)なり。
人(ひと)の心(こころ)に降(くだ)りて、肇(はし)めて、邪(わろさ、よこしま、けがれ)と爲(
な)る。志(こころさす)、思(おもふ)、慮(はかる)、識(さとる)の邪(わろさ、よこしま、けがれ)を治(をさ)め、靈明(みたま)の元聖(もとのきよらかさ)に歸(かへ)る。是(こ)れに住(とと)まる。

(天照大御神の神勅)

神(みたま)を正(ただ)すの道(みち)は、只(ただ)、心(こころ)を修(をさ)むるに在(あ)り。

(聖徳太子の御釈)

心(こころ)は、元(もと)より、惡(わろさ)無(な)くして善(いさぎよき)なり。

人(ひと)の理(ことわり)に因(よ)りて、肇(はし)めて、惡(わろさ)を爲(な)す。從(したかふ)、反(あたなふ)、好(このむ)、嫌(そねむ)の惡(わろさ)を理(をさ)めて、忠恕(こころ)の元善(もとのいさぎよさ)に止(とと)まる。是(こ)れ、之(こ)れを修(をさ)む。

(天照大御神の神勅)

心(こころ)を修(をさ)むるの道(みち)は、理(ことわり)を明(あきら)むるに在(あ)り。

(聖徳太子の御釈)

理(ことわり)は、元(もと)より、紛(まぎれ)無(な)くして正(ただしかる)なり。諸人(もろひと)の氣(いき)に臨(のぞ)みて、始(はし)めて、紛(まぎれ)を爲(な)す。荒(あらぶる)、變(うつらふ)、偏(かたよる)、浮(うかるる)の紛(まぎれ)を道(をさ)めて、中貞(ことわり)の元正(もとのただしさ)を定(さだ)む。是(こ)れ、之(こ)れを明(あ)かす。

(天照大御神の神勅)

理(ことわり)を明(あきら)むるの道(みち)は、氣(みいき)を養(やしな)ふに在(あ)り。

(聖徳太子の御釈)

氣(みいき)は、元(もと)より、「言編に孛」(みだり)無(な)くして洪(ながる)なり。諸人(もろひと)の境(さかひ)に零(お)ちて、始(はし)めて、悖(みだり)を爲(な)す。見(みる)、聞(きく)、嗅(かぐ)、覺(ふる)の悖(みだり)を平(をさ)めて、正清(みいき)の元洪(もとのながれ)を尼(さだ)む。是(こ)れ、之(こ)れを養(やしな)ふ。

(天照大御神の神勅)

氣(みいき)を養(やしな)ふの道(みち)は、境(さかひ)を貞(さだ)かにするに在(あ)り。

(聖徳太子の御釈)

境(さかひ)は、元(もと)より、私(わたくし)無(な)くして公(おほやけ)なり。人(ひと)の
神(みたま)に耽(ふ)けて、初(はし)めて、私(わたくし)を爲(な)す。望(のぞむ)、入(い
るる)、通(かよふ)、發(ひらく)の私(わたくし)を治(をさ)めて、聰明(さかひ)の元公(も
とのおほやけさ)を諮(はか)る。是(こ)れ、之(こ)れを貞(さだ)かにす。

(天照大御神の神勅)

境(さかひ)、貞(みさを)を得(う)るときは、氣(みいき)、亂(みだ)れず。

(聖徳太子の御釈)

境(さかひ)を立(た)つるの道(みち)は、目(め)、耳(みみ)、鼻(はな)、口(くち)、陰(みと)、其(そ)の公(おほやけなるもの)を貞(さだ)かにす。是(こ)れなり。目(め)は、理色(ことわり)に瞬(まばた)き、耳(みみ)は、
理音(ことわり)に聳(き)き、鼻(はな)は、理氣(ことわり)に通(とほ)し、口(くち)は、理用(ことわり)に啓(ひら)き、陰(みと)は、理儀(ことわり)に交(まじ)はる。是(こ)れを境(さかひ)、貞(みさを)を得(う)ると謂(い)ふ。氣(みいき)は、爰(ここ)に「言編に孛」(みだ)れず。

(天照大御神の神勅)

氣亂(みいきみだ)れざるときは、理(ことわり)、紛(まぎ)れず。

(聖徳太子の御釈)

氣(みいき)を立(た)つるの道(みち)は、肝(きも)、心(さね)、肺(いきふくろ)、脾(よこし)、腎(むらと)、其(そ)の洪(なが)れを養(やしな)ふ。是(こ)れなり。肝(きも)は、當然(しかるべき)に動(うご)き、心(さね)は、當然(しかるべき)に利(き)き、肺(いきふくろ)は、當然(しかるべき)に哀(あはれ)み、脾(よこし)は、當然(しかるべき)に念(おも)ひ、腎(むらと)は、當然(しかるべき)に慾(たし)む。是(こ)れを氣(みいき)「言編に孛」(みだ)れずと謂(い)ふ。理(ことわり)は、爰(ここ)に紛(まぎ)れず。

(天照大御神の神勅)

理(ことわり)、紛(まぎ)れざるときは、心(こころ)、迷(まよ)はず。

(聖徳太子の御釈)

理(ことわり)を立(た)つるの道(みち)は、縁(よさし)、生(ならし)、極(きはめ)、易(かはり)、定(さだめ)の正(ただしさ)を明(あきら)かにす。是(こ)れなり。縁(よさし)は、敬物(つつしむもの)に託(かか)り、生(ならし)は、徳事(よきこと)を成(な)し、極(きはめ)は、道時(
みちのとき)を遂(と)げ、易(かはり)は、善位(よきくらゐ)に遷(うつ)り、定(さだめ)は、誠地(まことのさかひ)に鎭(しづ)まる。是(こ)れ
を理(ことわり)紛(まぎ)れずと謂(い)ふ。心(こころ)は、爰(ここ)に、迷(まよ)はず。

(天照大御神の神勅)

心(こころ)、迷(まよ)はざるときは、神(みたま)、正(ただしさ)を得(う)。

(聖徳太子の御釈)

心(こころ)を立(た)つるの道(みち)は、仁(めぐみ)、智(さとり)、義(ただし)、禮(ゐやび)、信(まこと)の善(よみ)を修(をさ)む。是(こ)れなり。仁(めぐみ)は、徳化(みちひき)の體(むね)。其(そ)の用(わざ)は、惡(にく)まず。智(さとり)は、理致(ことわり)の體(むね)。其(そ)の用(わざ)は、蒙(くら)まず。義(ただし)は、道行(おこなひ)の體(むね)。其(そ)の用(わざ)は、免(ゆる)さず。禮(ゐやび)は、節文(つつしみ)の體(むね)。其(そ)の用(わざ)は、亂(みだ)らず。信(まこと)は、慇懇(ねもころ)の體(むね)。其(そ)の用(わざ)は、詐(いつは)らず。

(天照大御神の神勅)

神(みたま)、正(ただしさ)を得(う)るときは、邪僻(わろさ、よこしま、けがれ)解(ち)りて、
神籬(ひもろき)も建(た)ち、磐坂(いはさか)も建(た)つ。

(聖徳太子の御釈)

神(みたま)を立(た)つるの道(みち)は、魂(あをみたま)、神(あけみたま)、魄(しろみたま)、靈(きいみたま)、精(くろみたま)の聖(きよさ)を正(ただ)す。是(こ)れなり。

魂(あをみたま)は、諌(いさめ)に怒(いか)らず。
神(あけみたま)は、利(くほさ)に喜(よろこ)ばず。
魄(しろみたま)は、極(きはまり)を憂(うれ)へず。
靈(きいみたま)は、乏(ともしき)を悲(かなし)まず。
精(くろみたま)は、義(ことわり)を恐(おそ)りず。

是(こ)れを神(みたま)、正(ただしさ)を得(う)ると謂(い)ふ。極(きは)めは、爰(ここ)に立建(なりた)つ。

(天照大御神の神勅)

天孫(あめみま)は、徳(いさをし)立(た)ち、威(いきほひ)立(た)ち、祚(ひつぎ)立(た)ち、治(をさめ)立(た)ち、貢(みつき)立(た)つのみ。

(聖徳太子の御釈)

五(いくさのもの)立(た)つに序(つぎてのしな)有(あ)り。徳(いさをし)立(た)ちて威(いきほひ)立(た)ち、威(いきほひ)立(た)ちて祚(ひつぎ)立(た)ち、祚(ひつぎ)立(た)ちて治(をさめ)立(た)ち、治(をさめ)立(た)ちて貢(みつき)立(た)つ。

無徳(いさをしなき)の威(いきほひ)は、害威(ひところしのいきほひ)なり。戮(ころ)さずは得(え)ず。君子(きみびと)の用(もち)ゐざる所(ところ)なり。

無威(いきほひなき)の祚(ひつぎ)は、婦祚(たわやめのひつぎ)なり。諛(へつら)はずは、得(え)ず。大夫(ますらを)の用(もち)ゐざる所(ところ)なり。

無祚(ひつぎなき)の治(をさめ)は、賊治(ぬすひとのをさめ)なり。偸(ぬす)まずは、得(え)ず。義者(ただしなすひと)の用(もち)ゐざる所(ところ)なり。

無治(をさめなき)の貢(みつき)は、劫貢(かすみのみつき)なり。奪(うば)はずは、得(え)ず。仁者(めぐみなすひと)の用(もち)ゐざる所(ところ)なり。

無貢(みつきなき)の徳(いさをし)は、虚徳(いつはりのいさをし)なり。陰(かく)れずは、得(え)ず。實人(まめなるひと)の用(もち)ゐざる所(ところ)なり。

徳(いさをし)は、本位(もとつくらゐ)にして、先(ま)づ之(こ)れを修(をさ)む。

貢(みつき)は、末位(すゑつくらゐ)にして、後(のち)に之(こ)れを修(をさ)む。

威(いきほひ)と祚(ひつぎ)と治(をさめ)とは、鼎(かなへ)の位(くらゐ)、央(なかころ)にして之(こ)れを修(をさ)む。

是(こ)れ、王者(おほきみ)の五立(いしなのみのりをたつるみち)なり。

(天照大御神の神勅)

臣庶(やつこら)は、徳(いさをし)立(た)ち、身(わがみ)立(た)ち、家(いへ)立(た)ち、官(つかさ)立(た)ち、財(たから)立(た)つ。
是(こ)れのみ。

(聖徳太子の御釈)

五立(いつたて)に、本末(もとすゑ)有(あ)り。末(すゑ)は、本(もと)によりて成(な)る。

徳(いさをし)は、身(わがみ)の本(もと)。身(わがみ)は、家(いへ)の本(もと)。家(い
へ)は、官(つかさ)の本(もと)。官(つかさ)は、財(たから)の本(もと)。皆(みな)、君子(きみひと)の修(をさ)むる所(ところ)なり。

小人(をさなきひと)は、本(もと)を失(うしな)ひて末(すゑ)を索(もと)む。是(こ)れ、根(ね)を絶(た)ちて、梢(こすゑ)を榮(さか)へしめむと欲(ほり)するが如(ごと)し。偏(かたよ)る者(もの)は、本(もと)を樂(たのし)み、末(すゑ)を厭(いと)ふ。是(こ)れ、泉(いづみ)を愛(め)でて、國澤(くにのうるほひ)を惡(にく)むが如(ごと)し。皆(みな)、君子(きみひと)に非(あら)ず。

徳(いさをし)は、國道(くにつみち)の體(むね)。財(たから)は、國道(くにつみち)の用(わざ)。共(とも)に君子(きみひと)の庸(もち)ゐる所(ところ)なり。財行(たからのみち)を知(
し)りて、徳行(いさをしのみち)を忘(わす)るる者(もの)は、父(かそ)を惡(にく)みて、友(
ともから)を愛(うつくし)むが如(ごと)し。君子(きみびと)は、之(こ)れを爲(な)さず。徳行(
いさをしのみち)を知(し)りて、財行(たからのみち)を忘(わす)るる者(もの)は、食(くひもの)
を取(と)りて、衣(ころも)を拌(すつ)るが如(ごと)し。君子(きみびと)は、之(こ)れを好(
この)まず。皆(みな)、立(た)ちて、圓(まろかた)を爲(な)し、中(ととのひ)を爲(な)す。

一(ひと)つ廢(すた)るときは、闕(かけさま)を爲(な)し、偏(かたより)を爲(な)す。圓(ま
ろかた)と中(ととのひ)とは、能(よ)く國(くに)を理(をさ)め、人(ひと)を理(をさ)むる
に任(た)へ、闕(かけさま)と偏(かたより)とは、國(くに)を理(をさ)め、人(ひと)を理(を
さ)むるに任(た)へず。實(まこと)に身(み)を修(をさ)むるに非(あら)ず。五立(いつたて)
は、五形(いゆき)の如(こと)し。一(ひと)つをも欠(か)くときは、行(めぐ)らず。故(か)れ、
皇天(あまてらすおほみかみ)、五立(いつたて)を立(た)つるのみ。是(こ)れ、臣者(みやつこ)の五立(いしなのみのりをたつるみち)なり。

(天照大御神の神勅)

國家(くに)は、五(いつ)つの中(なか)に立(た)ちて、而(しか)も、續(つづ)くときは、又、續(つづ)くことを得(え)む。

(聖徳太子の御釈)

五立(いつたて)は、王(おほきみ)と臣(みやつこ)とに在(あ)りて、象(ありさま)を異(こと)にし、理(ことわり)を一(ひと)つにす。王(おほきみ)は、祚(ひつぎ)の爲(ため)に、之(こ)れを修(をさ)め、民(たみ)の爲(ため)に、之(こ)れを力(つと)む。臣(やつこ)は、王(おほきみ)の爲(ため)に、之(こ)れを修(をさ)め、家(いへ)の爲(ため)に、之(こ)れを力(つと)む。共(とも)に、己(わたくし)に非(あら)ず。五立(いつたて)を日日(ひひ)に顧(かへり)みて、而(しか)も、修(おこな)ひて、之(こ)れを續(つづ)くときは、國(くに)を治(をさ)め、民(たみ)を安(やす)みすること又續(つづ)きて絶(た)へず。是(こ)れ、聖君(ひじりのきみ)、賢臣(さかしひと)すら、然(しか)も、聖道(ひじりのみち)を行(おこな)ふの道(みち)なり。

(天照大御神の神勅)

之(こ)れを世界(よのなか)の成(な)る本(もと)と道(い)ふ。

之(こ)れを世界(よのなか)の要道(かなめのみち)と謂(い)ふ。

(聖徳太子の御釈)

五鎭(いしづ)の教(をし)へは、教中(をしへのなか)の至教(みをしへ)、學中(まなびのなか)の
至學(みまなび)なり。所以(ゆゑ)は、何(いかに)となれば、唯(ただ)、五鎭(いしづ)の學(ま
な)びに有(あ)りて、獨(ひと)り内神(うちかみ)に稱(かな)ひて外神(とつかみ)に應(こた)へ、内氣(うちいき)に稱(かな)ひて、外氣(とついき)に應(こた)へ、以(もち)て、理(ことわり)儘(つ)くし、事(ことわざ)儘(つ)くして、五立(いつたて)の徳(いさをし)を圓(まとらか)にするに至(いた)るによりてなり。


(了)

宗徳経:五鎮修法、さらに詳しく!!! - トバル

2015/08/14 (Fri) 17:38:30

貞境、第二(目-耳-鼻-口-陰)


(天照大御神の神勅)

境(さかひ)を貞(ただ)しくするに、乃(すなは)ち、道(みち)有(あ)り。

見(み)ずといふこと無(な)くして見(み)ず。
聞(き)かずといふこと無(な)くして聞(き)かず。
「鼻偏に臭」(か)がずといふこと無(な)くして「鼻偏に臭」(か)がず。
食(は)まずといふこと無(な)くして食(は)まず。
婬(まぐ)はずといふこと無(な)くして婬(まぐ)はず。

(聖徳太子の御釈)

目(め)は、物(もの)を見(み)て境界(さかひ)を立(た)つるの境(さかひ)なり。
色(いろ)を好(この)むに於(おい)て、境界(さかひ)を到(たふ)す。之(こ)れを見(み)ず。

耳(みみ)は、理(ことわり)を聞(き)きて世間(よのなか)を立(た)つるの境(さかひ)なり。
妄(みだり)を入(い)るるに於(おい)て、世間(よのなか)を到(たふ)す。之(こ)れを聞(き)かず。

鼻(はな)は、氣(いき)を通(とほ)して生涯(いくみ)を保(たも)つの境(さかひ)なり。
愛(めで)を入(い)るるに於(おい)て、生涯(いのち)を損(そこな)ふ。之(こ)れを「鼻偏に臭」(か)がず。

口(くち)は、穀(たなもの)を食(は)みて身命(いのち)を養(やしな)ふの境(さかひ)なり。
美(あぢはひ)を恣(ほしきまにま)にするに於(おい)て、身命(いのち)を破(やぶ)る。之(こ)れを食(は)まず。

陰(みと)は、義(ことわり)に娶(めと)りて、子孫(うみのこ)を嗣(つ)ぐの境(さかひ)なり。
欲(ほしみ)に「女偏に「枕の右側の字」(ふけ)るに於(おい)て、徳功(みさを)を失(うしな)ふ。之(こ)れを婬(みだ)らず。

是(こ)れ、五境(いしなのさかひ)を貞(さだ)かにするの麁貞(あらしなのただしかた)なり。

(天照大御神の神勅)


節(ほと)を置(お)く所(ところ)、虚(うつそら)に歸(かへ)る所(ところ)なり。

(聖徳太子の御釈)

境(さかひ)有(あ)れば、入(い)るること有(あ)り。境(さかひ)に於(おい)て咎(とが)無(な)し。
入(い)るるに於(おい)て咎(とが)有(あ)り。故(か)れ、入(い)るるを以(もち)て、節(ほと)を
置(お)き、節(ほと)を得(え)て、之(こ)れを入(い)るるときは、入(い)るると亦(と)も咎(とが)
無(な)し。其(そ)の咎(とが)有(あ)るは、是(こ)れ、凡者(ただひと)なり。其(そ)の咎(とが)無(
な)きは、即(すなは)ち、賢者(さかしひと)なり。咎(とが)無(な)きに至(いた)ると又(も)、氣(
いき)無(な)きこと能(あた)はず。其(そ)の氣(いき)、還(かへ)りて、咎(とが)を作(おこ)す。
彼(か)の氣(いき)、野(つたなか)るや、咎(とが)よりも甚(はなはだ)し。是(ここ)を以(もち)て、
聖者(ひしり)の行(しめし)は、咎(とが)無(な)きを用(もち)て虚(うつそら)に歸(かへ)り、氣(
いき)をして、永(なが)く絶(たたし)め、其(そ)の行(しめし)をして、前後(まへうしろ)に咎(とが)を無(なからし)む。

是(こ)れ、五境(いしなのさかひ)を貞(さだ)かにするの細貞(こましなのただしかた)なり。


(天照大御神の神勅)

我(われ)をして天(あめ)たらしめ、天(あめ)をして我(われ)たらしむ。

(聖徳太子の御釈)

虚(うつそら)に歸(かへ)る者(もの)は、徳(いきほひ)も無(な)く、功(いさをし)も無(な)し。

無爲(ただり)にして空(そらさか)に入(い)る。或(ある)いは、路(みち)に差(たが)ひて道(みち)を斷(た)つ。

故(か)れ、天道(あまつみち)を窮(きは)めず。天(あめ)は、是(こ)れ、無爲(ただり)にして
度政(のりまつりこと)し、維(こ)れ、正(ただ)し。虚(うつそらこころ)に歸(かへ)るを以(も
ち)て、天(あめ)に入(い)り、度政(のりまつりこと)を以(もち)て、己(おのれ)に入(い)る。

是(こ)れ、聖者(ひしり)の行(しめし)し所(ところ)、神人(かみつひしり)の道(みち)なり。

是(こ)れ、五境(いしなのさかひ)を貞(さだ)かにするの上貞(かみしなのただしかた)なり。

(了)

(「境鎮」画像)

医綱本紀

支體

目(め)は、肝(きも)の竅(あな)なり。筋(すぢ)、又、此(こ)れに屬(たぐ)ふなり。
筋(すぢ)の餘(あま)り、爪(つめ)と成(な)る。

舌(した)は、心(さね)の竅(あな)なり。血(ち)、又、此(こ)れに屬(たぐ)ふなり。
血(ち)の餘(あま)り、髪(かみ)と成(な)る。

口(くち)は、脾(よこし)の竅(あな)なり。肉(しし)、又、此(こ)れに屬(たぐ)ふなり。
肉(しし)の餘(あま)り、肌(はだ)と成(な)る。

鼻(はな)は、肺(いきふくろ)の竅(あな)なり。皮(かわ)、又、此(こ)れに屬(たぐ)ふなり。
皮(かわ)の餘(あま)り、毛(け)と成(な)る。

耳(みみ)は、腎(むらと)の竅(あな)なり。骨(ほね)、又、此(こ)れに屬(たぐ)ふなり。
骨(ほね)の餘(あま)り、齒(は)と成(な)る。

陰(みと)は、命門(みと)の竅(あな)なり。精(いきほひ)、又、此(こ)れに屬(たぐ)ふなり。
精(いきほひ)の餘(あま)り、聲(こゑ)と成(な)る。

其(そ)の竅(あな)、其(そ)の屬(たぐひ)、病(やまひ)有(あ)るときは、臓(はらきも)を治(なほ)して本(もと)を正(ただ)す。手足(
てあし)、頭(くび)、躯(むくろ)、經絡(つれち)通(とほ)れり。本(もと)に依(よ)りて標(すゑ)を治(なほ)す。

御語本紀

道氣

御食子連公(みけこのむらじのきみ)、白(まを)して曰(まを)しつらく、「六氣(むいき)の迷屈(まよひ)
や如何(いか)に。」とまをしつ。曰(のりたまは)く、「六氣(むいき)は、天(あめ)に在(あ)り。分(わ
か)れて天地(あめつち)を司(つかさと)る。又、是(こ)れ、人(ひと)に在(あ)り。得(え)て、内外(
うちと)を司(つかさと)る。内氣(うちいき)は、肺(いきふくろ)、心(さね)、脾(よこし)、肝(きも)、
腎(むらと)、外氣(とついき)は、鼻(はな)、耳(みみ)、口(くち)、陰(ほと)、内氣(うちいき)
は、火識(さか)り動(うご)くときは、外氣(とついき)、頼(よ)り發(おこ)り、外氣(とついき)に
触(ふ)れ馴(な)るるときは、内氣(うちいき)、萌(も)へ發(おこ)る。内氣(うちいき)、萌(も)へ
發(おこ)り、外氣(とついき)、頼(よ)り發(おこ)るときは、執(とりこころ)強(つよ)く、色(い
ろ)に戯(たはぶ)れ、香(か)に染(そま)り、声(こえ)に小魚日(なじ)み、味(あぢ)に著(つ)き、
「女編に夕缶」(たはけ)に「女編に耽」(ふ)けて、而(しか)も意(おもひ)を迷(まよは)せ、心(こころ)を
晦(くもら)せ、行(おこなひ)を猥(みだ)り、儀(ふるまひ)を邪(よこしま)にし、千頭(ちたり)の
萬口(もろひと)、覚(さとり)を失(うしな)ひ、迷(まよひ)に沈(しづ)む。所由(よし)、茲(ここ)に在(あ)り。」とのりたまふ。

白(まを)して言(まを)しつらく、「云何(いか)にして、之(こ)れを治(をさ)めむ。」とまをしつ。

曰(のりたまは)く、「治(をさ)むる法(のり)に四(よしな)有(あ)り。

征治(うちせめのをさめ)、服治(まつらひのをさめ)、退治(さけのきのをさめ)、恐治(をそれのをさめ)なり。

所謂(いはゆる)、征治(うちせめのをさめ)は、君王(おほきみ)、夷戎(えみし)を制(きた)むが如(ごと)し。

性(さが)は、是(こ)れ、君(おほきみ)、氣(いき)は、是(こ)れ、臣(みやつこ)なり。

性徳(さがのいきほひ)に止(とど)まるときは、氣(いき)、邪(よこしま)たるとも自(おのつか)ら伏(したか)ふ。

所謂(いはゆる)、服治(まつらひのをさめ)は、宰職(まへつきみ)、官事(つかさこと)を規(ただ)すが猶(ごと)し。

内外(うちそと)、發(おこ)る所由(よし)を規(ただ)す。其(そ)の非(あし)を避(さ)くるときは、發氣(おこるいき)、自(おのつか)ら和(やはら)ぐ。

所謂(いはゆる)、退治(さけのきのをさめ)は、穏者(かくれひと)の乱(みだれ)を退(さ)け遁(のか)るるが若(ごと)し。

気業(いきのわざ)、縁(よさし)に元(はしま)りて安(やすき)を為(な)すことを知(さと)りて、而(しか)も、
氣縁(いきのよさし)を棄(す)つるときは、性(さが)、平(ひら)にして以(もち)て自(おのつか)ら得(え)るなり。

所謂(いはゆる)、恐治(をそれのをさめ)は、善者(よきひと)、王法(おほきみのみのり)を恐(おそ)るるが若(ごと)し。

禍害(わざはひ)に酬(むくは)れむことを知(さと)り、氣逸(いきはせ)の業(わざ)を作(な)さざるときは、罪咎(つみとが)有(あ)るといふこと無(な)し。

一(つぎつひとつ)は、君子(きみひと)の治(をさめ)、二(つぎつふたつ)は、学者(まねぶひと)の
治(をさめ)、三(つぎつみつ)は、穏者(かくれひと)の治(をさめ)、四(つぎつよつ)は、衆緒(も
ろひと)の治(をさめ)、品(しな)、別(わか)れども、功(いさをし)は、同(おな)じなり。機(をり)に任(まか)せ、力(ちから)に任(まか)す。」とのりたまふ。


養氣、第三


(天照大御神の神勅)

氣(みいき)を養(やしな)ふに又道(みち)有(あ)り。

血(さなこのち)、昇(のぼ)らむと欲(ほり)するときは、之(こ)れを降(くだ)し、
筋(きものすぢ)、張(は)らむと欲(ほり)するときは、之(こ)れを窕(くつろ)げ、
息(いきふくろのいき)、荒(あら)げむと欲(ほり)するときは、之(こ)れを平(たひら)げ、
肉(よこしのしし)、熾(さか)りならむと欲(ほり)するときは、之(こ)れを和(やはら)げ、
精(むらとのいきほひ)、伐(ほこ)らむと欲(ほり)するときは、之(こ)れを鎭(しづ)む。

(聖徳太子の御釈)

血(さなこのち)は、是(こ)れ、小陰(ほそめいき)なり。

心(こころ)、迫(せま)るときは、昇(のぼ)り、理(ことわり)に復(かへ)るときは、降(くだ)る。

筋(きものすぢ)は、是(こ)れ、終陰(はてめいき)なり。

情(おもひ)、怒(いか)るときは、張(は)り、仁(めぐみ)に復(かへ)るときは、窕(くつろ)ぐ。

息(いきふくろのいき)は、是(こ)れ、限陽(はてをいき)なり。

氣(いき)、溢(あふ)るるときは、荒(あら)く、義(ただし)に歸(かへ)るときは、平(をさま)る。

肉(よこしのしし)は、大陰(ふとめいき)なり。

意(むなはせ)、貪(むさほ)るときは、熾(さか)り、道(みち)に歸(かへ)るときは、和(やはら)ぐ。

精(むらとのいきほひ)は、大陽(ふとをいき)なり。

欲(ほしみ)を發(おこ)すときは、伐(ほこ)り、貞(みさを)に歸(かへ)るときは、鎭(しづま)る。

是(こ)れ、五氣(いしなのいき)を養(やしな)ふの麁養(あらしなのひたしかた)なり。

(著者補注、小陰(心)-限陽(肺)-小陽・大陽(腎)-大陰(脾)-終陰(肝))


(天照大御神の神勅)

腹(はら)に復(かへ)り、虚(そら)を呑(の)み、清(すみ)を呑(の)みて、人(ひと)の仁(めぐみ)と人(ひと)の義(ただし)と無(な)し。

(聖徳太子の御釈)

氣(いきはせ)は、是(こ)れ、天氣(あめいき)を稟(う)けて度行(のりはせ)を以(もち)てす。

人好(ひとのよしみ)に隨(したか)ひ、諸縁(もろもろのよさし)に憑(よ)りて、非時(あらぬとき)に
發(おこ)る。仁義(めぐみとただし)は、能(よ)く之(こ)れを理(をさ)む。理(をさ)めて、情(お
もひ)を終(つ)くせざるは、是(こ)れ、人(ひと)の仁(めぐみ)、仁義(めぐみとただし)の情(おも
ひ)に隣(とな)る所以(ゆゑ)なり。故(か)れ、聖者(ひしり)は、仁義(めぐみとただし)の腹(はら)
に之(こ)れを入(い)れまくするに虚(そら)を以(もち)てし、清(すみ)を以(もち)てす。然(しか)
も之(こ)れを入(い)るるときは、有爲(ことなし)の小仁(ほそめぐみ)、小義(ほそただし)、忽(た
ちま)ちに、象(かたち)を更(あらた)めて、即(すなは)ち、無爲(ただり)の大仁(おほめぐみ)、大
義(おほただし)と成(な)して、而(しか)も、仁義(めぐみとただし)を離(はな)れて仁義(めぐみとただし)に尼(ととま)る。

是(こ)れ、五氣(いしなのいき)を養(やしな)ふの細養(こましなのひたしかた)なり。

(天照大御神の神勅)

道(みち)をして、靈(みたま)に歸(かへ)し、造化(みつくり)に置(お)き、氣(いき)をして、
元(おのがみもと)に置(お)き、弘(ひろめ)を極(あまつきはめ)に逮(およばし)むるときは、身(み)に天(あめ)に滿(み)ちずといふ所(ところ)を無(な)し。

(聖徳太子の御釈)

虚腹(うつはら)、清胸(きよむね)は、道(みち)、成(な)るの象(かたち)、道靈(みちたま)、造化(みつくり)は、道(みち)を成(な)すの眞(まこと)なり。

象(かたち)を得(え)て、道(みち)の咎(とが)を解(と)き、眞(まこと)を得(え)て、道(みち)
の極(きはめ)を致(いた)す。氣(いき)を自元(おのがもと)に安(お)くときは、天元(あま
つみもと)に安(お)き、弘(ひろめ)を天極(あまつきはめ)に安(お)くときは、自極(おのが
きはめ)、天(あめ)と爲(な)る。爰(ここ)に至(い)りて、洪氣(ひろいき)、身(み)に滿(
み)ち、天(あめ)に滿(み)つ。爰(ここ)に造化(みつくり)を身(み)に入(い)れ、天度(あまつみのり)を我(われ)に任(ま)く。

是(こ)れ、五氣(いしなのいき)を養(やしな)ふの上養(かみしなのひたしかた)なり。

(了)
(「気鎮」画像)


【著者補註】

医綱本紀

略綱、大科(おほしな)、小科(ほそしな)、是(こ)れ、天有(かみながら)の大道(おほみち)なり。

夫(そ)れ、医療術(いやしのわざ)は、精微(くはしくほのか)にして学中(まねびのうち)の絶学(きはめのまなび)なり。

未(いま)だ天(あめ)を尽(つく)せざるときは、理(ことわり)尽(つく)せず。
未(いま)だ理(ことわり)尽(つく)せざるときは、智(さとり)尽(つく)せず。
未(いま)だ智(さとり)を尽(つく)せざるときは、術(わざ)尽(つく)せず。

未(いま)だ道(みち)を尽(つく)せざるときは、心(こころ)尽(つく)せず。
未(いま)だ心(こころ)を尽(つく)せざるときは、仁(めぐみ)尽(つく)せず。
未(いま)だ仁(めぐみ)を尽(つく)せざときは、療(いやし)、尽(つく)せず。

其(そ)の未(いま)だ術(わざ)を尽(つく)せず、又、未(いま)だ療(いやし)を尽(つく)せずは、何(なに)を以(もち)てか賢医(さかしきいやしひと)の徳(いきほひ)に至(いた)らむ。

故(か)れ、医(いやし)は、唯(ただ)、病疾(やまひ)を療(いや)すのみに非(あら)ざるの能(わざ)を云(い)ふ。療(いやし)、天(かみ)なるのみ。

天道、第三

初五運

天道(あまつみち)、五運(いつれのめぐり)を為(な)す。木(き)、火(ひ)、土(ひぢ)、金(かね)、水(みつ)、是(こ)れなり。

人身(ひとのむくろ)、五臓(いつれのみくら)を成(な)す。肝(きも)、心(さなこ)、脾(よこし)、肺(いきふくろ)、腎(むらと)、是(こ)れなり。

運(めぐり)と臓(みくら)、一(ひとつ)にして、天(あめ)に随(したか)ひ、安(やすき)を成(な)し、病(やまひ)を受(う)く。

運(めぐり)に大過(こや)と不及(もや)と有(あ)り。

能(よ)く剋(せむ)るは、剋(せむ)る所(ところ)に有(あ)り。
能(よ)く生(なら)すは、生(なら)す所(ところ)に有(あ)り。
能(よ)く加(くはふ)るは、加(くはふ)る所(ところ)に有(あ)り。

能(よ)く剋(せむ)るの運氣(めぐりのみいき)、大過(こや)なるときは、剋(せむ)る所(ところ)の
臓氣(みくらのいき)、自(みつか)ら運邪(めぐりのわろき)を受(う)く。王(おほきみ)と為(な)る。
運(めぐり)、不及(もや)なるときは、能(よ)く剋(せむ)るの臓氣(みくらのみいき)來(きた)りて、
其(そ)の臓(みくら)を邪(よこしま)にす。

能(よ)く生(なら)すの運氣(めぐりのみいき)、大過(こや)にして、生(なら)す所(ところ)の臓氣(
みくらのみいき)、大(ふと)く實(まこと)に中(あた)るときは、實邪(まことのわろき)を成(な)して、
剋(せむ)むる所(ところ)の臓氣(みくらのみいき)、減虚(へり)を成(な)す。

能(よ)く加(くはふ)るの運氣(めぐりのみいき)、大過(こや)にして、加(くはふ)る所(ところ)の
臓氣(みくらのみいき)に中(あた)るときは、無為(ただり)にして平(ひら)を成(な)し、又、快(こころよ)し。

實(まこと)を為(な)し、邪(わろき)を生(なら)す。預(あらかじ)め養(やしな)ひて、其(そ)の
臓(みくら)を護(まも)る。其(そ)の護(まもり)は、道(みち)に在(あ)り。

無為(ただり)を以(もち)て、情(おもひ)を平(ひら)にして臓(みくら)を穏(おだひか)にす。
無逸(をさめ)を以(もち)て、技(え)を真(まこと)にして、臓(みくら)を實(まこと)にす。


稟氣、第四

司天(あめ)を敬(つつし)み、天行(あめわざ)に応(こた)へ、在泉(よみ)を敬(つつし)み、地修(くにわざ)に応(こ)へ、
季運(としのめぐり)を敬(つつし)み、吉凶(よしあし)に応(こた)ふ。是(こ)れ、君子(きみひと)の行(わざ)なり。

司天(あめ)、在泉(よみ)に及(およ)び、中運(なか)に於(おひ)て、順逆(ままさか)の生剋(なしせめ)有(あ)り。
7くに、天(あめ)地(つち)人(ひと)の才(ものこと)の虚(そらこと)、實(まめこと)、寒(さむ)、熱(あつ)の貞三を為(な)す。
上(かみ)、中(なか)、下(しも)、焦(うち)の常(つね)、病(やみ)、異(こと)、病(やみ)の証(あかし)に及(およ)ぶ。

司天(あめ)、在泉(よみ)を剋(せ)むときは、其(そ)の氣(いき)、虚(そら)を為(な)す。又、其(そ)の生(な)すを
得(う)るときは、相(あひ)、実(まこと)なり。

在泉(よみ)、司天(あめ)を剋(せ)むときは、其(そ)の氣(いき)、邪(よこいま)を為(な)す。又、生(なし)を為(な)すときは、
其(そ)の氣(いき)、且(か)つは、逆(さか)、天(あめ)、泉(よみ)、同(とも)に氣(いき)に会(あ)ふときは、諸氣(もろいき)相(あひ)和(やはら)く。

司氣(つかさのいき)、運氣(めぐりのいき)を生(な)すときは、世氣(よのいき)、順(まま)にして和(やはら)く。
司氣、運氣を剋(せ)むときは、世氣(よのいき)、死(まか)りて老、

運氣、司氣を生(な)すときは、世氣(よのいき)、逆(さから)ひて上(のぼ)る。
運氣、司氣を剋(せ)むときは、世氣(よのいき)、乱(みだ)れて反(そむ)く。

運、司、同氣なるときは、調和、

運氣、天(あめ)に加(くは)へ、又、泉(よみ)に加(くは)へ、加(くは)ふる所(ところ)の氣(いき)は、盛(さか)りを為(な)し、
対(むかへ)に在(あ)る氣(いき)は、衰(おとろへ)を為(な)す。此(こ)の真(まこと)に吉凶(よしあし)有(あ)り。病氣(やみいき)、吉凶(よしあし)を受(う)け、病証(やみ)、氣運に応(こた)ふ。

初先天

天(あめ)以(もち)て人倫(ひとから)に降(くだ)り、必ず、主(ぬし)を一氣(ひといき)に託(よさ)して、具を六氣(むついき)に置(お)きて、

少陰(ほそめいき)の氣(いき)を稟(う)くる者は、心(さなこ)、盛(さかり)を為(な)し、肝(きも)、老(をゆる)を為(な)し、脾(よこし)、生(いき)を為(な)し、
肺(いきふくろ)、死(し)を為(な)し、腎(むらと)、逸(いたづら)を為(な)し、命(いのち)、盛(さかり)りを為(な)す。

大陰(ふとめいき)の氣(いき)を稟(うく)る者は、脾(よこし)、盛(さか)り、心(さなこ)、老(を)ひ、肺(いきふくろ)生(い)き、腎(むらと)死(まか)り、肝(きも)逸(みだ)り、命(みと)死(やぶ)る。
限陽(はてをいき)の氣(いき)を稟(うく)る者は、肺(いきふくろ)盛(さかり)、脾(よこし)老(を)ひ、腎(むらと)生(い)、肝(きも)死(やぶり)、心(さなこ)逸(みだ)れ、命(みと)逸(みだ)る、
大陽(ふとをいき)の氣(いき)を稟(うく)る者は、腎(むらと)生(い)き、肺(いきふくろ)老(を)ひ、肝(きも)生(い)き、心(さなこ)、死(やぶ)り、脾(よこし)逸(みだ)り、命(みと)老(を)ゆ。
終陰(はてめいき)の氣(いき)を稟(うく)る者は、肝(きも)盛(さか)り、腎(むらと)老(を)ひ、心(さなこ)生(い)き、脾(よこし)、死(やぶ)り、肺(いきふくろ)逸(むだ)り、命(みと)生(い)く。
少陽(ほそめいき)の氣(いき)を稟(うく)る者は、命(みと)、盛(さか)り、肝(きも)老(を)ひ、心(さなこ)盛(さか)り、脾(よこし)生(い)き、肺(いきふくろ)死(やぶ)り、腎(むらと)逸(やぶ)る。

是(こ)の如(こと)く、天氣(あめのいき)は、大陽(ふとをいき)、少陽(ほそをいき)、大陰(ふとめいき)、少陰(ほそめいき)、限陽(はてをいき)、終陰(はてめいき)の六(むつ)、
蔵氣(みくらのいき)、盛(さかり)、生(いき)、老(をひ)、逸(みだれ)、死(やぶり)の五(いつつ)。

是(こ)れ、五運、六氣(むついき)に依(よ)る。少陽氣(ほそをいき)有(あ)るを以(もち)て、命門(つぎと)の臓(みくら)有(あ)り。
命門(つぎと)の臓(みくら)有(あ)るを以(もち)て、心(さなこ)、再(ふたた)び、之(こ)れに位(くらゐ)し、盛(さか)りて壽(こ
とほき)を為(な)す。肝(きも)再(ふたた)び之(こ)れに位(くらゐ)し、老(を)ゐて害(そこなひ)少(すくな)し。
脾(よこし)、再(ふたた)び、之(こ)れに位(くらゐ)し、生(い)く養(やしなひ)を為(な)し、肺(いきふくろ)、再び之に在りて死感所、腎再び之に在りて、逸或は、危し。命、再び之に位し、盛らば、存を為す。聖人、人を見るや氣を察り、臓を知る。賢人、人を見るた臓を考へ、氣を知りて心を摂し、身を養ふ。是れ、先天の氣、人、之を稟る所なり。


次中天
人、先天の氣を稟けて降誕す。其の中間、胎中に在り。又、中天の氣を稟けて人倫の身形を成す。7袋、
7座より成りて水に包み、中に満つ。胎児、水中に在りて浸さず。両膝を立て蹲る膝かしら、両肘を受け、
両掌、刻頭を受く。臍緒7より出でて臍に入り、両膝を纏ひて腰を卜め、両肘を纏ひて肩をしめ、みな、
綾にしてし身体不動寮、此の時、口、未開、下未揺、水、体外充ち、鼻息をして吸うに通さず。之れに依
りて飲食無し。其の食べを為すは、乳汁に非ず。唯、母胎水殻の氣に在り。其の氣を為すた直食二非ず。
唯、是れ、神食にして生成を養ひ、神食微妙なり。微妙、精位を受けて胎母、飲食飲まざるべからず。欽
まざるときは、霊子、中天の邪気に穢れ、霊智を失ひ、風下落る。當に知るねし。人、吾元、神位、神位、
神なり。還りて吾上位より出でて何ぞ、日時人位を欽まざらむや。

三後天、人、六臓有りて六味を稲婿、六腑有りて六食を口臼、三焦を分けて三嘗を口綴り、二腸を分けて
二餐口帖。其の六臓は、心肝、肺、脾、腎、命、其の六腑は、小、大、月言、膀、焦、其の三焦は、上中下
其の二傷臓腑、其の六味は、酸、苦、甘、辛、歯みな、渋、其の六食は、殻、果、菜、藻、肉、其の酸嘗
飲食下世木、其の二餐は生熟是れなり。禽獣魚蟲の徒、或いは。純一、或いは、互二、未曾有人如、人能
く総べて天作の六食三嘗二餐を用ゐ、天作の六臓六腑三焦二腸を養ゐ、是れ、菜けて後天の氣、此間に欲
偏有り。欲累有り。欲疎有りて天氣に応へず。茲に於て即ち、百病を生す。

御語(みことは)に曰(い)へらく、「小人(をさなきひと)、氣(いき)を立(た)つるときは、
道(みち)立(た)つ所(ところ)を知(し)らず。氣(いき)、廢(すた)るときは、道(みち)又(も)廢(すた)る。」といへり。

御語(みことは)に曰(い)へらく、「小人(をさなきひと)の氣(いき)、騒(さはかし)きときは、事(ことわざ)も騷(さはかし)きなり。
學(まなび)又(も)騒(さはかし)きなり。道(みち)を爲(な)すと又(も)騷(さはかし)きなり。氣(いき)、緩(ゆる)むときは、事(
ことわざ)も緩(ゆる)む。學(まなび)も遂(と)ぐ所(ところ)を知(し)らず。道(みち)を爲(な)すとも状(かたち)无(な)し。」といへり。

御語(みことは)に曰(い)へらく、「小人(をさなきひと)の氣(いき)、利(と)きときは、聖(ひしり)を推(お)して、己(おのれ)を立(た)て、辨(した)、理(ことわり)を枉(ま)ぐ。」といへり。

御語(みことは)に曰(い)へらく、「小人(をさなきひと)の氣(いき)に由(よ)るときは、當(あた)らざることを計(はか)りて、而(しか)も、
人(ひと)を疑(うたか)ひ、癡情(たはけこころ)を強(し)ひて、身(み)を損(そこな)ふ。」といへり。

御語(みことは)に曰(いへ)らく、「小人(をさなきひと)の事(こと)を為(な)すや、其(そ)れ
言(い)ふこと、我(われ)、先(さきた)ち、之(こ)れを聞(き)くこと、我(われ)、先(さきた)つ。

言(い)ふこと、聞(き)くこと、互(かた)みに我(われ)を以(もち)てす。

我(われ)を以(もち)てするときは、僻(ひが)まずといふこと無(な)し。是(ここ)を以(もち)て、
政事(まつりこと)、公度(おほやけ)、正(ただしき)を得(え)ず。故(か)れ、君子(きみひと)は、先(さきた)ちて我(われ)を追(す)つ。」といへり。

道氣、第十三

御語(みことは)に曰(い)へらく、「氣(みいき)を道(をさ)むることは、學道(まなびのみち)の
大務(おほきつとめ)なり。之(こ)れを得(う)るときは、情(おもひ)を鎭(しづ)めて、性(さが)
以(もち)て位(くらゐ)し、道(みち)以(もち)て成(な)る。之(こ)れを放(はな)つときは、
情(おもひ)を熾(さか)りにして、性(さが)以(もち)て隱(かく)り、道(みち)以(もち)て敗(
やぶ)る。故(か)れ、道(みち)を學(まな)びて性(さが)に歸(かへ)り、情(おもひ)を理(を
さ)めむと欲(おも)ふ者(もの)は、先(ま)づ須(すべか)らく氣(みいき)を道(をさ)むべし。

氣(みいき)に二(ふたくさ)有(あ)り。

一(ひとくさ)に曰(いは)く、元常(ときは)の氣(みいき)なり。
二(ふたくさ)に曰(いは)く、變易(かはり)の氣(みいき)なり。

元常(ときは)の氣(みいき)は、廣博充遍(ひろくみちたる)の氣(いき)なり。
變易(かはり)の氣(みいき)は、陰變陽易(めをいきかはる)の氣(いき)なり。

其(そ)の氣(みいき)を道(をさ)むるの道(みち)は、變易(かはり)の氣(みいき)をして元常(ときは)の
氣(みいき)に歸(かへ)らしむる所以(ゆゑ)なり。元常(ときは)に歸(かへ)して時(をりをり)に變易(かはり)を使(つか)ふなり。是(こ)れ、學氣(いきまなび)の道(みち)なり。」といへり。

大連(おほむらじ)、河勝(かはかつ)、白(まを)して言(まを)しつらく、「變易(かはり)の氣(みいき)を
以(もち)て元常(ときは)の氣(みいき)に歸(かへ)す。其(そ)の道(みち)たるや云何(いかが)に。」とまをす。

曰(のりたまは)く、「身躬(むくろ)に六氣(むいき)有(あ)り。大陽(ふとをいき)の腎水(むらとのみつ)、
少陽(ほそをいき)の腎火(むらとのひ)、太陰(ふとめいき)の脾土(よこしのつち)、少陰(ほそめいき)の
心火(さねのひ)、終陰(はてめいき)の肝木(きものき)、限陽(はてをいき)の肺金(いきふくろのかね)、是(こ)れなり。

其(そ)の氣(みいき)たるや、生質(うまれながら)に強(つよ)く盛(さか)りなるときは、意(むな
さし)、未(いま)だ發(おこ)らずして、氣(みいき)、意(むなさし)を誘(さそ)ひ、以(もち)て
頻(しき)りに其(そ)の情(おもひ)を發(おこ)す。之(こ)れに由(よ)りて、意(むなはせ)、迷(
まよ)ひ屈(まが)りて、分別(ことは)ること能(あた)はず。太陽(ふとをいき)の腎水(むらとのみ
つ)盛(さか)るときは、戀情(したひのおもひ)を發(おこ)し、少陽(ほそをいき)の腎火(むらとの
ひ)熾(さか)るときは、妨情(さまたぐおもひ)を發(おこ)し、太陰(ふとめいき)の脾土(よこしの
つち)隆(さか)るときは、謀情(はかるおもひ)を發(おこ)し、少陰(ほそめいき)の心火(さねのひ)
炎(さか)るときは、好情(よしみのおもひ)を發(おこ)し、終陰(はてめいき)の肝木(きものき)繁(
しげ)るときは、恕情(なだめのおもひ)を發(おこ)し、限陽(はてをいき)の肺金(いきふくろのかね)
譽(ほ)むるときは、慢情(みだりのおもひ)を發(おこ)し、節(のり)に中(あた)らむと欲(おも)ふ
とも之(こ)れを節(ただ)すこと能(あた)はず。焉(こ)れを得(う)るに法(のり)有(あ)り。常(
つね)に氣(いき)に馴(な)れて、氣(いき)を修(をさ)め、以(もち)て、臍元(ほそもと)の正禀(
まさくら)の處(ところ)に返(かへ)して、洪遍虚如(ひろくうつろ)の極(きはめ)に入(はひ)り、
以(もち)て、氣(いき)と虚(そら)の一(ひとつなる)を成(な)して、五神(いしなのみたま)を保(
たも)つに仍(よ)らば、元常(ときは)の氣(みいき)、時(こ)の六氣(むいき)を偶然(まにま)に
正位(まさくら)に復(かへ)す。正位(まさくら)に復(かへ)すときは、之(こ)れを節(ただ)さず
して、自(おのつか)ら節(ほと)有(あ)りて、君子(きみひと)の氣(いき)と成(な)るのみ。」といへり。

御語(みことは)に曰(いへ)らく、「計(はか)るや、則(すなは)ち、臍元(ほぞもと)を以(もち)てす。

聞(き)くや、則(すなは)ち、臍元(ほぞもと)を以(もち)てす。言(い)ふや、則(すなは)ち、臍元(ほぞもと)を以(もち)
てす。
作(つく)るや、則(すな)ち、臍元(ほぞもと)を以(もち)てす。到(いた)るに當(あた)るときは、臍元(ほぞもと)を以(もち)てす。
時(とき)に臨(のぞ)むときは、臍元(ほぞもと)を以(もち)てす。公事(おほやけこと)、私事(わたくしこと)、臍元(ほぞもと)にせずといふこと無(な)くして悔(くひ)無(な)し。」といへり。

御語(みことは)に曰(いへ)らく、「氣(いき)や之(こ)れを治(をさ)むるに臍元(ほぞもと)を以(
もち)てす。之(こ)れに位(くらゐ)し、洪遍(ひろき)を以(もち)てす。位(くらゐ)して三品(みしな)を経(へる。
一(ひとつ)に曰(いは)く、不及(およばず)、二(ふたつ)に曰(いは)く、中正(なか)、三(みつ)に曰(いは)く、大過(こや)、
不及(もや)たるや云何(いか)に。微情(ほそきおもひ)に薫(くす)び、微動(ほそきうごき)に滞(とどこほ)
る。
中正(まなか)たるや云何(いか)に。性(さが)は、正如(まさやか)たり。氣(いき)は、快然(こころよき)たり。

大過(こや)たるや云何(いか)に。絶(たへ)たる無性(さがなし)、絶(たへ)たる莫聞(ききなし)

不及(もや)を透過(すきこ)し、大過(おほこや)に之(おもむ)かず。修(をさ)め得(う)るに、中正(まなか)を以(もち)てし、是(こ)れに位(くらゐ)するのみ。」といへり。

医綱本紀

腹脈

臍元(ほぞもと)を動(うごき)を為(な)す。臍下(ほぞした)一寸(ひとき)、理名(ことわりのな)は、丹田(にのた)、眞名(まことのな)は、臍元(ほぞもと)なり。
人(ひと)の元気(もといき)、この際(きは)に在(あ)り。是(こ)れ、腎命(むらとのおほせ)、精気(いきほひ)を盛(さか)りにする境(さかひ)なり。人神(ひと
のみたま)、精(いきほひ)を正(ただし)くして臍元(ほぞもと)正(ただ)し。神(みたま)、精(いきほひ)、元気(もといき)に乗(の)りて、元気(もといき)、気
脈(いきのくだ)に在(あ)り。

故(か)れ、押(お)すに虚泥(しづむ)に非(あら)ず。探(さぐ)るに動氣(うごいき)有(あ)るときは、三部(みしな)に抱(こだは)
らずして生氣(いくいき)を知(し)り、元気(もといき)、正(ただし)く為(な)る。

臍元(ほぞもと)を探(さぐ)るに、肉(はだ)厚(あつ)く、気(いき)実(まこと)にして堅(かたか)らずして堅(かたか)るが
如(ごと)きは、之(こ)れを推(お)して、殻面(たなも)の和応(たはみ)の如(こと)くにす。

是(こ)れ、元気(もといき)、正常(ただしき)たるや、甚(いた)く病(や)むと雖(いふと)も死(し)なず。

肉(はだ)薄(うす)く、氣(いき)虚(むなし)く、肉(はだ)弱(よは)く、応(こたへ)空(むなし)く、底(そこ)無(な)きは、
之(こ)れを推(お)して柔泥(やはひぢ)の如(こと)くにして張(はり)を無(な)くす。

是(こ)れ、元気(もといき)虚尽(から)たるや、7(わづ)かに病(や)むと雖(いふと)も、必(かなら)ず、死(し)ぬ。

氣脈(いきのくだ)、動(うご)きを為(な)すや、臍元(ほぞもと)を推(お)して、動氣(うごくいき)、手(て)に応(こた)へて來(く)るときは、
息(いき)絶(た)ふと雖(いふと)も死(し)なず。或いは、來(こ)ずと雖(いふと)も肉(はだ)堅(かた)くして張(は)り、氣(いき)、手(て)
に応(こた)へ、又、臍(ほぞ)に寄(よ)り、微動(かすかにうごき)有(あ)るときは、死(し)なず。

動(うご)く気(いき)、7に絶(た)へて、脇腹(わきはら)を推(へこ)むが如(ごと)きは、微(わづか)に疾(や)むと雖(いふと)も遂(つひ)に死(し)ぬべし。

皇孫本紀

十一世孫、物部眞椋連公(もののふべのまくらのむらじのきみ)、性(さが)、事(つとめ)に欲(ほしま)無(な)し。
其(そ)の心(こころ)、空(そら)の如(こと)し。一旦(あるひ)、神人(かみ)有(あ)り。忽然(たち
まち)に至(いた)りて告(つ)げて曰(のりたまは)く、吾(あれ)は、羽乗人(はのりひと)なり。吾(あれ)、
常(つね)に山(やま)に在(あ)りて、汝(いまし)の心(こころ)を見(み)たり。其(そ)の清(きよ)さ、
吾(あれ)の如(こと)し。汝(いまし)、淫(たわくこと)を止(や)め休(や)まば、術(あるわざ)を汝(
いまし)に授(さづ)けむ。天皇(おほきみ)、性(みさが)善(よ)けれども、強氣(つよいき)にして善(よ
きこと)を侵(をか)し、又、以(もち)て淫(たわけこと)に強(つよ)し。之(こ)れに依(よ)りて、数(
しば)しば、恙(いか)り、いかりて、理(ことわり)を猥(みだ)り、仁(めぐみ)を猥(みだ)る。今(いま)、
以(もち)て、其(そ)の害(そこなひ)を為(な)したり。吾(あ)が術(わざ)に非(あら)ずは、云何(い
か)にともせず。汝(いまし)、忠義(まこころ)有(あ)り。宜(よろし)く吾術(あがわざ)を以(もち)て、
その害(そこなひ)を治(をさ)むべし。」とのりたまふ。大連(おほむらじ)、応(こた)へて曰(まをしたまは)く、
天皇(おほきみ)に事(つか)へたてまつるに命魂(ゐのち)をおしまず。況(いはむ)や、淫業(たはくわざ)を
休(やす)むことをや。」とまをしたまふ。遂(つひ)に淫(たはけ)を断(た)ち、之(こ)れを習(なら)ふ。
其(そ)の法(のり)は、是(こ)れ、無為(ただり)にして煉(ね)り煉(ね)りて氣(いき)を塞(ふさ)ぎ、空(そら)に押(お)し、
眞(ま)に入(い)る。此(こ)の氣(いき)堅(かた)きときは、成(な)る。成(な)るときは、主心(つかさこころ)を輔(たす)け、以(もち)て徒心(あだこころ)を伏(ふ)して成(な)る。
成(な)るときは、聖(ひしり)と成(な)る。神(かみ)通(とほ)り、氣(いき)乗(の)り、理(ことわり)を為(な)すに明(あき)らめずといふこと無(な)し。
事(こと)を為(な)すに修(おこなは)れずといふこと無(な)し。大連(おほむらじ)、之(こ)れを得(え)て天皇(おほきみ)を諌(いさ)めて、天皇(おほきみ)、大(いた)く伏(ふ)して、淫に耳枕(たはけこと)、目眞る(いかり)に侵(をか)さず。
遂(つひ)に治(しづ)めて王道(おほきみのみち)に合(かな)ふ。故(か)れ、大連(おほむらじ)に子(こ)無(な)し。

是(こ)れ、事(つかへ)に獨道(ひとりみのみち)を行(おこな)ふ。其(そ)の事(こと)の元(もと)なり。


養科、第十二

初、食節

食道(くひのり)は、殻食(たなもの)にして善(よ)し。肉食(ししもの)にして善(よか)らず。

殻(たなもの)は、正食(まさしな)にして能(よ)く純食(ままくひ)に堪(た)ふ。
肉(ししもの)は、従食(ともしな)にして純食(ままくひ)に堪(た)へず。

其(そ)の能(よし)、不能(あし)を克(せ)むるに、能(よし)と毒(ぶす)、分明(わきらか)なり。

殻食(たなしな)は、秋(あき)より秋(あき)に迄(いたるまで)に於(おひ)て善(よ)し。
季(とし)去(さ)り、季(とし)回(めぐ)るに於(おひ)て善(よか)らず。

其(そ)れ天(あめ)は、殻(たなもの)を人(ひと)に与(あた)ふるに、秋(あき)より秋(あき)に
迄(いたるまで)を以(もち)てするなり。故(か)れ、是(こ)の殻氣(たないき)、天氣(あめいき)を
持(も)ちて生民(いくひと)を養(やしな)ふに美(うるほは)す。侘(ほか)は、即(すなは)ち、天
氣(あめいき)、既(すで)に尽(つ)きて、精気(たないき)を養(やしな)ふに由(よ)るといふこと
無(な)し。禽獣(けもの)、病(やまひ)無(な)きは、是(こ)れ、直(じき)に天氣(あめいき)を食(
く)ふに依(よ)りてなり。民人(ひと)、病(やまひ)有(あ)るは、或(ある)いは、天氣(あめいき)を食(く)はざるに依(よ)りてなり。

宗徳経:五鎮修法: - トバル

2015/08/14 (Fri) 17:49:45

明理、第四(縁-生-極-易-定)

(天照大御神の神勅)

理(ことわり)を明(あきら)むるに道(みち)有(あ)り。

縁(よさし)、來(きた)るときは、之(こ)れを貞(さだか)にし、
物(ものこと)、生(な)るときは、之(こ)れを照(てら)し、
理(ことわり)、極(きはま)るときは、之(こ)れを公(おほやけ)にし、
易(かはり)、至(いた)るときは、之(こ)れを正(ただ)し、
定(さだめ)、臨(のぞ)むときは、之(こ)れを愼(つつし)む。

(聖徳太子の御釈)

縁(よさし)に善(よし)と惡(あし)と有(あ)り。善(よし)に憑(よ)りて惡(あし)を避(さ)く。

生(ならし)に是(よし)と非(あし)と有(あ)り。是(よし)を取(と)りて非(あし)を捨(す)つ。

極(きはめ)に中(なか)と邊(こへ)と有(あ)り。中(なか)を納(い)れ、邊(こへ)を遣(や)る。

易(かはり)に邪(よこしま)と正(ただしま)と有(あ)り。邪(よこしま)を退(しりそ)け、正(ただしま)を進(すす)む。

定(さだめ)に常(とこは)と變(かはり)と有(あ)り。常(とこは)に止(ととま)りて、變(かはり)を去(さ)る。

憑(よ)ると避(さ)くと妄(みだり)無(な)し。之(こ)れを貞(さだか)と謂(い)ふ。
取(と)ると捨(す)つと昧(くらみ)無(な)し。之(こ)れを照(てらす)と云(い)ふ。
納(い)ると遣(や)ると私(わたくし)無(な)し。之(こ)れを公(おほやけ)と道(い)ふ。
進(すす)むと退(しりそ)くと曲(まがり)無(な)し。之(こ)れを正(ただす)と言(い)ふ。
止(ととま)ると去(さ)ると忽(いるかせ)無(な)し。を之(こ)れを愼(つつしむ)と曰(い)ふ。

五理(いしなのことわり)、之(こ)れを審(つまひら)かにするときは、身終(みのはつるまで)、悔(くひ)無(な)し。

是(こ)れ、五理(いしなのことわり)を明(あきら)かにするの麁明(あらしなのあかしかた)なり。

(天照大御神の神勅)

冲莫(うつろ)にして道(みち)に復(かへ)り、寥泯(うつろ)にして圓(まとか)に入(い)る。

(聖徳太子の御釈)

心(こころ)と我(おのれ)とを冲莫(うつそら)に歸(ゆきととまらし)むるときは、永(ひたふ)る
に、人好(ひとのよしみ)を離(はな)れて、理(ことわり)を照(て)らすこと分明(あきらか)なり。

情(おもひこころ)と私(わたくしこころ)とを寥泯(うつそら)に入(い)るるときは、遠(とほ)く
人偏(ひとのかたより)を出(い)でて、理(ことわり)の紛(まぎ)るること無(な)し。

道(みち)は、虚莫(うつろ)、無爲(ただり)の象(かたち)にして、是(こ)れ、無私(そらこころ)の極(きはめ)なり。

圓(まとか)とは、徳(いきほひ)として、之(こ)れを具(そな)へずといふこと無(な)き號(な)に
して、是(こ)れ、無迷(さとり)の地(ところ)なり。人(ひと)として、私(わたくし)の迷(まよ)ひ
無(な)きは、是(こ)れ、君賢(きみひと)のみ。共(とも)に心源(こころね)を標(しる)し、悟(さと)り修(をさ)めて、此(こ)の界(さかひ)に入(い)る。

是(こ)れ、理(ことわり)を明(あきら)かにする細明(くはしなのあかしかた)なり。

(天照大御神の神勅)

物(ものこと)、必(かなら)ず、限(はて)有(あ)り。理(ことわり)、必(かなら)ず、中(なか)有(あ)り。
我(わたくし)を遣(や)りて、天(あめ)に尼(ととま)り、天(あめ)に體(のりと)りて、事(こと)を行(おこな)ふ。

(聖徳太子の御釈)

物(ものこと)の限(はて)無(な)くして、皆(みな)、一(ひとつ)、一(ひとつ)たり。一(ひとつ)、一(ひとつ)、
皆(みな)、必(かなら)ず、限(はて)有(あ)り。限(はて)有(あ)る物(もの)は、皆(みな)、端(はし)有(
あ)り。端(はし)有(あ)るときは、中(なか)有(あ)り。是(こ)れ、即(すなは)ち、天道(あまつみち)なり。

人(ひと)、必(かりなら)ず、私我(わたくしこころ)を遣(や)るときは、道我(みちこころ)、來(きた)りて、之(
こ)れに代(かは)る。今(いま)、又、道我(みちこころ)を遣(や)りて、之(こ)れに代(か)ふるに天我(あまつこ
ころ)を留(とと)め、意見(こころみ)をして、天方(あまつかた)の大公(おほきみ)と爲(な)し、事(ことわざ)の理(ことわり)を分(わけし)む。

是(こ)れ、理(ことわり)を明(あきら)かにするの上明(かみしなのあかしかた)なり。

(無私五理の天則を以て心身とする天心、天身伝)

(了)

(「理鎮」画像)

修身、第六

初、理断

生(うま)るるに人(ひと)たるを得(え)て、身(み)を修(をさ)めざる者(もの)は、人(ひと)に非(あら)ず。
其(そ)の身(み)を修(をさ)むる者(もの)は、當(まさ)に身(み)を残(そこな)ふの物(もの)を
知(し)りて理(ことわり)に治(をさ)むるの術(すべ)を得(う)べし。然(しか)るに未(いま)だ身(み)
を残(そこな)ふ物(もの)を知(し)らず。又、未(いま)だ理(ことわり)に治(をさむ)る術(すべ)
を得(え)ずは、仮使(たとひ)、舌(した)、天地(あめつち)の理(ことわり)を総(す)べ、眼(め)、
神聖(かみ)の文(ふみ)を尽(つく)すと雖(いへど)も、未(いま)だ身(み)を修(をさ)めたる人(
ひと)を為(な)さず。其(そ)の身(み)を残(そこな)ふ物(もの)は、是(こ)れ、病(やまひ)なり。
其(そ)の理(ことわり)に治(をさ)むる術(すべ)は、是(こ)れ、医(いやし)なり。是(こ)れは、
此(こ)れ、医術(いやしのわざ)は、身(み)を修(をさ)むるの大(おほきこと)、心(こころ)を正(
ただ)すの本(もと)なり。故(か)れ、我(わ)が大神(おほかみ)、神代(かみよ)の上昔(むかし)に、
先(さき)にして薬性(くすり)を教(をし)へて、身(み)を修(をさ)むる本(もと)とす。頃(この
ころ)は、身(み)を修(をさ)むるを謂(い)ふ者(もの)は、唯(ただ)、仁義(めぐみとただし)のみ
を謂(い)ひて医療(いやしこと)を謂(い)はず。身(み)を病7(やまひ)に捨(す)てて、還(かへ)
りて、是(こ)の為道(みち)を謂(い)ふは、是(こ)れ、未(いま)だ7實(まこと)を修(をさむ)る
の人(ひと)を知(し)らず。不義(つみ)の身(み)を破(やぶ)る、病7(やみ)に身(み)を破(や
ぶ)る、言(こと)、目(しな)、異(こと)にして身(み)を廃(すら)るに一(おなじ)なり。加之(しかのみならず)、
不義(つみ)は、身(み)を破(やぶ)るは、百(ももたり)にして一(ひとり)。病7(やみ)にして身(み)
を破(やぶ)る者(ひと)、千(ちたり)にして千(ちたり)、其(そ)の7玄(ふかみ)、尚、之(こ)れ
を学(まな)ぶ。其(そ)の衆(ひとくさ)多(おほ)し。之(こ)れを棄(す)て、是(こ)れ、唯(ただ)、
聞(き)く理(ことわり)に著(つ)きて身(み)の實(まこと)を忘(わす)るのみ。みな、名聞(なき
き)の学(まなび)にして修實(まめ)の道(みち)に非(あら)ず。是(こ)れ、皆(みな)、妄人(み
だひと)、小人(をさなきひと)なり。故(か)れ、我(あ)が先皇(さきつきみ)、医者(いやしひと)、
左(ひだり)にして、之(こ)れを宗(たふと)び、記者(しるしひと)、右(みぎ)にして、之(こ)れを
用(もち)ゐ、誠(まこと)に所由(よし)有(あ)るかな。不義(つみ)、其(そ)の元(もと)は、何(
いか)に。無道(さがなき)を羞(は)じざるに在(あ)り。病7(やみ)の元(もと)、又、何(いか)に。
是(こ)れ、無道(さがなき)を羞(は)じざるに在(あ)り。不義(つみ)の積(つみ)みは、表(おもて)
に在(あ)り。人(ひと)、之(こ)れを知(し)り、皆(みな)、晒(あざわら)ひ、病7(やみ)の罪(つみ)、
裏(うら)に在(あ)りて人(ひと)知(し)らず。哂(あざわら)はず。莞を以(もち)て、之(こ)れを
辱(は)じ、莞せず、之(こ)れを犯(をか)す。其(そ)の穢意(けがれこころ)、乃(すなは)ち、不義(
つみ)に甚(はなはだ)し。夫(そ)れ、義人(ただしきひと)、何者(なにもの)をか笑(わら)はむ。

次、理評

或(ある)いは、曰(いは)く、先皇(さきつきみ)の誤(あやまち)や、医者(いやしひと)、一身(わがみ)を
道(い)ひ、記者(しるしひと)は、天下(あめのした)を道(い)ふ。一身(わがみ)は、是(こ)れ、小(こし
な)、天下(あめのした)は、是(こ)れ、大(おほき)、其(そ)の左右(かれこれ)、理(ことわり)に差(た
が)ふや何(いか)に。

或いは、曰(いは)く、医者(いやしひと)は、病(やみ)7ねを謂(い)ひて意情(むね)を治(をさ)め、心性(
こころ)に至(いた)り、徳明(いきほひ)を格(きは)め、道玄(みち)を致(いた)し、又、其(そ)の医療(い
やし)を謂(い)ひて、五運(いついき)を訓(をし)へて、六氣(むついき)を断(た)ち、五音(いつね)を規(
ただ)し、五時(いつとき)を度(はか)り、窄(ひ)くときは、一身(わがみ)に置(お)き、広(し)くときは、六
合(あめのした)を巻(ま)く。何(なに)そ、是(こ)れを小(こしな)と云(い)ふや。医者(いやしひと)、病
医(やみのいやし)を道(い)へばなり。仁義(めぐみとただし)、其(そ)の中(なか)に在(あ)り。記者(しる
しひと)は、仁義(めぐみとただし)を道(い)へばなり。病医(やみいやし)、其(そ)の中(なか)に亡(ほろ)ぶ。
何(なに)そ、誤(あやま)れるや、或いは、曰(いは)く、医者(いやしひと)、道徳(みち)を謂(い)ひて、徳(
いきほひ)は、是(こ)れ、病(やまひ)を治(なほ)す所以(ゆゑ)にして悪(わろき)を懲(こら)す所以(ゆゑ)
に非(あら)ず。記者(しるしひと)は、道徳(みち)を謂(い)ふ。是(こ)れ、善(よさ)を勧(すす)むる所以(
ゆゑ)にして壽(ことほき)を樂(たのし)むを以(もち)てするに非(あら)ず。其(そ)の言断(ことわり)、尤(
もと)も一(ひとつ)にして其(そ)の所以(ゆゑ)、乃(すなは)ち異(こと)なり。其(そ)の勧善(よきこと)を
勧(すす)め、悪(わろき)を懲(こら)す所以(ゆゑ)は、即(すなは)ち、諸道(もろみち)、其(そ)、為、病(
やみ)を治(なほ)す所以(ゆゑ)なり。壽(ことほき)を樂(たのし)む者(もの)は、即(すなは)ち、諸欲(もろ
もろのほしみ)なり。其(そ)の道(みち)を為(な)す者(もの)は、尤(もと)も、是(こ)れ、公(おほやけ)に
して大(おほき)、其(そ)の欲(ほしみ)を為(な)す者(もの)は、方(まさ)に、是(こ)れ、私(わたくそ)に
して小(ほそき)なり。其(そ)の誤(あやま)れるは、明(あきらか)なり。或いは、曰(いは)く、病医(やみのい
やし)、これ懲(こらし)、勧(すすめ)の本(もと)は、身(み)を修(をさ)むるに出(い)でて同(とも)に先皇(
さきつきみ)の道(みち)なり。其(そ)の樂(たのしみ)、壽(ことほき)を念(おも)ふ者(もの)は、是(こ)れ、
小人(をさなきひと)の念(おもひ)を謂(い)ふときは、あに唯(ただ)、医者(いやしひと)のみならむや。記者(
しるしひと)、即(すなは)、名利(ほまれ)を為(な)し、名利(ほまれ)を為(な)すの理(ことわり)を説(と)
くは、即(すなは)ち、空言(むなこと)なり。無益(そら)にして病(やみ)を治(なほ)すを為(な)すの道(みち)を
説(と)くは、即(すなは)ち、誠言(まこと)なり。乃(すなは)ち、益(くほさ)有(あ)り。其(そ)れ同(とも)
に小人(をさなきひと)に於(おい)て、尚、空(そらこと)と誠(まこと)に差(たが)ふ。況(いはむ)や、君子(
きみひと)の学(まなび)に於(おい)てをや。何(なに)そ、誤(あやま)れる所(ところ)有(あ)らむ。

是非、第七

初、君医

或いは、曰く、君医(きみひとのいやし)は、能(よ)く、正直(まこと)に為(な)して、利(くほさ)に為(な)さず。

故(か)れ、天(あめ)を探(さぐ)るや遠(とほ)し。斯(こ)れ、人(ひと)を探(さぐ)るや深(ふか)し。病(や
み)を探(さぐ)るや、明(あきらか)なり。医(いやし)を探(さぐ)るや審(つまひらか)なり。心直(こころすなほ)
にして言實(ことはまこと)、道(みち)を惜(をし)みて樂(たのしみ)を惜(をし)まず。人(ひと)を惜(をし)みて我(われ)を惜(をし)まず。

次、庶医

庶医(ひとくさのいやし)は、利(くほさ)の与(ため)に為(な)して、道(みち)の与(ため)に為(な)さず。
故(か)れ、天(あめ)を探(さぐ)るや、暗(くら)く、斯(こ)の人(ひと)を探(さぐ)るや、卒(いたづら)、
秒()を探(さぐ)るや、疎(うとく)、医(いやし)を探(さぐ)るや、妄(みだり)、心(こころ)貪(むさほ)
りて言虚(ことはむなし)、樂(たのしに)を惜(をし)みて道(みち)を惜(をし)まず。我(われ)を惜(をし)
みて人(ひと)を惜(をし)まず。君医(きみひとのいやし)、常(つね)に性情(さが)をおしへ、時(とき)に、
氣運(いきさし)をおしへて道徳(みち)に導(みちび)く、不病(すこみ)に安(やす)みす、人(ひと)をして
服薬(くすりのみ)すること無(な)く療用(いやしのわざ)を請(こ)はざらしむ。俗医(よひといやし)、常(
つね)に服薬(くすりのみ)を庶幾(こひねが)ひ、療用(いやしのわざ)を請(こ)ふを期(ま)つ。病(やみ)を
生(な)すを憂(うれ)へず。道徳(みち)を知(し)らず。季運(よをりのめぐり)、時氣(ときのいき)、性情(こころ)、みな、昧(くら)し。

医宝、第八、

初、無病

或いは、医(いやし)は、是(こ)れ、天下(あめのした)の至宝(みたから)なり。病(やみ)多(おほ)きと
きは、人行(ひとのめぐり)を失(うしな)ひ、国富(くにのとみ)を失(うしな)ふ。能(よ)く人功(ひとの
いさをし)を立て、国(くに)の富(とみ)を立(た)てて、君王(おほきみ)を安(やす)みし、列邦(くにく
に)を補(おぎぬ)ふ。

或いは、医(いやし)は、是(こ)れ、天下(あめのした)の至尊(まさみち)、心(こころ)、恕(ゆるし)を
施(ほどこ)し、身(むくろ)、跡(あと)を導(みちび)き、口(くち)、道(みち)を見(あらは)し、手(て)、
費(つひやし)を補(おぎに)ふ。

或いは、曰(いは)く、医者(いやしひと)は、至功(まいさを)なるかな。

心(こころ)、道(みち)に退(しりそ)くときは、其(そ)の極(きはめ)は、虚(そら)、身(むくろ)、行(おこなひ)を退(しりそ)くときは、其(そ)
の跡(あと)、亡(な)し。眼(め)、書(ふみ)を退(しりそ)くときは、其(そ)の理(ことわり)昧(くら)し。
耳(みみ)、聞(きく)を退(しりそ)くときは、其(そ)の学(まなび)、廃(すた)る。

或いは、曰(いは)く、医者(いやし)は、至大(いともおほき)なるかな。

人(ひと)に五臓(いつくら)有(あ)り。未(いま)だ其(そ)の健(すこび)、傷(やぶり)を知(し)らず。
人(ひと)に五神(いつたま)有(あ)り。未(いま)だ其(そ)の鎮(しづめ)、去(まかり)を知(し)らず。
人(ひと)に五味(いつあじ)有(あ)り。未(いま)だ其(そ)の能(くす)、毒(ぶす)を知(し)らず。
人(ひと)に五運(いついき)有(あ)り。未(いま)だ其(そ)の行(めぐり)を知(し)らず。

易(かふ)るは、唯(ただ)、医者(いやし)有(あ)り。7に之(こ)れを修(をさ)めて人(ひと)を道(みちび)く。


修心、第五(仁-智-義-禮-信)

(天照大御神の神勅)

心(こころ)を修(をさ)むるに道(みち)有(あ)り。

慈和(めぐみ)に歸(かへ)りて還(かへ)らず。
叡識(さとり)を開(ひら)きて閉(とざ)さず。
慚忍(ただし)を堅(かた)めて緩(ゆる)めず。
恭節(ゐやび)を正(ただ)して亂(みだ)らず。
實誠(まこと)に入(はひ)りて出(い)でず。

(聖徳太子の御釈)

慈(うつくしぶ)は、體(むね)、和(やはらぐ)は、用(わざ)なり。

心(こころ)は、之(こ)れを慈(うつくし)び、事(こと)は、之(こ)れに和(やはら)ぐ。

歸(かへ)るは、悉(ことこと)く還(かへ)るなり。是(こ)れ、仁(めぐみ)に歸(かへ)るなり。

何(なに)そ、又、不仁(めぐみなきひと)に還(かへ)らむや。


叡(さとし)は、體(むね)、識(さとる)は、用(わざ)なり。

心(こころ)を敏(と)くし、知(さとり)を記(しる)す。

開(ひら)くは、生(うまれなか)らに閉(と)ぢたるを以(もち)て、之(こ)れを啓(ひら)く。是(こ)れ、智(さとり)を開(ひら)くなり。

何(なに)そ、愚(おろか)に還(かへ)りて、又、之(こ)れを閉(し)めむや。


慚(はづる)は、體(むね)、忍(しのぶ)は、用(わざ)なり。

心(こころ)は、之(こ)れを羞(は)ぢ、情(おもひ)は、之(こ)れに堪(た)ゆ。

堅(かた)めは、固(かたか)らざるを固(かた)くす。是(こ)れ、義(ただし)を堅(かた)くするなり。

纔(わづか)にも之(こ)れを忽(いるか)せにすべからず。


恭(うやまふ)は、體(むね)、節(ほとわる)は、用(わざ)なり。

心(こころ)は、恭(うやまひ)を以(もち)て行(おこな)ひ、節(ほとわり)を以(もち)て正(ただ)す。

良(よ)く雅(ただ)す。是(こ)れ、禮(ゐやび)を正(ただ)すなり。

豈(あ)に須臾(しまらく)も儀(ふるまひ)を猥(みだ)りにせむや。


實(まめし)は、體(むね)、誠(まこと)は、用(わざ)なり。

心(こころ)の徳(いきほひ)は、實(まめし)、跡(あと)の状(かたち)は、誠(まこと)なり。

入(い)るは、甚(いた)く入(い)る。是(こ)れ、信(まこと)を入(い)るるなり。

焉(いづく)にそ、拙(つたな)くして、之(こ)れを出(い)ださむや。

是(こ)れ、五心(いしなのこころ)を修(をさ)むるの麁脩(あらしなのをさめかた)なり。


(天照大御神の神勅)

咸(みな)、延(ひ)ゐて無爲(ただりのさかひ)に入(い)り、意(むなはせ)と志(むなさし)と
情(おもひ)と識(さとり)とを推(お)して、推(お)すべきところを無(な)くして、而(しか)して、休(や)むべし。

(聖徳太子の御釈)

五心(いつこころ)を率(ひき)ゐて、空莫(そらさか)に内(い)れて、心馳(こころは)せ、心標(こ
ころさ)し、心成(こころな)し、心知(こころし)り、之(こ)れを推(お)して、之(こ)れを絶(た)
ちて、寥然(しづか)にして、物(もの)を無(なからし)むるときは、道(みち)に合(かな)ひて、道我(みちこころ)を空(そら)にす。

是(こ)れ、五心(いしなのこころ)を修(をさ)むるの細修(くはしなのをさめかた)なり。


(天照大御神の神勅)

天圓(あめのまろかた)の彰(あきらか)たるは、衆靈(もろもろのみたま)の象(かたち)なり。

明圓(あかくまろき)たるを以(もち)て善元(よさのもと)に募(つの)りて終(を)ふ。

(聖徳太子の御釈)

心性(こころのさが)の元(もと)は、明(あきらか)なり。徳(いさをし)は、皆(みな)、之(こ)れ
に具(そなは)る。是(こ)れ、即(すなは)ち、善(よさ)の體(むね)にして、萬法(もろのり)の基(もと)たり。

是(こ)れは、伊(こ)れ、先天(さきつあめ)より已来(このかた)、皇天(あまてらすおほみかみ)の體(みむね)とす。

之(こ)れを露(あらは)して、修得(をさ)め、修得(をさ)めて退(しりそ)かず。焉(こ)れに終(を)ふ。

是(こ)れ、心(こころ)を修(をさ)むるの上修(かみしなのをさめかた)なり。

(「心鎮」画像)

医綱本紀

初、根枝

道(みち)、言(こと)を為(な)すや、天地(あめつち)に先(さき)にして天地(あめつち)の物(もの)に非(あら)ず。
神(かみ)、人(ひと)に先(さき)にして、神(かみ)、人(ひと)の事(こと)に非(あら)ず。又、其(そ)の物(もの)、
其(そ)の事(こと)に非(あら)ざるを為(な)さむと欲)ほ)す。天地(あめつち)、神人(かみひと)、萬物(もろもの)、
法式(のりこと)、皆(ことこと)く、中(なか)に在(あ)りて外(そと)に無(な)し。

候、空(そら)を言(い)はむと欲(おも)はば、乃(すなは)ち、妙理(たへなることわり)、円然(まろく)、相(あ)ひ具(そなは)る。
候、理(ことわり)を言(い)はむと欲(おも)はば、玄霊(くしび)、存如(あるまま)、相(あ)ひ現(あらは)る。
又、心(こころ)を言(い)はむと欲(おも)はば、性情(さなこ)、絶離(たへはなれ)、物(もの)無(な)し。
又、神(みたま)を言(い)はむと欲(おも)はば、魂(みたま)に非(あらざ)る。魄(みたま)に非(あらざ)る。象(すかた)無(な)し。
推(お)して、道(みち)と言(い)ふ。

是(こ)れ、道体(みちのむね)を為(な)す。又、道根(みちのね)とす、この根(ね)、物(もの)に流(なが
)れて、仁(めぐみ)、義(ただし)、禮(ゐやび)、智(さとり)の枝(え)を生(な)す。

是(こ)れ、又、心(こころ)の仁(めぐみ)、義(ただし)、禮(ゐやび)、智(さとり)に非(あら)ず。

唯(ただ)、是(こ)れ、天極(あめ)の理(ことわり)、有常(つねあり)の法(のり)、道用(みちのわざ)を為(な)す。

又、道枝(みちのえ)を為(な)す。此(こ)の道(みち)、天宮(あめ)に入(い)るときは、日月五星(ひつきいつぼし)を成(な)す。
又、其(そ)れ、人心(ひとのむね)に入(い)るときは、覚聖(さとりみたま)、五徳(いつね)を成(なら)す。

この道(みち)に至(いた)るときは、萬病(もろやみ)、自(おのつか)ら消(き)へ、憂悩(うれへ)無(な)し。

此(こ)れを天医(あまついやし)と名(い)ふ。又、其(そ)の百非(もものとが)、自(おのつか)ら絶(た)へ、咎(とが)も悔(くひ)も無(な)し。之(こ)れを天道(あまつみち)と名(い)ふ。

次、施端

仁(めぐみ)に体(のりと)りて七情(ななつのおもひ)を解(と)き、禮(ゐやび)に体(のりと)りて
四損(よつのそこなひ)を解(と)くときは、内傷(うちやぶり)の侵(をか)し無(な)し。智(さとり)
に則(のりと)り、六淫(むつたは)を撥(は)ね、義(ただし)に則(のりと)りて、五労(いついたみ)
を手賓(と)くときは、外感(そとのおもほへ)の侵(をか)し無(な)し。信(まこと)を以(もち)て
薬(くすり)、呪(ことほき)を用(もち)ゐ、勇(いさみ)を以(もち)て、針(はりうち)、灸(やき
くさ)を用(もち)ゐるときは、邪毒(そこなへ)の侵(をか)し無(な)し。我身(わがみ)、是(こ)
の如(こと)く、侘(ほか)に於(お)て、亦、然(しか)り。是(こ)の此(こ)の施端(いやし)、五
典(いつのり)に能(よ)く、五倫(いつから)を清(きよ)め、是(こ)れ、実(まこと)に心(こころ)を正(ただ)し、身(み)を修(をさ)むるに人(ひと)と為(な)る。


傷科、二十一

初、五労

五労(いつつのいたみ)は、是(こ)れ、心(さね)、肺(いくふくろ)、脾(よこし)、腎(むらと)、肝(きも)の労(いたみ)なり。
其(そ)の元(もと)は、血(ち)、氣(いき)、肉(しし)、骨(ほね)、筋(すじ)の傷(やぶり)に在(あ)り。
其(そ)の元(もと)は、視(み)る、臥(ふ)す、坐(すわ)る、立(た)つ、行(おこな)ふの久(ひさわざ)に在(あ)り。
五儀(いつつのふるまひ)の労(いたみ)、積(つも)るときは、五支(いつつのむくろ)の労(いたみ)を成(な)す。
五支(いつつのむくろ)の労(いたみ)、積(つも)るときは、五臓(いつくら)の労(いたみ)と成(な)る。

故(か)れ、医道(いやしのみち)、視(み)る、坐(すわ)る、立(た)つ、行(おこな)ふを慎(つつし)み、

其(そ)の慎(つつしみ)の度(のり)は、久為(ひたをさめ)に在(あ)り。其(そ)の久為(ひたをさめ)は、
人品(ひとしな)に在(あ)り。其(そ)の人品(ひとのしな)は、不病(すこやか)の人(ひと)、季季(とし
とし)、月旬(つきつき)に在(あ)り。病(やまひ)を為(な)す人(ひと)、候日(ひび)、時刻(ときとき)
に在(あ)り。其(そ)の根(もと)と量(ほと)とを知(し)りて、其(そ)の節(ほどわり)と養(やしなひ)とを為(な)す。之(こ)れを慎(つつしみ)の度(のり)と名(なつ)く。

二、七傷

七傷(ななきず)は、是(こ)れ、七臓(ななくら)の傷(きず)、破(やぶ)れて七情(ななおもひ)の至大(おほき)に在(あ)り。

心(さね)、肝(きも)、肺(いきふくろ)、脾(よこし)、腎(むらと)、命(みと)、胞(えな)は、人身(
ひとのみ)の有(ありもの)にして、鬼神(すたま)たりと雖(いふと)も、具(そな)へずといふこと無(な)し。
喜(ゑらき)、怒(いかり)、憂(うれへ)、思(おもひ)、恐(おそり)、惻(いたみ)、驚(いわき)は、
人情(ひとのこころ)の常(つね)にして、賢聖(しもつひしり)と雖(いへど)も之(こ)れを無(な)くすこと能(あた)はず。

其(そ)の爲有(わざこと)の中(うち)に於て、事(こと)に當(あた)りて、至大(ほとこへ)を作(な)す
ときは、其(そ)れ、傷(やぶり)を成(な)すのみ。大喜(いたくゑらく)は、心(さね)を傷(やぶ)り、大
怒(いたくいかる)は、肝(きも)を傷(やぶ)り、大憂(いたくうれふ)は、肺(いきふくろ)を傷(やぶ)り、
大思は、脾(よこし)を傷(やぶ)り、大恐(いたくおそる)は、腎(むらと)を傷(やぶ)り、大慯(いたくい
たむ)は、命(みと)を傷(やぶ)り、大驚(いたくいわく)は、胞(えな)を傷(やぶ)る。極(きはみ)に至(
いた)る者(ひと)は、即(ただ)ちに死(まか)り、次(つぎのほと)に至(いた)る者(ひと)は、即(ただ
)ちに疾(やまひ)し、其(その)の次(つぎのほと)は、積(つも)りて病(や)むべし。

是(こ)れ、吾(わ)が大神(おほかみ)の意(むね)にして、異医(あたしくにのいやし)、更(さら)に同(おな)じからず。

(大神とは、和医の太祖、大己貴神=地照大神)

三、六淫、

六淫(むつのたわみ)は、風(めをこいき)、寒(ふとめいき)、暑(はてをいき)、湿(はてめいき)、
燥(ふとをいき)、火(ほのいき)なり。

風(めをこいき)は、木氣(きのいき)にして春(はる)に中(あた)る。
寒(ふとめいき)は、水氣(みのいき)にして冬(ふゆ)に中(あた)る。
暑(はてをいき)は、火氣(ひのいき)にして夏(なつ)に中(あた)る。
燥(ふとをいき)は、金氣(かねのいき)にして秋(あき)に中(あた)る。

湿(はてめいき)は、土氣(つちのいき)にして四時(よとき)に度(わた)り、
春(はる)と夏(なつ)に多(おほ)く、秋(あき)と冬(ふゆ)に少(すくな)し。

火(ほのいき)は、焦氣(やけいき)、暑(はてをいき)と雨(はてめいき)、
合(あはさ)りて熱(ほとほ)りて、傷(やぶり)を為(な)す。

其(そ)の時(とき)に中(あた)り、即(ただち)に發(おこ)ること有(あ)り。
含(ふくみ)に中(あた)り、後(のち)に發(おこ)ること有(あ)り。

之(こ)れを知(し)りて、之(こ)れを去(さ)る。是(こ)れ、医道(いやしのみち)なり。

すでに中(あた)りて、之(こ)れを解(と)く。是(こ)れ、医療(いやしのわざ)なり。

四、四損

大酒(いともさけのむ)は、血(ち)を損(そこな)ひ、大7(いともとつぐ)は、精(いきほひ)を
損(そこな)ひ、大動(いともうごく)は、氣(みいき)を損(そこ)ひ、大苦(いともくるしむ)は、
神(みたま)を損(そこな)ふ。四損(よつのそこなひ)、積(つも)り累(つも)りて、之(こ)れ
を成(な)し、甚(いた)く積(つ)む者(もの)は、即死(はやしに)なり。

五、六侵

大危(いともいわく)、心(さね)を侵(おか)し、大飽(いともくらふ)、脾(よこし)を侵(おか)し、
強力(つよくこはむ)、肝(きも)を侵(おか)し、湿水(しめみつ)、腎(むらと)を侵(おか)し、飲
冷(ひやもの)、肺(いくふくろ)を侵(おか)し、風雨(かぜあめ)、形(かたち)を侵(おか)す。

六侵(むしなのおかし)、生平者(つねのもの)は、即(ただち)に成(な)る。強気者(つよいきのもの)は、積(つ)み成(な)す。

五典
五倫、父子(親)、君臣(義)、夫婦(別)、長幼(序)、朋友(信)


【一心-五心-變心の図】

-信心⇔慳心

-禮心⇔惰心

一心-五心 -義心⇔嫉心

-智心⇔欲心

-仁心⇔怒心



御語本紀

覆惡

大連(おほむらじ)河勝(かはかつ)、稽首(ぬかつ)きて白(まを)して曰(まを)しつらく、「人(ひ
と)の惡(わろさ)、治(をさ)め難(かた)し。能(よ)くせむと欲(おも)ふ者(もの)は、必(かな
ら)ず、其(そ)の本(もと)に就(ゆ)かずはあらずや。否(いな)や。其(そ)れ、その本(もと)た
るや如何(いか)に。」とまをしつ。

曰(のりたまは)く、「萬惡(もろもろのわろこと)の本(もと)は、私我(わたくしこころ)なるのみ。」とのりたまふ。

白(まを)して言(まを)しつらく、「其(そ)の發(おこ)りや如何(いか)に。」とまをしつ。

曰(のりたまは)く、「私我(わたくしこころ)は、貪欲(むさほり)を生(な)す。貪欲(むさほり)は、
四業(よくさのわざ)を生(な)す。一(ひとつ)には、利用(くほさ)、二(ふたつ)には、名聞(ほま
れ)、三(みつ)には、色婬(たはけ)、四(よつ)には、庶幾(のぞみ)なり。四業(よくさのわざ)、
互(かた)みに交(まじは)りて、六情(むしなのおもひ)を生(な)す。

一(ひとつ)には、惡憎(にくみ)なり。反(そむ)き、差(たが)ひ、別(わか)るときは、惡憎(にくみ)を成(な)す。
惡憎(にくみ)、大(おほ)きに過(す)ぐるときは、誹謗(そしり)を爲(な)す。

二(ふたつ)には、忿怒(いかり)なり。逆(さから)ひ、諍(あらそ)ふときは、忿怒(いかり)を成(な)す。
忿怒(いかり)、大(おほ)きに過(す)ぐるときは、殺害(ころし)を爲(な)す。

三(みつ)には、嫉妬(そねみ)なり。他(ひと)、長(たけ)たるときは、嫉妬(そねみ)を成(な)す。嫉
妬(そねみ)、大(おほ)きに過(す)ぐるときは、怨謀(うらみ)を爲(な)す。

四(よつ)には、「女偏に【耽】の右の字」戀(ふけり)なり。向(むか)ひ應(こた)ふるときは、「女偏に【耽】の右の字」戀(
ふけり)を成(な)す。「女偏に【耽】の右の字」戀(ふけり)、大(おほ)きに過(す)ぐるときは、邪亂(よこしま)を爲(な)す。

五(いつつ)には、好望(のぞみ)なり。依(よ)り託(かか)るときは、好望(のぞみ)を成(な)す。
好望(のぞみ)、大(おほ)きに過(す)ぐるときは、盗却(ぬすみ)を爲(な)す。

六(むつ)には、悋惜(をしみ)なり。執(と)り著(つ)くときは、悋惜(をしみ)を成(な)す。

悋惜(をしみ)、大(おほ)きに過(す)ぐるときは、獨絶(ひとりじめ)を爲(な)す。

六情(むしなのこころ)、分布(わかれひろご)りて、思(おもひ)の惡(わろみ)、言(ことは)の惡(わろみ)、
行(みわざ)の惡(わろみ)、浪(なみ)無(な)くして惡(わろこと)に至(いた)る。其(そ)の惡(わろみ)に
規(のりと)りて、其(そ)の本(もと)に至(いた)り、以(もち)て、私我(わたくしこころ)を追(お)ひ
退(しりそ)くるときは、遂(つひ)に萬惡(もろもろのわろこと)を解(と)くべし。私我(わたくしこころ)の
諸惡(もろもろのわろこと)を生(な)すや、譬(たと)へば、河海(かはうみ)の百甲非鱗(かひのたぐひ)を
生(な)すが如(ごと)し。海江(うみのえ)、已(すで)に乾(ひあが)りて、甲鱗(かひうをのたぐひ)、自(
おのつか)ら死(まか)る。私我(わたくしこころ)、獨(ひと)り亡(ほろ)びて、諸惡(もろもろのわろみ)、自(おのつか)ら、死(まか)るのみ。」とのりたまふ。

白(まを)して言(まを)しつらく、「私我(わたくしこころ)、之(こ)れを斷(た)ち難(かた)し。
何(なに)の行(わざ)に因(よ)りてか、之(こ)れを斷(た)つこと得(え)む。」とまをしつ。

曰(のりたまは)く、「獨(ひと)り眞我(まこころ)有(あ)り。是(こ)れ、心源(こころね)の君(かみ)なり。

其(そ)の體(うつかた)は、冲莫(なかそら)、焉(こ)れ、空(そら)も、自(われ)も、他(ひと)も、一(ひとつ)
にして分(わか)つ所(ところ)無(な)し。其(そ)の眞(まこと)は、明生(あかし)、焉(こ)れ、天(あめ)も、
地(つち)も、神明(かみ)も、一(ひとつ)にして、又、別(わか)たず。故(か)れ、人我(わたくし)と私欲(ほしみ)
無(な)し。此(こ)の地(ところ)に至(いた)る者(もの)は、私我(わたくしこころ)を離(はな)るのみ。」とのりたまふ。


【私我惡状】


→悋惜→獨絶
→庶幾
→好望→盗却
→色婬
→「女偏に【耽】の右の字」戀→邪亂
【真我】私我→ 貪欲→
→嫉妬→怨謀
→名聞
→忿怒→殺害
→利用
→惡憎→誹謗

宗徳経:五鎮修法: - トバル

2015/08/14 (Fri) 17:54:13


正神、第六(青魂-赤神-黄靈-白魄-黒精)

(天照大御神の神勅)

神(みたま)を正(ただし)くするに道(みち)有(あ)り。

喜(よろこ)ぶとも神(あけみたま)をして喜(よろこばし)めず。
怒(いか)るとも魂(あをみたま)をして怒(いからし)めず。
憂(うれ)ふとも魄(しろみたま)をして憂(うれへし)めず。
思(おも)ふとも靈(きいみたま)をして思(おもはし)めず。
恐(おそ)るとも精(くろみたま)をして恐(おそりし)めず。


(聖徳太子の御釈)

喜(よろこ)びと怒(いか)りと憂(うれ)へと思(おも)ひと恐(おそ)りとは、人情(ひとのおもひ
)の常(つね)にして、而(しか)も未(いま)だ無(な)きこと能(あた)はず。

是(こ)れ、亦、諸情(もろもろのおもひ)を束(つか)ねたり。

神(あけみたま)と魂(あをみたま)と魄(しろみたま)と靈(きいみたま)と精(くろみたま)とは、
人識(ひとのみたま)の有(ありもの)にして、之(こ)れ盡(つ)くといふこと無(な)し。

是(こ)れ、又、衆靈(もろもろのみたま)を攝(ふさ)ねたり。

是(こ)れ、五臓(いくさのくら)の主(あろじ)、五臓(いしなのくら)の氣(みいき)なり。

皆(みな)、焉(こ)れ、心(むねのこころ)に託(かか)る。

神(みたま)は、底(そこ)に在(あ)り。情(おもひ)は、表(うへ)に在(あ)りて、一(ひとしな)を
同品(おなじしな)に通(とほ)す。

之(こ)れを節(ただ)すときは、其(そ)の毒(そこなへ)、表(おもて)に止(や)み、節(ただ)せざるときは、底(そこ)に透(とほ)りて昧(くら)むべし。

表(うへ)に止(や)むときは、神(みたま)、明(あかるさ)を失(うしな)はずして、神(みた
ま)、心(こころ)、理(ことわり)、氣(みいき)、境(さかひ)、徳(いきほひ)に在(あ)りて、政(まつりこと)を正(ただ)す。

底(そこ)に透(とほ)すときは、神(みたま)、漂(ただよ)ひて、明(あかるさ)を失(うしな)ひ、而(
しか)も、神(みたま)、心(こころ)、理(ことわり)、氣(みいき)、境(さかひ)、徳(いきほひ)を
離(はな)れて、政(まつりこと)を亂(みだ)る。

故(か)れ、聖者(ひしり)は、情(おもひ)を用(もち)ゐるに節(ほとわり)を以(もち)てし、
神(みたま)を立(た)つるに徳(いきほひ)を以(もち)てす。

是(こ)れ、五神(いしなのみたま)を正(ただ)すの麁正(あらしなのただしかた)なり。

【著者補注】

【五臓⇔五神⇔五情の関係図】

心臓⇔赤神⇔喜情(小陰)(小陽)
肝臓⇔青魂⇔怒情(終陰)
肺臓⇔白魄⇔憂情(限陽)
脾臓⇔黄靈⇔思情(大陰)
腎臓⇔黒精⇔恐情(大陽)(小陽)

衆霊を摂ぬとは、心臓の赤神は、口の霊を摂し、肝臓の青魂は、眼の霊を摂し、肺臓の白魄は、鼻の霊を摂し、
脾臓の黄霊は、陰の霊を摂し、腎臓の黒精は、耳の霊を摂するということ。

五臓の主、五臓の氣とは、五神は、五臓の五主、五情は、五臓の五氣ということ。

皆、心に託る、とは、五臓五神の五情は、知覚統合中枢神経部である心臓の赤神に配送されて五情として知覚認識されるという意味。

五情を知覚する心臓の赤神を別して「識神(識魂)」という。

節度を以て五情を表に止め、底に透さずとは、眼、耳、鼻、口、陰の五感に反応する五臓五神の五情五感を
心臓の赤神=識神の識覚(さとり)を以て知覚したとしても、心智の統束術を以て、五情の電気的出力、電
気的変動が適度に消極化、規則化、安静化、安定化するように調整(節制)制御し、心臓の識神にて知覚さ
れた不安定、不規則の五情、即ち、変喜、変怒、変憂、変思、変恐の情をそのままの状態で、五臓五神に返送させて五臓五神を傷めさせるな、ということである。

眼、耳、鼻、口、陰の五感が得た電気信号は、五臓五神に配信され、五情を出力する。そして、五臓五神が
感じた情感は、心臓の赤神に配信されて知覚される。其の五臓五神が感知した情感(電気信号)が過激(出
力不安定、変動不規則)なもので、心臓の赤神の抵抗能作にて未調整なまま五臓五神に返送すると五臓五神
は、其の出力不安定、変動不規則の電気信号を一種の攻撃(ダメージ)として食らうことになるのである。

例へば、感激、激笑の喜情を制御調整せずに其のまま放出すると心臓の心配機能が激動し、心臓が苦しくな
る。だから、落ち着かせる=心配機能を安定化させる能作が作動するのである。又、憂情を制御調整せずに
其のまま放出すると肺臓の呼吸機能が低下し息苦しくなる。だから、溜息が出る=肺臓の呼吸機能を戻す能
作が作動するのである。五臓五神は、連動通過する機能を持つ為、若し、五臓五神の全部が未調整の五感五
情の被害を蒙ると「身を崩す」ということになる。浅きは、病気と為り、深きは、即死となるのである。即
ち、激喜、激怒、激憂、激思、激恐は、勿論、通常の五情を制御調整することによって、五臓五神を正常に運営することによって、心身健康の体を保つことができるのある。古今不変の神経医術なのである。


(天照大御神の神勅)

靈(くしび)は、靈(くしび)として空(うつろ)に則(のりと)り、明(あかし)は、明(あかし)として無(うつろ)に體(のりと)る。

(聖徳太子の御釈)

神(みたま)の體(むね)は、是(こ)れ、靈(くしび)なり。神(みたま)の用(わざ)は、是(こ)れ、明(あかし)なり。
神(みたま)の徳(いきほひ)は、是(こ)れ、空(うつろ)なり。神(みたま)の行(おこなひ)は、是(こ)れ、無(うつ
ろ)なり。故(か)れ、聖者(ひしり)は、五神(いしなのみたま)の靈(くしび)を立(た)つるに、五神(いしなのみたま)の
明(あかし)を恆(つね)にして、其(そ)の空(うつろ)に入(い)り、其(そ)の無(うつろ)に止(ととま)る。

是(こ)れ、五神(いしなのみたま)を正(ただ)すの細正(くはしきただしかた)なり。

五感に反応して起こる五臓五神の五情を心臓の識神に於て知覚し、適度に調整し、返送するのではなく、五臓五神が
五感に反応増幅する段階に於て其の電気信号に反応増幅させないということである。五臓五神の反応増幅機能を制御
麻痺させるということである。この技術を成し遂げるには、五臓五神の感覚を感知する霊感を体得する必要がある。肉の
感覚ではなく、霊の感覚である。霊主肉従の感覚である。霊感体得とは、霊体=プラズマ生命体の感覚機能を体感し、
其の霊体=プラズマ生命体中の神経=電磁気流の反応能作と増幅能作を制御するということである。この霊体の制御能力を霊能力という。

(天照大御神の神勅)

威(いきほひ)を雙曜(ひつき)に及(およぼ)し、徳(いさをし)を五星(いほし)に及(およぼ)す。

(聖徳太子の御釈)

天地(あめつち)をして、之(こ)れを有(あらし)め、陰陽(めをいき)をして、之(こ)れを成(なら
し)むるは、是(こ)れ、日月(ひつき)の威(いきほひ)なり。

五行(いつゆき)をして、之(こ)れを有(あらし)め、五氣(いついき)をして、之(こ)れを成(ならし)むるは、
又、五星(いつほし)の徳(いさをし)なり。

其(そ)の象(かたち)は、面(まのまへ)に有(あ)りて、量者(はかりひと)の有(ありこと)に非(あら)ず。
其(そ)の極(きはめ)は、冲莫(なかそら)にして、空者(むなしひと)の莫(そらこと)に非(あら)ず。

其(そ)の有莫(ありそら)の際(きは)、之(こ)れを道(い)ひ難(かた)し。見(み)て、聞(き)き、
思(おも)ひ、徹(とほ)りて、之(こ)れを得(え)、遂(つひ)に取(ひきと)りて己(おのれ)とす。

是(こ)れ、五神(いしなのみたま)を正(ただ)すの上正(かみしなのただしかた)なり。

五神の威徳をして、日月五星に及す、とは、日は、無私の主識(識神の識体)、月は、臣心(識神の心用)、
五星は、無私の衆行(五神の相)のことで、心臓の識神の主識をして、日の如く無私の主識とし、心臓の
識神の臣心とし、五臓の五神の五情をして、五星の如くに無私の衆行を成さしめよ、ということである。

又、日月陽陰は、事物の根源力である動と静、五星五行は、事物の運動力である相生=相結と相剋=相反
を指し、心臓の識神による動静是非の統御支配と五臓の五神による連動断絶の運動支配を完成遂行せよ、という意味がある。

医綱本紀に、天転の愛育は、無私無為の仁、日月の照曜は、無私無我の智、五行の生克は、無私無為の義、五星の節儀は、無私無為の禮とある

即ち、天体の日月五星における無私法則を以て、相似形の人体の日月五星=識心五神の存在法則とせよ、という意味である。

天体と人体は、全く同じ原理、即ち、プラズマとプラズマ間中の電流(電磁気流)によって支配されている。

これを天人唯一、天道即地道と云うのである。

五神の法則の奥義は、太虚、無我、無為、玄虚、不滅、永存、極天である。


(了)

(「神鎮」画像)

参考資料

医綱本紀

神明

神(あけみたま)は、火(ひ)の精(みたま)なり。心(さね)の魂(みたま)、
能(よ)く五香(いくさのかをり)に體(のりと)りて言語(あげつらひ)を主(つかさと)る。

魂(あをみたま)は、木(き)の精(みたま)なり。肝(きも)の魂(みたま)、
能(よ)く五色(いくさのいろ)に體(のりと)りて見視(みること)を主(つかさと)る。

魄(しろみたま)は、金(かね)の精(みたま)なり。肺(いきふくろ)の魂(みたま)、
能(よ)く五音(いくさのおと)に體(のりと)りて鼻臭(かぐこと)を主(つかさと)る。

靈(きいみたま)は、土(つち)の精(みたま)なり。脾(よこし)の魂(みたま)、
能(よ)く五味(いくさのあぢ)に體(のりと)りて飲食(のみくひ)を主(つくさと)る。

精(くろみたま)は、水(みつ)の精(みたま)なり。腎(むらと)の魂(みたま)、
能(よ)く五形(いくさのかた)に體(のりと)りて聽聞(きくこと)を主(つかさと)る。

識(さとみたま)は、炎(ほのほ)の精(みたま)なり。命(いのち)の魂(みたま)、
能(よ)く五氣(いくさのいき)に體(のりと)りて記辨(わきまへ)を主(つかさと)る。

(長野本には、識は、焦の精なり。命の魂を能く五生に体りて記覚を主るとある。五生とは、羽貝甲裸)

六神(むしなのみたま)は、各(おのおの)、體(むね)と主(つかさとり)とを異(こと)にして、
之(こ)れを成(な)し、以(もち)て萬用(もろこと)を成(な)す。天地(あめつち)は、是(
こ)れより成(な)る。而(しか)れば、亦、六神(むしなのみたま)有(あ)りて、萬化(もろか
はり)を成(な)し、天地(あめつち)と人身(ひとのみ)とを成(な)す。亦、六神(むしなのみ
たま)有(あ)りて、萬行(もろわざ)を成(な)す。六神(むしなのみたま)、清健(いさぎよか)
るは、是(こ)れ、聖賢(しもつひしり)にして、病(やまひ)無(な)く、而(しか)も道(みち)
に有(あ)り。故(か)れ、醫神(くにてるみかみ)、教(をし)ふる所(ところ)、學(まなび)に
在(あ)り。聖賢(しもつひしり)は、道(みち)に有(あ)りて、六神(むしなのみたま)、清健(
いさぎよ)し。其(そ)れ、六神(むしなのみたま)、清健(いさぎよさ)を得(う)る所以(ゆゑ)
は、是(こ)れ、六情(むくさのおもひ)を治(をさ)むるに在(あ)りて、六臓(むしなのきも)を
安(やす)みす。其(そ)れ、然(しか)くするは、是(こ)れ、醫道(いやしのみち)に在(あ)るのみ。

傷科

七傷

七傷(ななきず)は、是(こ)れ、七臓(ななくら)の傷(きず)、破(やぶ)れて七情(ななおもひ)の至大(おほき)に在(あ)り。

心(さね)、肝(きも)、肺(いきふくろ)、脾(よこし)、腎(むらと)、命(みと)、胞(えな)は、
人身(ひとのみ)の有(ありもの)にして、鬼神(すたま)たりと雖(いふと)も、具(そな)へずとい
ふこと無(な)し。喜(ゑらき)、怒(いかり)、憂(うれへ)、思(おもひ)、恐(おそり)、惻(い
たみ)、驚(いわき)は、人情(ひとのこころ)の常(つね)にして、賢聖(しもつひしり)と雖(いへ
ど)も之(こ)れを無(な)くすこと能(あた)はず。

其(そ)の爲有(わざこと)の中(うち)に於て、事(こと)に當(あた)りて、至大(ほとこへ)を
作(な)すときは、其(そ)れ、傷(やぶり)を成(
な)すのみ。大喜(いたくゑらく)は、心(さね)を傷(やぶ)り、大怒(いたくいかる)は、肝(きも)
を傷(やぶ)り、大憂(いたくうれふ)は、肺(いきふくろ)を傷(やぶ)り、大思は、
脾(よこし)を傷(やぶ)り、大恐(いたくおそる)は、腎(むらと)を傷(やぶ)り、大慯(いたくい
たむ)は、命(みと)を傷(やぶ)り、大驚(いたくいわく)は、胞(えな)を傷(やぶ)る。極(きは
み)に至(いた)る者(ひと)は、即(ただ)ちに死(まか)り、次(つぎのほと)に至(いた)る者(ひと)は、
即(ただ)ちに疾(やまひ)し、其(その)の次(つぎのほと)は、積(つも)りて病(や)むべし。

是(こ)れ、吾(わ)が大神(おほかみ)の意(むね)にして、異医(あたしくにのいやし)、更(さら)に同(おな)じからず。

(大神とは、和医の太祖、大己貴神=地照大神)

心科、第十八

初、己情

(喜心⇔赤神⇔心臓)

喜(よろこ)ぶときは、樂(たのし)ぶ。喜(よろこび)と樂(たのしび)とは、心(さね)の好(この)
む所(ところ)なり。時(よりより)に有(あ)りて、小(ほのか)に在(あ)るときは、心(さね)を
養(やしな)ひ、病(やまひ)を消(け)すなり。還(かへ)りて、頻(しき)りに有(あ)りて、大(
いた)に在(あ)るときは、心(さね)を損(そこな)ひ、病(やまひ)を發(おこ)すなり。其(そ)の損(そこな)ひ凡(ただ)に為(な)す
ときは、重(おも)く病(わづら)ひ、病(わづら)はざる者(ひと)は、遠(とほか)らずして病(わ
づら)ふなり。絶(たへ)を爲(な)すときは、頓死(まか)り、死(まか)らざる者(ひと)は、乍(
たちまち)に重病(おもきやまひ)となるなり。故(か)れ、聖者(ひしり)は、常(つね)に其(そ)の
理(ことわり)に住(ととま)りて、喜(よろこ)ぶべき喜(よろこ)び、之(こ)れを欲(おもほ)す
こと無(な)くして、還(かへ)りて、無我(うつろ)の身(み)を喜(よろこ)び、樂(たのし)むべ
き楽(たのし)み、之(こ)を欲(おもほ)すこと無(な)くして、還(かへ)りて、無我(うつろ)の樂(たのし)びを樂(たのし)む。故(か)れ、心(さね)、健(すこや)かにして傷(やぶ)れる所(ところ)無(な)し。

(怒心⇔青魂⇔肝臓)

怒(いか)るときは、惡(にく)む。怒(いかり)と惡(にくみ)とは、肝(きも)の好(この)む所(と
ころ)なり。道(みち)にして怒(いか)るべきを怒(いか)り、惡(にく)むべきを惡(にく)む。亦、
道(みち)にして休(やす)むべきに休(やす)みて以(もち)て遣(や)らず。潰(つぶ)さず。是(こ)れ、人(ひと)の常(
つね)、君子(きみひと)の所爲(しわざ)なり。故(か)れ、其(そ)の鬱邪(ふさぎ)を散(ち)らして、敬(つつし)
みて、肝(きも)、自(おのつか)ら清(きよき)に復(もど)り、以(もち)て病(やまひ)に至(いた)
さず。理(ことわり)に非(あら)ず、節(ほとわり)に非(あら)ずして欲(ほしみこころ)に在(あ)り、我(わたくしこころ)に在(あ)る
ときは、肝(きも)、傷(やぶ)りて、病(やまひ)を爲(な)す。其(そ)の病(やまひ)を爲(な)す
者(もの)は、亦、甚(はなはだしき)を以(もち)てし、絶(はてはてしき)を以(もち)てするときは、頓瀕死(はやしに)し、又、遠(とほか)らずして死(まか)るべし。

(憂心⇔白魄⇔肺臓)

或(ある)いは、憂(うれ)へ、或(ある)いは、哀(あはれ)び、肺(いきふくろ)は、之(こ)れを爲(
な)して、肺(いきふくろ)、又、之(こ)れが与(ため)に傷(やぶ)る。世(よ)の憂(うれ)ふこと、
難(つつみ)を哀(あは)れむこと、是(こ)れ、尋常(よのつね)なり。其(そ)の尋常(よのつね)、
尚(なほ)、之(こ)れを強(し)ひてするときは、病(やまひ)を爲(な)さむ。況(いは)むや
欲(ほしみこころ)を爲(な)し、我(わたくしこころ)を爲(な)するに於(おき)てをや。

絶(いた)く恐(おそ)るるときは、即死(はやしに)し、絶(いた)く憂(うれ)ふときは、果死(はてしに)す。
其(そ)の命(いのち)を縮(しじ)め、病(やまひ)を爲(な)すこと、之(こ)れを恐(おそ)りずは、あるべからず。

(思心⇔黄靈⇔脾臓)

或(ある)いは、思(おも)ひ、或は、愛(うつくしび)、脾(よこし)、之(こ)れを爲(な)して、脾(よこし)、又、
之(こ)れが与(ため)に傷(やぶ)る。謀計(はかりこと)、憶慮(おもひはかり)、皆(みな)、思(おもひ)に
屬(つ)き、戀慕(したひ)、慈憐(あはれみ)は、是(こ)れ、愛(うつくしび)に屬(つ)く。悉(ことこと)
く、節(ほと)に非(あらざ)るときは、脾(むらと)を傷(やぶ)る。是(こ)れより、臓腑(きも)、虚損(うつろ)と成(な)る。

(恐心⇔黒精⇔腎臓)

其(そ)の悲(かなしび)、其(そ)の欲(おもほり)は、是(こ)れ、腎(むらと)の情(おもひ)なり。
多(おほ)く悲(かなし)ぶときは、精(ものいき)、自(おのつか)ら、槁(か)れ、多(おほ)く欲(
おもほ)るときは、液(きもしる)、自(おのつか)ら、減(へ)る。五臓(いしなのきも)は、風(ふと
めいき)、火(めをこいき)、愠(ふとほそのをいき)、濕(はてめいき)、燥(はてをいき)を主(つかさと)り、
唯(ただ)、精(ものいき)と液(きもしる)を以(もち)て、之(こ)れを養(やしな)ふ。其(そ)の
精(ものいき)と液(きもしる)、乾(かは)き尽(つく)すときは、何(なに)を以(もち)てか、之(こ)れを養(やしな)はむや。

(恐心⇔黒精⇔腎臓)

其(そ)の恐(おそり)、其(そ)の驚(いわき)は、命門(つぎと)の情(おもひ)なり。常(つね)に
恐(おそ)り、常(つね)に驚(おどろ)く者(ひと)は、精(いきほひ)、減(へ)り滅(ほろ)び、氣(
いき)哀(かなし)く絶(た)へ、或は、狂乱(くるひみだれ)し、或いは、「老の下に毛」猥(みだる)、
即死(はやまかり)し、即病(はやわづらひ)す。甚(いた)く恐(をそ)り、甚(いた)く驚(いわ)く
者(もの)は、即死(はやしに)、即病(はややみ)なり。

恐(おそり)と驚(いわき)の命(いのち)を撃(う)つこと刄(やきは)の猶(こと)し。又、其(そ)の
發(おこ)ること火(ひ)の如(こと)し。故(か)れ、君子(きみひと)、常(つね)に心静(こころしづ
か)にして、驚(いわき)を離(はな)れ、常(つね)に情(こころ)を治(をさ)めて、恐(おそ)りを解(と)く。

夫(そ)れ、五臓(いしなのきも)、己(おのれ)に其(そ)の情(こころ)を發(おこ)して、還(かへりて、
其(そ)の己(おのれ)を破(やぶ)る。譬(たと)へば、木(き)の火(ひ)を生(な)して、火(ひ)の爲(
ため)に即に亡(ほろぼ)さるるが如(ごと)し。是(こ)れ、臓(きも)、自(おのつか)ら傷(やぶ)る者(もの)なり。
其(そ)の情(こころ)、常(つね)に起(おこ)るときは、常(つね)に其(そ)の内(うち)を傷(やぶ)りて、
内(うち)の虚弱(かよはさ)をして、内(うち)、傷(やぶらし)む。故(か)れ、外(そと)の爲(ため)に
即傷(やぶ)らるるは、譬(たと)へば、器(うつは)の中(うち)に水滿(み)ちて、中(うち)、實(み)つると
きは、外(そと)の火(ひ)、入(い)り難(かた)く、燒(や)き難(かた)く、其(そ)の水(みつ)、減(
へ)るに隨(したか)ひて、火氣(ひのいき)入(はひ)り、又、隨(したか)ひて、之(こ)れを燒(や)くが
如(ごと)し。是(こ)れ、臓(きも)、佗(ほか)の傷(やぶ)る者(もの)なり。故(か)れ、醫(いやしの
みち)を學(まな)ぶ者(ひと)は、心(こころ)を虚(うつろ)にし、腹(はら)を實(まこと)にし、思(お
もひ)を虚(うつろ)にし、神(みたま)を實(まこと)にし、内(うち)の傷(やぶ)りを解(と)き、外(そ
と)の入(やぶ)りを脱(のか)れ、疾病(やまひ)無(な)きことを致(いた)せ。是(こ)れ、臓(きも)の
傷(やぶ)り無(な)き者(もの)なり。疾(やまひ)無(な)くば、親(おや)に孝(ひた)し、病(やまひ)無(
な)くば、君(かみ)に忠(つか)へたてまつる。身(み)に病(やまひ)無(な)く、行(わざ)に疾(やまひ)
無(な)し。是(こ)れを醫(いやしのみち)を學(まな)ぶ者(ひと)と名(い)ふ。是(こ)れ、傷(やぶ)り無(な)き者(ひと)は、道(みち)に有(あ)る者(ひと)なり。

二、互情

樂(たのしび)、驚(いわく)は、肝(きも)を傷(やぶ)り、思(おもひ)、悪(にくむ)は、心(さね)を
傷(やぶ)り、哀(あはれび)、喜(よろこび)は、脾(よこし)を傷(やぶ)り、悲(かなしび)、愛(うつく
しび)は、肺(いきふくろ)傷(やぶ)り、怒(いかり)、恐(おそり)は、腎(むらと)を傷(やぶ)り、欲(
ほしみ)、憂(うれへ)は、命門(みと)を傷(やぶ)る。

是(こ)れ、互(かたみ)に相奪(あひうば)ひて、互(かたみ)に相(あ)ひ養(やしな)ふこと無(な)き
ときは、倶(とも)に虚(うつろ)にして、倶(とも)に傷(やぶ)る。此(こ)の傷(やぶり)、速(すみや)
かに為(な)すに非(あら)ず。相(あ)ひ因(ちな)みて、之(こ)れを為(な)す。君子(きみひと)、預(あらかじ)め知(し)りて、大(いた)く、之(こ)れを憚(はばか)る。

情節

情(おもひ)は、性(さが)の發(おこり)、心(こころ)の迫(せまり)なり。、人(ひと)として、是(こ)れ
無(な)き者(もの)無(な)し。之(こ)れを節(ほとわり)を以(もち)て君子(きみひと)とす。之(こ)れ
を放(はな)つを以(もち)て不肖(をさなきひと)とす。喜(よろこ)ぶ、驚(いわ)くの心(こころ)の情(お
もひ)、迫(せま)るときは、心(さね)を傷(やぶ)り、悪(にく)み、怒(いか)るの肝(きも)の情(おもひ)、
之(こ)れを逸(のか)すときは、肝(きも)を破(やぶ)る。憂(うれ)へ、哀(あはれ)むの情(おもひ)、之(こ)れ
を妄(みだ)るときは、肺(いきふくろ)を撃(う)ち、思(おも)ひ、樂(たのし)むの脾(よこし)の情(おもひ)、
之(こ)れを過(こ)ゆるときは、脾(よこし)を損(そこな)ひ、恐(おそ)り、悲(かなし)みの腎(むらと)の
情(おもひ)、之(こ)れを恣(ほしきまにま)にするときは、腎(むらと)を消(け)し、内(うち)には、百病(
もものやまひ)を生(なら)し、外(そと)には、千罪(ちぢのつみ)を成(なら)す。故(か)れ、神聖(かみ)、
医(いやしのみち)を設(まう)けて臓(くら)を養(やしな)ふ。神(みたま)を安(やす)みし、徳(いきほひ)
を立(た)て、福(さきはひ)を成(な)す。臓(いつくら)、養(やしな)はざるときは、病(やまひ)、茲(ここ)
に發(おこ)り、神(みたま)安(やすか)らざるときは、7に茲(ここ)に至(いた)る。徳(いきほひ)立(たた)
ざるときは、罪(つみ)、茲(ここ)に生(な)る。福(さきはひ)、成(な)らざるときは、禍(わざはひ)、茲(
ここ)に競(きそひな)る。臓神(くらのみたま)、徳(いきほひ)、福(さきはひ)にして、之(こ)れを成(な)すべし。
病7(やまひ)、罪(つみ)、禍(わざはひ)にして、之(こ)を敗(やぶ)るべし。畢竟(つまるところ)、箇道(
このみち)に至(いた)るのみ。道(みち)、以(もち)て、之(こ)れを立(たた)ざるときは、病7(やまひ)、
罪(つみ)、禍(わざはひ)、自(おのつか)ら廃(すた)れ、臓(くら)、神(みたま)、徳(いきほひ)、福(
さきはひ)、自(おのつか)ら立(た)つ。道(みち)、又、廃(すた)るときは、病(やまひ)、7、罪(つみ)、禍(わざはひ)、
乍(たちま)ちに立(おこ)り、徳(いきほひ)、福(さきはひ)、乍(たちま)ちに廃(すた)る。其(そ)の道(
みち)の廃(すたり)と立(おこり)は、即(すなは)ち、情(おもひ)を節(ただ)すに在(あ)り。情(おもひ)
は、以(もち)て節(ほと)に中(あた)るときは、自(おのつか)ら道(みち)立(た)つことを得(う)。故(か)れ、
神聖(かみ)は、専(もは)ら節(ほと)に中(あた)るをおしへて、療道(いやしのみち)を立(た)て、之(こ)れ
に依(よ)りて、大医(おほきいやし)、中節(なかほど)に止(とどま)りて天命(かみつよさし)を養(やしな)ふ。

能(よ)く養(やしな)ひて心(こころ)を療(いや)し、行(おこなひ)を療(いや)し、家(いへ)を療(いや)し、国(くに)を療(いや)すのみ。

行節

聖人(ひしり)、凡者(ただひと)に異(ことな)ること其(そ)の遠(とほ)きや、雲泥(くもどろ)の如(こと)し。
其(そ)の近(ちか)きや、7毛(すきけ)の若(こと)し。

心(こころ)は、理(ことわり)に鎮(しづま)りて理(ことわり)の外(ほか)の物(ものこと)を思(おも)はず。
身(むくろ)は、理(ことわり)に住(とどま)りて理(ことわり)の外(そと)の事(ことわざ)を為(な)さず。
口(くち)は、理(ことわり)に限(かぎ)りて、理(ことわり)の外(そと)の食(くひもの)を嗜(むしな)まず。
氣(いき)は、理(ことわり)に定(さだま)りて、理(ことわり)の外(そと)の動(はたらき)を發(おこ)さず。

心(こころ)は、中(なか)に鎮(しづま)りて、中(なか)の思(おもひ)に鎮(しづま)る。理(ことわり)と雖(いへど)も中(なか)を越(こ)へず。
身(むくろ)は、中(なか)の為(をさま)に住(とどま)りて、理(ことわり)と雖(いへど)も過(あやまち)を為(な)さず。
口(くち)は、中(なか)の食(くひもの)に限(かぎ)りて理(ことわり)と雖(いへど)も飽(あき)を致(いた)さず。
氣(いき)は、中(なか)の動(はたらき)に定(さだま)むるや、理(ことわり)と雖(いへど)も分(ほど)を過(こ)へず。

物物事事(ものものことこと)、婿道にして七情(ななつのおもひ)傷(やぶ)らず。四氣(よのいき)侵(をか)さず。
是(こ)れ、行(めぐり)、節(ほと)を為(な)す。行(めぐり)の節(ほと)、天(あめ)に合(かな)ふ。故(か)れ、

心(こころ)は、日日(ひひ)清(きよ)く、智(さとり)は、法法(のり)に亨(とほ)る。
身(むくろ)は、時時(ときとき)、浄(きよ)め、業、糸宰に称(かな)ふ。何(なに)そ病(やまひ)を為(な)さむや。
凡者(ただひと)は、何(なに)の故(ゆゑ)に凡(ただ)を為(な)す。聖(ひしり)に7る(もと)を以(もち)てなり。

故(か)れ、善事(よきこと)に之(おもむ)くや、事(ことわざ)を嫌(きら)ふ。低(ひく)く、不及(およばぬ)にして、外(そと)を節(ほと)に相(たす)く。
悪事(わろこと)、好事(このみこと)に之(おもむ)くや、みな、大過(おほこへ)にして、節(ほと)、行行業業(わざわざ)に中(あた)らず。
悉(みな)、罪(つみ)にして、五労(いついたみ)、恣労(ままいたみ)、七傷(ななつやぶり)、食絹傷、是(こ)れ、不節(きづ)を為(な)す。
不節(きづ)、天(あめ)に背(そむ)き、故(か)れ、心(こころ)、日日(ひひ)、濁(にご)り、智(さとり)、法法(のりのり)に
迷(まよ)ふ。身(むくろ)、時時(ときとき)汚(けが)れ、業(わざ)、糸宰7に屈(くぐ)む。何(なに)そ、病(やまひ)を為(な)さざらむや。

医行、第九

初霊医

大医(おほいやし)の行(わざ)を為(な)す、其(そ)の体(むね)たるや、空莫(そら)にして吾己(われ)無(な)し。
無為(ただり)にして屈氣(くぐむいき)無(な)し。無情(うつろのおもひ)、無念(うつろのおもひ)、維(こ)れ、
性(さが)、清(きよ)く正(ただし)きなり。其(そ)の相(なり)たるや、霊明(くしび)にして光(ひかり)を日月(
ひつき)に取(と)り、霊(くしび)貞(さだか)にして行(めぐり)を五星(いつぼし)に取(と)る。
心(こころ)は、明昭(あきらか)、氣(みいき)は、浩弘(ひろやか)なり。其(そ)の用(わざ)は、
善和(うまし)にして物(ものこと)に美(うるは)く合(かな)ふ。淳順(すなほ)にして事(ことわ
ざ)を美(うるはし)くするに応(こた)ふ。惟(おもひみ)るに邪(よこしま)無(な)く、業(わざ)
に私(わたくし)無(な)し。其(そ)の体(むね)は、相(なり)に具(そなは)り、其(そ)の相(
なり)は、其(そ)の用(わざ)に為(な)り、体(むね)と相(なり)と用(わざ)は、一虚無(うつ
そら)を致(いた)し、久爾(ひさしく)、不縮(とこは)を見(あらは)し、長妙(ながく)、不立謁(とこは)を見(あらは)すのみ。

次、人医

曰(いは)く、小医(ほそきいやしみち)の行(おこな)ひを為(な)すや、其(そ)の内(うち)は、
仁恕(めぐみ)にして往(とどま)り、事(こと)に悔(くひ)無(な)し。今事(いましこと)憂(
うれ)へ無(な)し。寛寛然(ゆるやか)にして安(やすらか)、又、穏(おだひか)なり。其(そ)の
外(そと)は、体(すかた)美(うるはし)くして、行会(つどひこと)すらく、滞(とどこほ)る修儀(
ふるまひ)無(な)し。疵山無(な)し。和和然(にこやか)にして、快(こころよけ)、又、樂(たのしけ)なり。

大(おほき)、小(ほそき)、同(おなじ)く道(みち)を為(な)す。

三。合医

曰(いは)く、霊(くしび)、人(ひと)、一(ひとつ)に合(かな)ひて君子(きみひと)なり。

何(なに)をか為(な)す。医者(いやしひと)なり。故(か)れ、道(みち)を為(な)すらく、
医(いやしのみち)を学(まな)ぶ徒(ともから)、當に天地(あめつち)の始(はしめ)を知(し)り、
又、其(そ)の終(をはり)を知(し)るべし。知(し)らざるときは、気血(いきち)の始(はしめ)に
迷(まよ)ひ、又、其(そ)の終(をはり)に迷(まよ)ふのみ。當に陰陽(めを)の生(ならし)を
知(し)り、又、其(し)の尽(つくし)を知(し)るべし。知(し)らざるときは、経路(みち)の
7みちに迷(まよ)ふ。當に五神(いつみたま)の常(ひたふるさ)を知(し)り、又、其(そ)の貞
三を知(し)るべし。知(し)らざるときは、五情(いつおもひ)の節(ほと)を晦(くら)ませ、又、
其(そ)の逸(のかし)を晦(くら)ます。當に五行(いつめぐり)の王(きみ)を知(し)り、又、
其(そ)の相(なり)を知(し)るべし。知(し)らざるときは、五臓(いつくら)の實(まこと)を
晦(くら)ませ、又、其(そ)の虚(うつろ)を晦(くら)ます。

天地(あめつち)に達(いた)り、気血(いきち)に達(いた)り、陰陽(めをいき)に達(いた)り、経
終(みちのはて)に達(いた)り、五神(いつみたま)に徹(とほ)り、五情(いつおもひ)に徹(とほ)
り、五行(いついき)に徹(とほ)り、五臓(いつくら)に徹(とほ)りて、天(あめ)我(われ)の一(
ひとつ)を格(きは)むときは、真空(まそら)、霊善(くしび)、其(そ)の極(きはめ)、以(もち)て道(みち)満(み)つ。

道科、第十

初、体法

虚寂(そらやか)にして、心(こころ)を消(け)して、真(まこと)に入(い)り、道徳(みちのいきほひ)、
氣(いき)に融(とか)して、中(なか)に帰(かへ)る。

故(か)れ、心意(むなはせ)清無(きよらか)にして、喜(よろこ)び、怒(いか)るとも湛(たた)へず。
憂(うれ)へ、思(おも)ふとも留(とど)めず。

志慮(おもはせ)、淳雅(なほやか)にして、恐(おそ)れ、欲(ほし)むとも迫(せま)らせず。

愛(うつくし)び、鬱(うつ)ぶとも引(ひき)かず。

胸(むね)を天(あめ)に復(かへ)して、明静(ほからか)にして、聖(ひしり)の嘆仁(めぐみ)を辞(ことは)り、
腹(はら)を空(そら)に復(かへ)して、弘莫(ひろやか)にして、賢(さかしひと)の強義(ただし)を過(こ)ゆ。

未(いま)だ仁(めぐみ)を名(い)はずして、天転(あめめぐり)の愛育(めぐみ)に有(あ)り。
未(いま)だ智(さとり)を名(い)はずして、日月(ひつき)の照曜(さとり)に有(あ)り。
未(いま)だ義(ただし)を名(い)はずして、五行(いついき)の生剋(ただしな)に有(あ)り。
未(いま)だ禮(ゐやび)を名(い)はずして、五星(いつぼし)の節儀(ゐやび)に有(あ)り。

一切(すべて)、無名(ななし)にして、一切(すべて)、名(な)の如(こと)くするときは、百病(もものやまひ)、
入(い)るに処(すきま)無(な)く、千疾(ちぢのやまひ)來(く)るとも隙(すきま)無(な)し。大(おほき)なるかな。道(みち)なるかな。徳(いきほひ)に至(いた)る。

次、用全

萬物(よろもの)、虚(そら)より來(きた)り、天(あめ)に借(か)りて成(な)る。萬事(もろこと)、
虚(そら)に於(おい)て發(おこ)り、天(あめ)に用(もち)ゐて行(おこな)ふ。虚(そら)の本(
もと)、天(あめ)の末(すゑ)、本末(もとすゑ)一道(ひとみち)、以(もち)て7らずして往(おもむ)く。

其(そ)の本(もと)を見(み)る為(な)す者(もの)は、元(もと)を知(し)りて、元(もと)を為(な)す。
其(そ)の末(すゑ)を見(み)る者(もの)は、淳(すみ)を知(し)りて、淳(すみ)を為(な)す。

其(そ)の元(もと)を為(な)して、淳(すみ)を為(な)す者(もの)は、天(あめ)に障(さは)り無(な)く、
地上(くに)に塞(ふさぎ)無(な)し。人(ひと)の中(なか)に滞(とどこほり)無(な)く、神(かみ)
の際(きわ)に咎(とが)無(な)し。其(そ)の障(さは)り無(な)く、塞(ふさき)無(な)く、滞(
とどこほり)無(な)く、咎(とが)無(な)き者(もの)は、氣血(いきち)、天(あめ)に廻(めぐ)り、
肌肉(はだ)、地(つち)に調(ととの)ひて、病(やまひ)無(な)く7に無(な)し。其(そ)の内(うち)、
病7(やまひ)に無(な)き者(もの)は、亦、外(そと)に難辱(つつみ)無(な)し。己(おのれ)、之(こ)れ
を得(え)て、人(ひと)をして、之(こ)れを得(え)せしむるときは、以(もち)て、天下(あめのした)、
平(たひら)かにして、国家(くにいへ)、穏(おだや)かなり。

氣科、第十一

發、本末

物(もの)を以(もち)て世(よのなか)為(な)る。物(もの)、分(わか)ちて五(いつしな)を為(な)す。

二(ふた)本(もと)、二(ふた)末(すゑ)、一摂(ひとつか)なり。

五(いつつ)は、云何(いか)に。

天地(あめつち)、是(こ)れ、本(もと)の二(ふたつ)と云(い)ふ。
生形(あれかた)は、是(こ)れ、末(すゑ)の二(ふたつ)と云(い)ふ。
神(かみたま)は、是(こ)れ、摂(ふさね)の一(ひとつ)と云(い)ふ。

天(あめ)は、云何(いか)に。

是(こ)れ、限氣(はていき)にして陽施(をのほどこし)を成(な)す。

地(つち)は、云何(いか)に。

是(こ)れ、陰質(めのたち)にして陰定(めのさだめ)に成(な)る。

此(こ)の二(ふたつ)、先(さき)に有(あ)りて能(よ)く萬物(もろもの)を成(なら)す。

故(か)れ、本(もと)と名(い)ふ。

生(あれ)は、云何(いか)に。

是(こ)れ、羽(けもの)、氣、鱗(うを)、甲(むし)、裸(すもの)、

形(かた)や云何(いか)に。

是(こ)れ、萌(もへかた)、堅(かたかた)、柔(やはかた)、化(かはかた)、氣(いきかた)、

此(こ)の二(ふたつ)、後(のち)に有(あ)りて天地(あめつち)成(な)す所(ところ)、

故(か)れ、末(すゑ)と名(い)ふ。

神(かみたま)は、云何(いか)に。

是(こ)れ、本末(もとすゑ)を摂(ふさ)ね、之(こ)れを領(しら)し、獨(ひと)り霊(かみ)たり。

故(か)れ、摂(ふさ)ぬと云(い)ふ。

夫(そ)れ、其(そ)の生形(あれかた)は、天地(あめつち)の氣(いき)を稟(う)けて成(な)らずといふこと無(な)し。

中(なか)に就(つ)くに、生物(いくもの)、天地(あめつち)に依(よ)りて氣血(いきち)を成(な)して
動情(うごめくおもひ)を得(え)、最精(くしび)なり。天陽(あめのをいき)、氣(いき)を成(なら)して、
地陰(つちのめいき)血(ち)を成(なら)す。天(あめ)は、大(おほき)して能(よ)く地(つち)を
包(つつし)み、地(つち)は、小(ほそき)にして、天(あめ)に包(つつま)る。大(おほき)を稟(
う)くる者(もの)は、大(おほき)にして氣(いき)余(あま)り、多(おほ)くして溢(あふ)れ易(
やす)し。小(ほそき)を稟(う)くる者(もの)は、小(ほそき)にして、血(ち)、7少(すくな)く
して減(へ)り易(やす)し。其(そ)の溢(あふ)るる者(もの)は、功(いさをし)折(を)るに非(
あらざ)るときは、還(かへ)りて、増(ま)して、其(そ)の減(へ)る者(もの)を補(おぎぬ)ひて
中位(なかつくらゐ)を得(え)て、不及者(およばぬもの)は、増(ま)し得(え)るときは、自(おの
るつ)ら減(へ)るの理(ことわり)なり。之(こ)れを養(やしな)ふ。養(やしな)ふに補薬(くすろ)を以(もち)てせずは、あるべからず。

五五(はたちあまりいつしな)

(天照大御神の神勅)

一(ひとしな)を攝(と)りて得(え)たりと雖(いふと)も、五五(はたちあまりいつしな)にして、
有(ありもの)を窮(きは)め、單(ひとへ)を獲(と)りて得(え)たりと雖(いふと)も重重(み
へ)にして理(ことわり)を盡(つ)くす。是(こ)れ、道(みち)なるのみ。

(是(こ)れ、五鎭(いしづ)を練(ね)りて、后(のち)、道(みち)なる、其(そ)の教(をし)への元(もと)なり。)

(聖徳太子の御釈)

鎭道(しづめのみち)は、五(いしな)を得(え)て、道(みち)、己(おのれ)に窮(きはま)る。

然(しか)も、以(もち)て、爾(しか)りと雖(いへど)も、未(いま)だ曾(かつ)て、其(そ)
の有(ありもの)を盡(つ)くさず。宗旨(むね)は、一(ひとしな)、一(ひとしな)にして、理(
ことわり)又(も)窮(きはま)る。然(しか)も、又、是(か)くの如(こと)く、更(さら)に
餘(あま)り無(な)きこと能(あた)はず。故(か)れ、底(そこ)を探(さぐ)りて、五五(は
たちあまりいつしな)を出(いだ)し、密(こまのり)を押(お)して、重重(みへ)を露(あらは)
す。皆(みな)、天有(かみながら)にして、人解(ひとながら)に非(あらざ)るのみ。唯(ただ)、
五(いしな)を修(をさ)めて、未(いま)だ五五(はたちあまりいつしな)を修(をさ)めざると
きは、其(そ)の間(あひた)に闇(やみ)有(あ)り。闇(やみ)より迷(まよひ)を發(おこ)し、
猥(みだり)を發(おこ)す。迷(まよひ)は、心(こころ)を昧(くらま)し、猥(みだり)は、身(
み)を汚(けが)す。唯(ただ)、單(ひとへ)を修(をさ)めて、未(いま)だ重重(みへ)を修(
をさ)めざるときは、其(そ)の間(あひた)に迷(まよひ)有(あ)り。迷(まよひ)より僻(ひが
み)を發(おこ)し、非(あやまち)を發(おこ)す。僻(ひがみ)は、心(こころ)を曲(ま)げ、
非(あやまち)は、身(み)を恣(ほしきまにま)にす。心(こころ)、昧(くら)み、曲(まが)り、
身(み)、汚(けが)れ、恣(ほしきまにま)にするときは、永(なが)く眞極(まきはめ)の路(みち)を閉(と)づ。

一(ひなしな)を獲(と)りて得(う)ることは、何(いかに)そや。

或(ある)いは、宗(むね)有(あ)る、神(みたま)の一(ひとしな)を以(もち)てし、又、心(
こころ)の一(ひとしな)を以(もち)てす。或(ある)いは、宗(むね)有(あ)る、理(ことわり)
の一(ひとしな)を以(もち)てし、又、氣(みいき)の一(ひとしな)を以(もち)てす。皆(みな)、
粗(ほぼ)にして、宗(むね)を獲(と)る。

五五(はたちあまりいつしな)にして窮(きはま)ることは、何(いかに)そや。

唯(ただ)、五鎭(いしづ)のみを全(また)くして、尚(なほ)、精(くはし)くするのみ。況(いは)
むや、五(いしな)に五(いしな)有(あ)るを竭(つ)くさむをや。此(こ)れ、精道(くはしきみち)
に至(いた)る、是(こ)れなり。

單(ひとへ)を獲(と)りて得(う)ることは、何(いかに)そや。

或(ある)いは、宗(むね)有(あ)る、麁(あらしな)の一(ひとへ)を以(もち)てし、又、細(こま
しな)の一(ひとへ)を以(もち)てす。或(ある)いは、宗(むね)有(あ)る、上(かみしな)の一(
ひとへ)を以(もち)てし、又、麁(あらしな)を弃(す)つるを以(もち)てす。皆(みな)、粗(ほぼ)
にして、宗(むね)を獲(と)るそ。

重重(みへ)にして盡(つ)くすは、何(いかに)そや。

細(こましな)に至(いた)りて麁(あらしな)を弃(す)てず。上(かみしな)に至(いた)りて麁細(
あらこま)を用(もち)ゐる。麁罪(あらつみ)は、麁(あらしな)を以(もち)て、之(こ)れを斷(た)
ち、細罪(こまつみ)は、細(こましな)を以(もち)て斷(た)つ。細道(こましなのみち)は、細(こ
ましな)を以(もち)て修(をさ)め、上道(かみしなのみち)は、上(かみしな)を以(もち)て、又修(
をさ)む。至(いた)れずといふ所(ところ)無(な)く、偏倚(かたよ)る所(ところ)無(な)し。是(こ)れなり。

是(こ)の道(みち)とは、何(いかに)そや。

五五(はたちあまりいつしな)、重重(みへのみしな)、是(こ)れ、道(みち)の道(みち)なる、是(こ)れ
なり。何爲(なにす)れぞ、皇天(あまてるみかみ)、此(こ)の句(みこと)を結(むす)びたまふ。麁者(あ
らきひと)は、之(こ)れを見(み)て、之(こ)れを大過(おほきにすぎたり)と誹(そし)り、細者(こまか
きひと)は、之(こ)れを見(み)て、之(こ)れを紛弘(まぎらはし)と嫌(きら)ひて、其(そ)の極(きは
め)を竭(つ)くさざるが故(ゆゑ)なり。皇天(あまてるみかみ)の道(みち)は、鮮(あざや)かなり。是(
ここ)を以(もち)ての故(ゆゑ)に、豫(あらかじ)め、之(こ)れを結(むす)びて、其(そ)の僻(ひがみ)
を避(さ)くのみ。諺(ことわざ)に曰(い)へらく、「少少(ちひさ)かる一池(ひといけ)を以(もち)て、大
大(おほき)かる萬海(もろうみ)を嫌(きら)ふ。」といへり。諺(ことわざ)に曰(い)へらく、「洪洪(お
ほき)かる湊(みなと)、能(よ)く時(とき)を以(もち)て、淡(あは)、茲(ここ)に出(い)で、潮(し
ほ)、茲(ここ)に入(い)る。海鱗(わたのうを)は、之(こ)れを嫌(きら)ふこと衆(おほ)く、河魚(かはのうを)は、之(こ)れを好(この)むこと寡(すくな)し。」といへり。

(了)


宗徳経:五鎮修法 - トバル

2015/08/14 (Fri) 17:55:59


得成

(天照大御神の神勅)

道(みち)に止(ととま)りて、罷(まか)らざる者(ひと)、

(聖徳太子の御釈)

五鎭(いしづ)の三重(みへ)を修(をさ)め了(をは)るときは、道(みち)を成(な)す。

道(みち)に止(ととま)りて不道(あつきなきひと)に之(ゆ)かざるは、是(こ)れ、君子(きみひと)なり。

君子(きみひと)に四品(よしな)有(あ)り。

賢者(さかひしり)、聖者(しもつひしり)、至者(なかつひしり)、眞者(かみつひしり)なり。

是(こ)れを四入(よいり)と名(い)ふ。既(すで)に道(みち)を行(おこな)ひて道(みち)を得(う)るの人(ひと)なり。

是(こ)れ、先賢(さきつひしり)を學(まな)びて、其(そ)の跡(みあと)、先賢(さきつひしり)の
如(こと)く、或(ある)いは、其(そ)の象(かたち)、一(ひとつ)に非(あら)ずして、其(そ)の
徳(いさをし)、異(ことな)りといふこと無(な)し。是(こ)れ、斯(こ)れは、君子(きみひと)か。

唯(ただ)、記通(ものしり)にして、跡(あと)非(わろか)るや、是(こ)れは、斯(こ)れ、詐侫(
あだひと)なり。師(ものをしへひと)として、之(こ)れを學(まね)ぶに足(た)らず。或(ある)い
は、學人(まねぶひと)、識辨(さかしら)に惑(まど)ひ、師(ものをしへひと)として、之(こ)れを
學(まね)ぶときは、習(ならひ)も、學(まなび)も、虚(そらこと)に零(お)ちて、遂(つひ)に實(
まこと)を失(うしな)ひて、還(かへ)りて毒(そこなひ)を生(な)して、妄(あだひと)に入(い)る。
蕩(えら)く蕩(ゆたやか)たる君子(きみひと)、唯(ただ)、師(をしへひと)とするに足(た)るのみ。

(天照大御神の神勅)

堅(かた)きは、賢(さかしひと)と成(な)りて、之(こ)れに任(た)ふ。

(聖徳太子の御釈)

道(みち)を堅(かた)くし、人(ひと)に敏(さとし)くして積(つ)み成(な)す。是(こ)れ、賢人(
さかしひと)なり。是(こ)れ、欲垢(ほしみ)無(な)く、迷塵(まよひ)無(な)くして、后(のち)、道(みち)に任(た)ふ。

諺(ことわざ)に曰(い)へらく、「知(し)りて迷(まよ)はず。初(はし)めて、學仙(まねひしり)を得(え)、未(すゑ)に差(たが)はざるを聞(き)く。」といへり。

是(こ)れ、學仙(まねひしり)なり。

焉(こ)れを非(ひがこと)なりと知(し)りて、又、之(こ)れを作(な)し、焉(こ)れを是(まさこと)なりと
知(し)りて、之(こ)れを作(な)さずは、「少の下に兎」道(うちのみこ)の才(かど)有(あ)れども、是(こ
)れ、凡者(ただひと)なるのみ。知(し)るが如(ごと)く、之(こ)れを行(おこな)ひて、初(はし)めて、賢位(さかしひとのくらゐ)に入(い)る。

非(ひがこと)たるを聞(き)きて、未(すゑ)に是(まさこと)とし、是(まさこと)たるを聞(き)きて、未(すゑ)に
非(ひがこと)とするは、浪華(なにはのみこ)の徳(みさが)有(あ)れども、未(いま)だ賢者(さかしひと)たらず。
初(はしめ)と後(をはり)と同(おなじきこと)を聞(き)ける、是(こ)れを賢者(さかしひと)とす。

(天照大御神の神勅)

亨(とほ)れるは、聖(しもつひしり)と成(な)りて、之(こ)れに任(た)ふ。

(聖徳太子の御釈)

生(あれなが)らの賢(さかしひと)にして、能(よ)く堅(かた)くして、二元(あめつち)に通(とほ)りて積(つ)み成(な)る。
是(こ)れ、聖人(しもつひしり)なり。道(みち)に垢(はぢ)無(な)く、我(おのれ)に塵(みだり)無(な)くして、后(のち)
に聖(しもつひしり)に任(た)ふ。

諺(ことわざ)に曰(い)へらく、「聞(き)かざれども、天(あめ)の高(たか)み、地(つち)の厚(
あつ)みを知(し)り、了(とほ)らずといふこと無(な)く、習(なら)はざれども、神物(かみこと)、
人事(ひとこと)を知(し)り、行(おこな)はずといふこと無(な)し。」といへり。

是(こ)れ、下仙(しもつひしり)とす。

生(うまれなが)らに知(し)りて、乾坤(あめつち)に通(とほ)り、自(みつか)ら行(おこな)ひて、
人(ひと)と神(かみ)とに能(た)ふ。是(こ)れ、聖人(しもつひしり)、亨叡(とほれる)の者(ひ
と)か。師(ものをしへひと)とするに足(た)るかな。於於(あぁ)、人者(ひと)の學(まね)ぶ所(
ところ)、此(ここ)に至(いた)れるかな。

諺(ことわざ)に曰(い)へらく、「當(まさ)に限(かぎ)り無(な)きことを學(まね)ぶよりは、賢
者(さかしひと)を學(まね)ぶには如(し)かざるべし。當(まさ)に限(かぎ)り有(あ)ることを學(
まね)ぶよりは、聖者(しもつひしり)を學(まね)ぶには如(し)かざるべし。」といへり。

(天照大御神の神勅)

盡(つ)くすは、至(なかつひしり)と成(な)りて、天(あめ)に通(とほ)る。

(聖徳太子の御釈)

生(あれなが)らの聖(しもつひしり)にして、咸(みな)、通(とほ)りて、之(こ)れを盡(つ)くして、
天(あめ)に昇(のぼ)る。是(こ)れ、至人(なかつひしり)なり。

諺(ことわざ)に曰(い)へらく、「羽(はね)無(な)くして、天(あめ)に至(いた)り、鰭(ひれ)無(な)
くして海(うみ)を既(つ)くす。」といへり。

是(こ)れ、中仙(なかつひしり)なり。

空(そら)に如(ゆ)き、限(はて)に之(ゆ)きて、見(み)ずといふ處(ところ)無(な)し。至人(
なかつひしり)の物(ものこと)に明(とほれ)るなり。尊(みこと)とするに足(た)れるかな。更(さ
ら)に人者(ひと)の常(つね)に似(に)らず。

(天照大御神の神勅)

絶(た)へたるは、眞(かみつひしり)と成(な)りて、仙天(あまつひしり)に入(い)る。

(聖徳太子の御釈)

生(あれなが)らに絶(た)へて、直(ただ)ちに仙天(あまつひしり)と爲(な)る。是(こ)れ、
眞人(かみつひしり)なり。理(ことは)り解(と)きて、彼此(かれこれ)する所(ところ)に非(あらざ)るのみ。

諺(ことわざ)に曰(い)いへらく、「生(あれなが)らの位(くらゐ)、日月(ひつき)にして、生(
あれなが)らの功(いさをし)、天宿(あめのやとりほし)なるは、唯(こ)れ、上仙(かみつひしり)なり。」といへり。

是(こ)れを學極(まなびのきはめ)とす。神者(かみつひしり)の學(まなび)、茲(ここ)に至(いた)れるかな。

之(こ)れを仰(あふ)ぎて、無慢(つとめ)の極(きはめ)に至(いた)る。是(こ)れ、大學(おほきまなび)の眞學(まことのまなび)なり。

是(こ)れ、其(そ)の人(ひと)の上(かみ)を拌(す)てざるの道(みち)なり。

(天照大御神の神勅)

成(な)さざる者(ひと)は、道(みちひと)に非(あら)ず。成(な)る者(ひと)を以(もち)て道(みちひと)とす。

(聖徳太子の御釈)

問(と)ひ、聞(き)き、記(しる)し、通(とほ)りて、四品(よしな)に任(た)へざる者(もの)は、
道(みちひと)とするに足(た)らず。唯(ただ)、神者(かみつひしり)のみに有(あ)りて、天道(あ
まつみち)を空(むなし)くせず。於於(あぁ)、神者(かみつひしり)に依(よ)るや、人者(ひと)又(
も)美(うるはしさ)を得(え)、人上(ひとのかみ)を拌(す)てずして、無慢(つとめ)の極(きはめ)
を得(う)。之(こ)れを外(そと)を崇(あがま)へ、内(うち)を窮(きは)むと云(い)ふ。人間(
ひとのよ)の美(うるはしさ)は、此(ここ)に在(あ)り。

諺(ことわざ)に曰(い)へらく、「學(まな)びて、四品(よしな)に入(はひ)らざるときは、未(い
ま)だ非(とが)の際(きは)を出(い)でず。學(まなび)を盡(つ)くして至(いた)る。只(ただ)、
是(こ)れのみを是(よし)とす。」といへり。

(天照大御神の神勅)

其(そ)の成(な)ることを得(う)るに道(みち)有(あ)り。

宗天(たかつあめ)を「耳偏に登」(まも)らへて、學(まなび)を得(え)て、馴(な)れず、緩(ゆる)まず。
己天(おのがあめ)を守(まも)りて、行(おこなひ)を得(え)て、之(こ)れを信(うべな)ひ、之(こ)れを勤(つと)む。

(聖徳太子の御釈)

四品(よしな)を成(な)すの道(みち)は、二岐(ふたみち)を分(わか)つのみ。

常(つね)に、高天(たかつあめ)を「耳偏に登」(まも)りて、日(ひ)と月(つき)と星宿(ほしのやとり)の
度政(のりまつりこと)を觀(み)、四時六氣(よときむいき)の運行(はこびめぐり)を察(み)て、之(こ)れ
を宗(むね)として用方(わざのり)とすらくm更(さら)に差(たが)はず。之(こ)れを取(と)りて、己(お
の)れに學(まな)び、又、失(うしな)はず。其(そ)の差(たが)はざる、失(うしな)はざる、之(こ)れを
一(ひとつ)として、是(ここ)を以(もち)て道(みち)とす。馴(な)るるときは、之(こ)れを輕(かろ)み
す。故(か)れ、馴(な)れず。緩(ゆる)むときは、之(こ)れを怠(おこた)る。故(か)れ、緩(ゆる)めず。

是(こ)れを宗天(たかつあめ)の道(みち)とす。

常(つね)に己(おの)が身(み)を守(まも)りて、天(あめ)の曜宿(やとりほし)、地(つち)の形行(いか
たみち)、躰躬(むくろ)に具(そなは)り、天轉(あめのめぐり)、氣運(いきのめぐり)、度法(ちのり)、氣
血(いきち)に具(そなは)るの極(きはめ)に達(いた)り、以(もち)て、天(あめ)と我(われ)の一(ひと
つ)たるを行(おこな)ひて、是(ここ)を以(もち)て道(みち)とす。疑(うたか)ふときは、進(すす)まず。
故(か)れ、之(こ)れを信(うべな)へ。怠(おこた)るときは、成(な)らず。故(か)れ、之(こ)れを勤(つと)めよ。

是(こ)れを己天(おのあめ)の道(みち)とす。

兩天(ふたあめ)、其(そ)の極(きはめ)は、二(ふたつ)ならず。是(こ)れを成(な)すことを得(う)るの道(みち)とす。

(了)

聖徳太子の未来記が三種類存在する理由 - トバル

2015/04/05 (Sun) 12:01:13

私の調査・研究では、聖徳太子の未来記(千歳紀)は、三種類存在することが確認出来ている。では、何故、未来紀(千歳紀)は、三種類も存在するのだろうか。これは、私独自の解釈だが、それは、どうやら、三部の神道と無関係ではないらしい。つまり、三部の未来紀は、三部の神道の各三つの視点から記述された宗源道(神道)の未来紀、斎元道(皇道)の未来紀、霊宗道(心道)の未来紀であるということである。

ちなみに、楠正成が四天王寺で見たとされる太平記や太子未来記傳義所載の未来記は、斎元道(皇道)の未来記である。だから、人皇何代と天皇の代数が明記されているのである。さらにいえば、一般に未然本紀として知られる未来紀は、霊宗道(心道)の未来紀である。だから、文中に宗源、斎元の両教義が合わせて記述されている。霊宗は、宗源、斎源を思い兼ねる心道だからである。となれば、残るもう一つの未来紀は、宗源道の未来記となる。今現在、判明していることは、三種の未来記(千歳紀)の最後は、共に豊臣秀吉による天下統一を預言しているということである。

これは、天照大御神=イエス・キリストの再臨、天下統一の複合預言である。未来記にキリスト暦のゲマトリア数秘術が仕組まれているのは、その為だ!!!

詳しいことは、いずれ、時が来れば述べることにしたい。

聖徳太子は、原始キリスト教「神の道」における未来を預言する神の預言者だったのである。

Re: 聖徳太子の未来記が三種類存在する理由 - 教会員

2015/04/25 (Sat) 06:46:13

紹介です。
http://blog.livedoor.jp/hideki4612/

Re: 聖徳太子の未来記が三種類存在する理由 - トバル

2015/04/28 (Tue) 17:37:45

教会員さん、はじめまして。公開中のHP拝見致しました。飛鳥情報や末日聖典の周辺情報も集大成されていてまことに感服いたしました。これからも同じ目的に向かってお互いにがんばっていきましょう。


続、太子未来記


聖徳太子は、敏達天皇の皇子と伝える橘氏の子孫である友常貴仁氏によれば、陰陽師、安倍晴明は、聖徳太子の未来記を見て未来の出来事を知った一人であるという。この未来記は、斎元道(皇道)のものとみられる。これには、十七条憲法が廃れる時、日本が滅びるとか「ものすごいこと」が書かれているらしい。それゆえに中々公開されない。友常氏によれば、地元の京都では、公演できない状況にあるという。京都に根を張る権力筋といえば、、、いや、まだ時期が早い・・・。

今現在、友常氏は、息子に家督を譲る方向だが、この斎元道(皇道)の未来記は、其の息子さんが公開されるかもしれない。其の時、日本、そして、世界の未来は、、、どのような状況になっているのだろうか?

いずれにしても、三種の未来記の最後は、世界の豊臣秀吉(日吉権現=豊国大明神)=天照大御神=イエス・キリストの再臨、天下統一の預言で締めくくられている!!!

Re: 聖徳太子の未来記が三種類存在する理由 - 教会員

2015/04/29 (Wed) 21:16:17

返信、ありがとうございます。


『先代旧事本紀大成経』を研究したいのですが、情けないことに漢字ばかりでさっぱり読めないのです。
 
WEB上では、次のページしか見つかりませんでした。
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sendaikuji/taisei.htm
 
そこで、掲示板お過去ログのトバルさんの記事から読んでいますが、漢字の熟語が調べても分からないので、読めないのです。
http://akio-aska.com/others/bbs/15/155.html
 

読めないながらも、このようなことなのではないかと、文章を作りました。
お手数ですが、宜しかったら添削修正してください。
 
私は現在、創世記の創造の研究をしています。
よろしくお願いします。
 
 
心に、造化の理を催し、冥生は、茲に起る

(天父は)心に創造の理由をひき起こし、心の奥底に生まれ、この時に起こりました。
 
 
理は、造化の気を鎮め、玄極は、茲れに基づく。
  
創造の理由は、創造のエネルギーを治め落ち着かせ、極微細なほとんど見えない物質が、この時、基となって起こりました。
    
人​が​霊​の​子供​として​もうけられる​前​から​存在​して​いた​霊​の​元素​を​指して​英知
https://www.lds.org/scriptures/gs/intelligence-intelligences?lang=jpn#
 
  
気は、造化の境を動し、幽易は、茲に成る。
 
エネルギーは、創造の空間を区切る境目を動かし、隠れ改まり、この時、形成されました。
 

https://www.lds.org/scriptures/gs/spirit?lang=jpn&letter=%E3%82%8C

霊と霊界 1
http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1018484879.html
霊と霊界 2
http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1018488324.html
  
 
境は、造化の神に通い、妙定は、茲に貞まる。
 
空間を区切る境目は、創造の神に通じ、すばらしく定まり、この時、正しく定まりました。
 
霊界 
   

Re: 聖徳太子の未来記が三種類存在する理由 - トバル

2015/04/29 (Wed) 22:54:50

大成経を研究するには、前提として、漢文の訓読(大和言葉)ができなくてはなりません。又、解読には、大成経の原本(長野本、高野本、佐々木本)の入手は、勿論、壮大なスケールを誇るカバラの秘伝奥義が記述された「大成経の秘伝奥義書」の入手が必要です。さらに、カバラや、聖書等の聖典類の知識も必要です。私などは、全財産をかけて原本や秘伝奥義書を入手し、一応の解読を試みましたが、未だに綺麗に整理できていません。其の膨大なメモの内、天祖(天の御親)と天尊(天の御言)の部分を今ここに引用しておきますので、どうぞ、参考にしてください。誤字、脱字だらけで、文章の体を成していないものもありますが、神代部分の天地人創造の参考になると思います。ちなみに、訓読文から現代語訳文への翻訳は、私も試みましたが失敗しています(笑)上掲の翻訳文は、中々のものだと思いますが、秘伝奥義継承者の文の如く、簡単な説明文程度にとどめておく方が良いと思われます。翻訳する根性があるならば、がんばってみてください。以上。


【宗源道要教伝】(著者抜粋)


四天

■空天(縁天)、九百万歳(縁、生、極、易)

天祖、天尊、此間在御

天祖、九百萬

■開天(生天)、九百万歳(縁、生、極、易)

天神七代、獨神七代、此間在御

天祖、一百萬、天尊、一百萬

天神、一百萬、二代、同、三代、同、四代、五代同、六代、同、七代、同

■盛天(極天)、九百万歳(縁、生、極、易)

地神五代、三百六十王、此間在御

■喪天(易天)、九百万歳(縁、生、極、易)

天逆魔命、此間、天地萬物亡滅


□先代舊事本紀目録

第一巻、神代本紀

祖尊二代、並びに、天神七代の正事

天祖、並びに、太虚五鎭之神道
天尊、並びに、大極五鎭之神道

倫神七代、並びに、九天六地、天宮黄泉
独神七代、並びに、五行生剋、成就、


□先代舊事本紀巻第一(さきつよのふることのもとつふみつぎつひとまきにあたるまき)


空天(むなしあめ)


神代本紀

無生始天神(あれますはしめなきあまつかみ)(太源神祖。カバラでは、アイン=無の神。老経に「無」。無明寂静呼子鳥。神折。)

神代本紀箋

天祖は、理体の神、天地、末だ開かざる始より、虚莫の際に在して開天にも生ひず。盛天にも長びず。
喪天にも衰へず。空天にも没ばず。永壽常住、無始無終なり。故に無生始と云ふ。天神とは、天も末し。地も末し。
と雖も、此の神、四天に主たり。故に天神と云ふ。

天讓日天先霧地讓月地先霧皇尊(あまのゆつるひあまのさきりくにゆつるきくにのさきりのすめらみこと)

天祖(あまつみおや)、天讓日天先霧地讓月地先霧皇尊天祖太神尊(あまゆつるひあめのさきりくにゆつるきつちのさきりのすめらみことのあめみおやのおほみかみのみこと)、
又(あたしな)は、常世常皇尊(とこよのとこすめのみこと)。

(先天本紀、更名、愛寵染著相應衆生主尊(うましそめなしふさへるいきとしいけるのみこと))

神代本紀箋

此の章は、天祖の名を明かし、又、其の徳を神名二つ有り。一つは、正號、二は、別號なり。天譲より
神尊に至るまでは、是れ、正號なり。乃ち、句義、字義の異有り。句義とは、連續の文字に就きて、義を取
るなり。天譲日とは、此の天神、空天に在すと雖も、是れ、乃ち、開天の日神なり。天とは、天上の義。
譲とは、辞譲の義。譲日とは、炎光の徳を辞し、照明の徳を辞し、恩恵の徳を辞して日に譲る。故に之
れを譲日と謂ふ。地譲月とは、此の太神は、乃ち、開天の月神なり。地とは、国土の義。譲月とは、地は、
是れ、月神の掌なり。月に謐虚の體有り。濕成の用有り。光景の徳有るなり。天祖、皆、之れを辞して月に譲る。
故に譲月と云ふ。天先霧地先霧とは、地氣上り、天気、應へずして、霧成る。陰陽、亂れて、蒙冒、地を
覆ふの物なり。猶、天地の先霧と言ふが猶し。是れ、天地、末だ開かざる先を云ふ。天地、末だ開ざると
きは、五行、末だ生らず。然れども、五行、亡滅して無に非ず。唯、中の物にして、水も水に非ず。火も火
に非ず。五行、細抹、微塵の如し。水形、元より至りて微なり。故に「火偏に同」霧の知るを失はず。

四友(火木金土)、皆、是に依りて和融し、虚莫の間に充塞するなり。是れ、則ち、天祖の身なり。獨り、
この尊有して神と為り、心と為り、又、理、氣、境と為る。神は、東と為り、心は、南、理は、西、氣は、
北、境は、中と為る。木、火、金、土、春、夏、秋、冬、用、含霊、非霊、爾り。神は、魂、神、魄、精、
霊有り。心に愛、知、勇、敬、信有り。理に縁、生、極、易、定有り。氣に風、熱、燥、寒、湿有り。境
に目鼻陰有り。所有、物、皆、事有りて、此の間に外る者無し。其の含象、恰も「火偏に同」霧の如し。

故に天先霧地先霧と云ふ。天祖とは、祖は、本なり。始なり。神の元神なり。故に天祖と云ふ。(一説に
天譲日、地譲月とは、空天は、天祖の代なり。故に天祖、之を治めたまふ。開天の後は、天地五行、位を
定めて日月星宿生現す。故に天政を日神に譲り、地政を月神に譲りたまふ。是故に天譲日、地譲月と云ふ。)


字義とは、一字の義を明すなり。

天とは、此の尊の神鎭、化流して、主宰と成る。諸天、帝神、宿辰、星曜、是れなり。
讓とは、此の尊の理鎭、化流して、天圓、旋轉と成る。曜宿、度運、春夏秋冬、千物、万法、是れなり。
日とは、此の尊の心鎭、変化して、日神と成る。大火、小火、寒水、乾金、風動、土氣、是れなり。
天とは、此の尊の气鎭、造化して、九天、八極と成る。是れなり。
先とは、此の尊の鎭道、變易して、陽理の元極と成る。是れなり。
霧とは、此の尊の境鎭、流布して、神躬、靈躬の境界を成す。是れなり。

地とは、此の尊の神鎭、化流して、地后、地祇、山河、土石、草木、禽靈と成る。是れなり。
讓とは、此の尊の理鎭、化流して、地方、堅定、五行、生剋、一切、万法と成る。是れなり。
月とは、此の尊の心鎭、変化して、月神と成る。大水、小火、寒水、乾金、生水、濕土。是れなり。
地とは、此の尊の气鎭、造化して、六地、八海と成る。是れなり。
先とは、此の尊の鎭道、變易して、陰理の元極と成る。是れなり。
霧とは、此の尊の境鎭、流布して、人躬、物躬の境界と成る。是れなり。

皇とは、此の尊の鎭徳、命降して、皇帝の尊位と成る。是れなり。

此の神、常存、常在、霊体虚、霊宮に鎮座する。天壊、喪又、開き、成る、と雖も是れ天魂有り。故に、天、又、依り託る。
事、易有り。極あり。成り、壊れ、唯、此神、無事、目徳のみあり。壊易を解き、極を脱す。故に、生死無し。

天祖とは、天とは、三天、四天を兼ね、祖とは、天、地、神、人、万物万化の元と成る。是れなり。
太神とは、太過なり。太極、太玄、太一等に之を用ゐ、類を出づるの義なり。神は、神明なり。尊は、高貴敬長なり。

是れ、字義の名解と云ふ。

常世常皇尊とは、天祖の別号なり。又とは、再なり。再び天祖の別名を云ふ。常世とは、常は、経なり。常久の義なり。
開壌の天地に対して、常恒不変なるが故に常世と云ふ。天地は、空、開、盛、喪の四天に有りて常住なること無きなり。
然るに、天祖、常在の天は、末だ曾て開壌らず。常住不易の天なるが故に常世と云ふ。常皇とは、皇とは、皇は、君なり。
又総ぶるの義なり。此の天尊は、天地万物を総べて常久の君上なるを以ての故に常皇と云ふ。開天の天神以降、地神、
及び、人皇、其の長短有りと雖も、皆、悉く前後亡滅す。然るに、天祖は、常恒永存し、不易の皇神なり。故に常世常皇と謂ふ。

先天本紀箋

別号、更名、愛寵染著相応衆生主尊とは、蓋し、天祖は、一切世界の体性なりと雖も、体も、亦、体相用有り。
天譲日等の正号は、是れ体徳なり。(神代本紀の別号、常世常皇尊と云ふも常恒永存の義にして体徳なり。然
るに天の譲日地譲月は、斯れ、本明の徳なり。常世常皇とは、常住の徳なり。畢竟、此の両名は、明常の徳を露にす。名解は、 神代本紀に在り。)

今の別号は、その相と用を謂ふなり。相応衆生主は、斯れ、即ち、其の用なり。愛は、慕なり。燐なり。仁なり。
親み至りて、心を結びて、慕燐、惠仁なる、是れ、愛の義なり。寵は、恩なり。尊榮なり。易の師のニ象に師に
在りて中にして吉なるは、天寵を承る。王、三たび、命を金易ひ、萬邦を懐くるなり。染は、漬なり。糸曾を以
て、染めて色を為すなり。亦、柔なり。著は、附くなり。麗くなり。言ふは、此の大仁の仁惠、慕燐の心、至りて、深厚にして、
その親好、至極にして、其の心を結構し、恩を萬物に金易ひて、猶、浸染するが猶し。其の心、捨て難く、篤く、
此れ、附着し、之に執着す。是れ、大神、窮極無く、大仁、大慈の徳功にして、天祖の相徳なり。又、相応主衆
生主とは、天祖の用徳なり。相は、省視なり。助なり。導なり。扶なり。応は、當なり。料度なり。又、物の
感するなり。荘子に同類、相従ひ、同声、相応すと。衆生主とは、蒼生なり。主は、主宰の義なり。省視、助導、
扶持は、相の義なり。料度、當感、応するの義なり。言ふは、天祖大神は、天地萬衆庶の生生を視し、之を助導
し、之を扶持し、其の當然を料度り、物を感じて、以て、悉く、相応して、一切、大小、広狭を択ぶこと無くして、
各其の所を得せしむるの主宰なり。故に愛寵染著相応衆生主尊と云ふ。(略)大毘蘆遮那経に因、根、究竟の説
有り。言を菩提心を因とし、悲を根本とし、方便を究竟とす。云々。斯れ、此の三句、即ち、天祖の体相用なり。

祖の正号は、明寂常住は、是れ覚心にして体と因と為せり。別号の愛染寵著は、是れ、大悲にして相と根本としたり。
又、相応衆生主は、是れ、方便にして用と究竟とす。其の体、斯れ道ひ難し。開天時至りて天地造化する、即ち、是れ、
大悲の相なり。此の神、時に中りて造化心を發すと謂ふ。斯れ、愛寵大悲心なり。秘密経の中に愛染王有り。是れ、
一切喩伽中に於て最尊最勝なり。即ち、是れ、天祖大神、造化心の三昧なり。又、盛天の法は、方便を究竟とするの
天祖の用教なり。相応は、衆生の義、千差万別。千変萬化なり。

著者註、宗源道中山家(山蔭家)の神傳に、天祖は、御自分の創造物を愛しておられる。宇宙萬物に愛の光を放ていると云う。
是れ、即ち、宗源道の愛染傳なり。宗源道九鬼家の中臣伝承に、聖徳太子編纂の「天皇記」「国記」の神代部分には、大日如来の佛説が交えられているという。即ち、天皇記、国記の正体は、神代本紀、先天本紀に大日如來の佛説を交える先代旧事本紀である。

アイン 無 

虚莫(うつろのみそら)の極(きはみ)に坐(ま)し、妙定(たへみのさだめ)の限(かぎり)に立(た)ち、先(さき)に
物(もの)有(あ)ること無(な)く、之(こ)れを主(つかさと)るに非(あら)ずと云(い)ふこと無(な)し。

此(こ)の神(かみ)、常在(とこまし)、常存(とこいき)にして、霊虚(みそら)、霊宮(あやしみや)に在(ま)す、天(あめ)壊れ、又、
開(ひら)き、成(な)ると雖も、是れ、天魂(あまつみたま)有り。故(か)れ、又、天(あめ)、依り、託るなり。

是(こ)れ、天(あめ)より先(さき)の神(かみ)を謂(い)へる、其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

神代本紀箋

自下は、天祖の徳を述ぶ。徳に体と用有り。此の二句、徳の体を謂ふ。虚莫とは、虚は、空。莫は、無。

天祖の代代、天地開かず。人物末だ生らず。色も無く香も無し。形も無く、臭も無し。中中然として卒爾の無に非ず。
恒恒如として茫然の空に非ず。之を虚莫の極と謂ふ。極は、至極の義なり。妙定の限に立は、妙は、精微なり。
神化不測、之を妙と謂ふ。定は、精なり。安止凝決なり。

空天の代は、唯、理のみ。理に縁、生、極、易有り。

縁とは、世万の興起すること縁より生らずといふこと無し。生とは、万物、其の縁に因みて生成に始て成るを生と云ふ。
極とは、其の生成なる者、盛極、極畢に至る。之を極と云ふ。易とは、変なり。其の極至れば、必ず、衰変す、之を易と謂ふ。
定は、縁生極易、各定理有り。此の定理有るが故に縁生極易は、終始を相ひ成して環の端無きが如し。

事物の諸業、悉く此の理漏ること無し。

空天の間、唯、理のみにして縁、生、極、易の定理に立つ。此の定理と世間事物の定理と空天の定理と異といふこと無しと雖も、
甚深微妙にして、定極は、知滅す、之を名けて妙定と曰ふ。限は、界なり。又、分隔し、空天に数有り。是れ、亦、定理なり。
空天の数、尽くときは、開天に移る。定数の界限、空天を治めたまふ。故に妙定の限に立と云ふ。是れ、徳の用を謂ふ。

先に物有ること無しとは、神の在すこと無きなり。又、萬物有ること無し。天祖は、理体の神にして空天に
在す。空天のは、天祖の他に物有ること無し。故に先に物有ること無しと云ふ。之に主るに非ること無しと
は、空天より開天の神人に万物に至るまで、悉く天祖の鎮五に非るといふこと無し。故に主宰せざる如にして、
實は、之を主るに非ずといふこと無し。喪天、壌れて空天と成る時は、万物尽く。亡滅して、唯理のみにして
天祖の身と成る。開天の時、其の理、先天の牽かれるに随ひて今天の万物と成る。皆、是れ、天祖の理鎮なり。故に之を主るに非ずと云ふ。

事、易有り。極有り。成り壊れ、唯、此の神、無事、目徳、有り。壊れ、易を解き、極を脱す。故に生死無し。

天祖、理体、先天本紀、理身、気身、精身、三重伝に、①理身は、五理、縁、生、極、易、定の法則を主体とする神身。法身。
理身に於て、神鎮は、理に於る総る霊(五神、五理司、五心、五気、五境、総べ、納める。)、心鎮は、理の性(五心、五理に則る。)、気鎮は、理の為
の身(五気、五理に則る。)、境鎮は、理の為る所。(五境、五理に則る。)空天、天祖、②気身は、理身、以て神魂
とし、天中の気鎮の境を以て身体とす。七代の神は、気身。③精身は、理身を以て神魂とし、父母の精気を以て身体とす。諾、冊、以降の
神は、精身。理身、気身、精身、三位伝に、①理身は、理鎮を以て心則とし、神鎮の赤神(心鎮)を以て覚身とする。故に、
諸神、方則を以て心則とする。赤神の心鎮、常に五理を聖覚する。②気身、神鎮の五識を以て心識とし、気鎮の五気を以て
神身とす。故に、鬼神、神識、以て心とする。五神の神識、常に五境五感を霊覚する。③精身は、心鎮識炎の五心を以て識
心とし、気鎮の五気を以て神身とす。故に、諸人、胸を以て心とする。五気の五境、常に五境の五官を知覚する。云々。天祖、三重①理身、三位、①、理身

虚漠虚空、広大無辺、無限空間には、五神和合の一神一霊が虚空に有依生活して偏在する。虚は、滅無の界。有方、依し有らずと
いふこと無し。神は、無尽霊物、天と天を経て尽くといふこと無し。其の性、霊、化は、妙。神は、活霊、生にして、有方、
主として依らずといふこと無し。神は、主にして、霊物、故れ、妙に存活る。五神、五心に則り、五理を司る。天祖大神、是れなり。プラズマ宇宙神霊。この神霊中の赤
神中には、識炎、即ち、心鎮、五心が和融依託して偏在する。心は、無尽識物、萬法を謀り、究極めずといふこと無し。性は、識。業は、貫。
昔、聖覚、宰り、有方、領らずといふこと無し。心は、識者、故に、妙に、又、理鎮、神鎮に和融冥貫して、偏在する。理は、法極断物、法を成し、極を作す。
性は、断、象は、實。理は、法則の文、有方、制さずといふこと無し。理は、常物、妙に、法則、造化、五理、五神に法り、五気を司る。気鎮、神霊に、憑依して、偏在する。
気は、満動、元物、普く張りて、虚に満。性は、易、造は、素、造化の物、有方、憑成さずといふこと無し。気は、動物、故に、造化
五気、五理に法り、五境、五神 具る。境鎮、境を成し、態を現す。性は、納、質は、穴。境は、成現形物、納処の形。有方、納取る。五境に五気に法り、五神を主る。

先天本紀、神の右身、陽に化、左身、陰に化け、心、熱気に化り、肝、風気に化り、肺、燥気に化り、脾臓、湿気に化る、腎、寒気、
とある。神、左右身は、理に於て、無限に偏在する、天祖の神霊、青魂、赤神は、右陽、天譲日、白魄、黒精は、左陰配する。天譲月、
五気、五臓は、理に於て、天祖の神気、寒気、生気、熱気、気、湿気が、天祖の腎、肝、心、肺、脾に当るという神理。風気。熱気、天先霧、冴気、寒気、は、地先霧、
又、神を北、冬に配し、心を南、夏に、理を西、秋に、気を東、春に、境を中、用に配る、という伝あり。これも、理に於て、神を水の理、
性寒、体和、用侵の理に置き、心を火の理、性燥、体烈、用焼、気を木理、性生、体動、用弥、理を鐘理、体堅、用鎮、境を土理、性塞、体堪、用積に
置き、という意味。虚漠、極に坐すは、空天、無限プラズマ宇宙空間のこの宇宙区域に元素五鎮のみが偏在し、造化、造化物質、五気、液体
気体、電体、固体、混体。原始状態、原始物質、原子、星間分子雲としてのみ存在した。造化物体無き虚無の極限状態に虚漠、極に坐すよという。
妙定に限、立とは、天祖、理身にして、縁、生、極、易の定理にのみ実在立脚するという意味。空天、体、空理、相、中理、用、世理の三理
の変がある。無始、無終、實在するは、縁無き縁、空理は、生無き生、中理は、極無き極、世理は、易無き易の定理にあたる。易、世理に
於て、気鎮が行われて、有限空間、球体宇宙、天尊、誕生し、有限、宇宙成る。天譲日、地譲月、皇尊は、実は、常世気身、太上三神、映現
理神。星神、術魂、日神は、幸、和、月神、荒、奇は、主宰する。天神七代、造化三神、天御中、高皇、神皇、盛天には、天体三神、星肖肖気、天照、月読を
映現する。太上三神は、星神は、御父にして、元理身、気身の人体にして後に常世気身人体と成り、昇映して理境を造る。己を映現する。
理身の天祖、是れなり。日神は、御父の神子にして長男。陽神、陽心、陽理、陽気、陽境、を主る。最初、理身人体として宇宙、太陽系、創造。後、地球に精身人体、現人神として生まれ、
陽理を以て、贖罪、再生を慣行。常世気身人体と成る。五十神、天照大御神、月神は、御父、神子、陰神、陰心、陰理、陰気、陰境を主る。
最初より、理身人体、映現理体の天祖は、常世気体の星神が、神子の日神、月神と一致団結して、己が、霊理、体理を映現した映現理神。
ゆえに、空天に於て、萬品総持、本源一神を成す。宗源は、すべて、一、是れなり。開天、盛天、喪天に於ては、天、地、人と日、月、星
の別体の主宰三神を映現する。斎元は、別して、三、是れなり。そして、四天に於て、天譲日、高皇、日体は、日智一識、地譲月、神皇、
月体は、月仁五心、皇尊、中主、星神は、星勇八意の識心意を成して万象を主宰する。霊宗、宗源、斎元を兼ぬ、是れなり。

佛典、無明、無空、無我、無識、空界、法界、静慮、三昧、道典、無為、太元、太玄、大羅天、是れなり。

虚形(そらかた)の靈躬(あやしみ)(長野本に霊息(みいき))は、伸(の)ぶべくして、未(いま)だ伸(の)びず。屈(くく)むべくして、未(いま)だ屈(くく)まず。
萌(きさ)すべくして、未(いま)だ萌(きさ)さず。變(かは)るべくして、未(いま)だ變(かは)らず。常(とこは)にして寂(しづ)けし。

其(そ)の始(はしめ)も不知(いさ)。其(そ)の生(みあれ)も不知(いさ)。

諸(こ)れを神氣(かみのみいき)と謂(い)ふ。

是(こ)れ、氣(みいき)を説(と)く教(をし)への其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

解鎮分傳

虚形とは、理体にして太虚に遍き、氏れなり。(本紀に霊体に作る。蓋し誤りなり)
霊体とは、玄身、八根を具る。氏れなり。
霊息とは、妙息にして虚莫に塞る。氏れなり。

諸れを神氣と謂ふとは、其の始め无き神氣、質妙に五運の功を成して、流布くを五行と云ふ。

虚形は、太虚無形、霊体は、天祖の融体に具る八根の器官。八根とは、神一識、心一意、境五官、気一身、八根。即ち、
天祖の神識(精妙、魂感、神活、魄験、霊霊)の一識一根(五神和融)、天祖の心意、禮、仁、義、信、一意一根(五
心八意末分)、天祖の境識(耳精、目魂、口神、鼻魄、陰霊)の五官五根、天祖の気体、大陽、終陰、両小、限陽、大陰、
一気一根(五気和融)。この時、八根、虚空に偏在し、姿形無し。ゆえに、虚形の霊体という。長野本に虚形の霊息。霊息
は、八根中の身気五気の活動、五行を云う。五気、師伝に、空天の際、五形、各々、虚漠中に融和、密合して、光霞
煙霧の猶し。水、一、火二、木、三、金、土五総べて、本数、萬物、生、皆、此に本く、天祖身、天祖心、謂ふ。師伝、空天、皆、虚漠、
五行、悉く、融和し、細抹微塵の如し。唯、水、定体無し。故に霧質、失せず。友、憑寄りて之に合ふ。虚漠、偏に水の如し。師伝に空天、際、物無し。
相無く、水、虚漠に汪し、友、質、融和、密和、或いは、昇り、或いは、降り、或るは、動き、或いは、静、円方、宝形、
三角、半月、五形、五彩、明暗、時に露れ、又、時に穏る。形、形に非ず。相、相に非ず。動静、昇降、実、爾く
有るに非ず。日月、末だ見ず。唯、理のみ。精霊、五形、中に伏蔵し、明ならず。暗ならず。朧朧たる月、雲を隔て、明、降すが如し。

聖書、天地創造、地は、混沌であって闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。是れなり。

この時、原始五気、混合、偏在して、陰陽、生剋変化、五気五行(いつれのいき)の五運、五形、五色、只、理のみ存在し、明暗、時に現れ、時に穏れ実気、陰陽、生剋、五行、五運、五形、五
色無し。ゆえに、虚形霊体の中の霊息、陽気、伸ぶべく伸びず。陰気、屈べくして、屈まず。相生、萌べくして萌さず。
相剋、変るべくして変らず。賀茂神道、宗源伝に、元来、一心の元気、吾と神、無二無別、天地、同根、一神霊、内動き、外静か、
外動き、内静か、内外合一。不散乱。是れなり。霊宗、静心に、呼吸伝、息算こと一~八、転五度、旧気をはき、新気
呑むこと八度、気を丹田に鎮め、五度、八は、風気数。五は、五鎮、五行。原始五気、寒気、風気、熱気、燥気、湿気、
五行は、開天、初代時に於て生成される。即ち、神、造化の心を発、心、造化の理を催し、即ち、赤神、心火、熱気を
動かし、燥気を剋め、湿気を生し、動気を生し、云云。理、造化の気を鎮め、云云、この後、太極、陰陽、分離の後、
陰陽の五気、①大陽、水、冬、②終陰、木、春、③両小、火、夏、④限陽、金、秋、⑤大陰、土、用と成る。其の生成理
は、即ち、①湿和行、芽気を生し、芽気、積るときは、木と成る。性は、生、体は、動、用は、弥。東春、主、②動芽
行、熱気を生し、熱気、積ときは、火と成る。性は、烈、体、用は、焼、南夏、③燥焼行、垢気を生し、垢気、積ときは、
土を成す。性、塞、体、堪、用は、積、中用、塞堪行、重気を生し、重気、積ときは、金を生し、性、強、体は、堅、
用は、鎮、西秋、⑤重鎮、湿気を生し、湿気、積、水を成す。性は、生、体は、寒、用は、侵、北冬、是れなり。天地、
活動は、天祖の霊息、春、夏は、陽にして、吐く息、秋、冬は、陰にして、吸う息。烏伝神道、稲荷神伝、水火伝。三雲、白川神祇伯家、天津息吹、息吹永世、水火伝、是れなり。

空天数理、五気伝。理は、数、数は、理、ゆえに、数を以て、理を表示する。数伝、是れなり。①霊宗数、空天、開、盛、喪、数伝。
②宗源数、界化数、竟伝、配神数、造天数、造地数、③斎元数、神化数、実伝、倫数、独道、各々、霊宗、宗源、斎元、
数伝、空天数は、皆、同伝。①一水寒気、間中、②二火熱気、下北、③三木風気、左西、④四金、燥気、上南、⑤五土、湿気、右東に配る。一水、中に於て、四気、水気
の中に汪し、四融するを表示する。原始五気五方配置は、五気五質の相対原理を表すのみにして、実気は、五種の粉末、
水霧に混合するが如く、混在して存在する。五気、各々、自他の生理、自他の剋理あり。①水は、金に生り、火に
剋ち、木を生し、土に剋めらる。②火は、木に生り、金に剋ち、土生し、水に剋めらる。③木は、水に生り、土に剋、
火を生し、金に剋、④金は、土に生り、木に剋ち、水を生し、火に剋。⑤土は、火に生り、水に剋、金、生し、木に剋
めらる。原始五気、融和、生剋、対峙、混合して、不動。静寂。陰陽、五行、五気、五運、五形、未定。可伸、未伸、
可屈、未屈、可萌、未萌、可変、未変。無位無形、ゆえに、この数理、無位無形 数と
冥定とは、妙定道なり。見れず。故れ、冥なり。常を為す。故れ、恒に定る。
妙生とは、冥定世なり。議れず。故れ、妙なり。物を成す。故に、生成する。
玄極とは、中なり。微密なり。故れ、玄なり。節有り。故れ、中極なり。
幽易とは、法なり。至精なり。故れ、幽なり。限有り。故れ、変易なり。
真縁とは、行なり。精微なり。故れ、眞なり。依縁有り。

氏れを神理と謂ふは、其の始め无き神法、妙に五極の微を成して、流布を五理と云ふ。

氣、幽に依しとは、精妙の氣質、精妙に集るなり。
心、玄に託りとは、精妙の心性、精妙に具るなり。
理、冥に貫くとは、精妙の理法、精妙に穿るなり。
魂、妙に活りとは、精妙の魂霊、精妙に存るなり。

之を神活と云ふとは、其の始め无き神霊、妙に五霊の存を成して、流布を五魂と云ふ。

久方の目とは、天明の神目、天然に具足る。久方の耳とは、天聴の神耳、自、具足る。

これを神境と言ふとは、其の始め无き神体、妙に五処の根を成し、流布を五境と云ふ。


鎮法は、則ち氏れ、天祖の身、
いう。原始五気は、五神に浮遊
する電気的に中性状態、プラズマ大気、星間分子雲、五温、五質を云う。原始、五気、プラズマ、渦巻き現象、プラズマフィラメント、
電磁気流巻き込まれ、渦を為し、伸び縮みして、太極元極を為し、熱温度が高く、光輝度が高く、分子密度が薄く、軽く
正の電荷を帯びる、陽気、あかみいき、熱温度が低く、光輝度が低く、分子密度が厚く、重く、負の電荷を帯びる、陰気、くらみいきに
分離して、①大陽、寒気、冬気、水、液体、②終陰、風気、春気、木、気体、③両小、熱気、夏気、火、雷体、④
限陽、燥気、秋気、金、固体、⑤大陰、湿気、用気、土、混体を生し、萬霊、宿る、萬物、気体、形成する。萬霊、則、神も物質であることは、
水、気は、五神、木、精は、五神、火、気は、五神、金、精、五神、土、気は、五神と伝えられる。五神、融合したものを神という。
其の姿は、無数の泡型構造で、これこそ、泡型宇宙構造の正体。

この気、造化、物質、故に、開天に於て九天、六地、二人、気体を造化する。喪天に於て天地人崩壊と共に、原始五気、星間分子雲に、戻る。

神往、聖之、人逝、化物、変物、国縣(くにのあがた)の中(なか)に満(み)ち、草木(くさき)言語(はな)し、土石歩走(つちはあるきはし)る。是の如く為る間、一十萬余歳、
第五余代、天神龍、甚く御、鬼魅、蛇獣、溢れ遊ぶ。是の如く為る間、一百萬有八十萬歳、

盛天(さかりあめ)、已に終(をは)りて、天(あめ)頗(すこふ)る満(み)つ。

喪天

曜(ほしぼしのひかり)、殆(ほとほと)、縮(しじま)り、天度(あめのちのり)、大(おほ)きに過(あやま)り、地氣(つちのいき)は、衰(おとろ)へ枯(か)る。是(か)くの如(こと)く爲(な)る間(あひた)、一百萬歳(ももちあまりよろづとせ)。
暦數(こよみのかず)、調(とと)はず。蝕限(むしはみのかぎり)、正(ただしか)らず。是(か)くの如(こと)く爲(な)る間(あひた)、一百萬歳(ももちあまりよろづとせ)。
五星(いつぼし)(木星・火星・土星・金星・水星)、度(ちのり)を失(うしな)ひて、六氣(むついき)(陰・陽・風・雨・晦・明、寒・暑・燥・湿・風・火)亂(みだ)れ行(めぐ)る。是(か)くの如(こと)く爲(な)る間(あひた)、一百萬歳(ももちあまりよろづとせ)。
日月(ひつき)、度(ちのり)を失(うしな)ひて、天旋(あまつめぐり)、妄(みだ)りに過(あやま)り、地氣(つちのいき)、衰(おとろ)へ枯(か)る。是(か)くの如(こと)く爲(な)る間(あひた)、一百萬歳(ももちあまりよろづとせ)。
晝(ひる)は、化日(ばけひ)、溢(あふ)れ照(て)り、夜(よる)は、化火(ばけひ)、群(む)れ出(い)づ。是(か)くの如(こと)く爲(な)る間(あひた)、一百萬歳(ももちあまりよろづとせ)。
宿辰(やとりほし)(二十八宿)、隱(かく)り没(しづ)みて、天旋(あまつめぐり)、逆(さかさ)に順(めぐ)り、極斗(ひつきぼし)(北斗七星)現(あらは)れず。天重(あまつへ)、昇(のぼ)り降(くだ)りす。是(か)くの如(こと)く爲(な)る間(あひた)、一百萬有二十萬歳(ももちあまりよろづあまりはたちあまりよろづとせ)。
九天、壊れ、天神、去り没る。九百萬年、六地、敗れ、散り、死亡、九百萬歳、喪天成る。

生物、去り、五星去り、五去りて、日月、去り、天星、地星、天地、壊る。

天体、度運、殆縮、天度、大過、地気、衰枯、一百萬、五星、度運を失ひ、六気乱れ、一百萬、日月、度を失ひ、天旋、妄誤、地気、衰枯。
一百萬、昼、化日、溢照、夜は、化火、郡出。一百萬、宿心、穏没、天旋、逆に巡り、北斗不現、一百萬、九天、九重、昇降、一百萬。

喪天、天体物理学に則りて、太陽の赤色矮星化による、天体、運行、崩壊、地軸逆転、太陽系の星星、消滅 
地球消滅を見事に預言している。さらに、喪天、数理もある。五星、壊れ、天地、壊れ、五行、除失ふ。故に、
北、南、六、七、五、以て除く。一、二、四象、位を失せ、四を以、東、八、西、九を除く、四、五、陰陽、
壊れ、中、十有五、二を以て、除く。中一、北二、東三、南四、西五。星間分子雲、形態を以て、宇宙、天体、創造と破壊(ビックリップ)を繰り返していく。まさに、宇宙物理、科学である。

空心(そらこころ)の聖性(とほれるみさが)は、意(むなはせ)すべくして、未(いま)だ意(むなはせ)せず。志(こころさし)すべくして、未(いま)だ志(こころさし)せず。
情(おもよせ)すべくして、未(いま)だ情(おもよせ)せず。覺(さとりこころ)すべくして、未(いま)だ覺(さとりこころ)せず。

その元(はしめ)も無識(いさ)。その了(をはり)も無識(いさ)。

斯(こ)れを神心(かみのこころ)と謂(い)ふ。

是(こ)れ、心(こころ)を説(と)く教(をし)への其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

解鎮分傳

空心とは、空に充ちて志と情と想と念と无し。
聖性とは、法の心、霊明、道法を為す。

これを神心と謂ふとは、其の始め无き神性、妙に五徳の覚りを成して、流布を五常と云ふ。

神霊、赤霊、識炎、識、在り。プラズマ、識命体。是れを一心という。一心、五心、末分、識性、神明真心、天皇真心という。霊宗、天心、静心、一心に主体、五理、
縁ア、生イ、極ウ、易エ、定オ、客体、因ワ、起ヰ、政エ、化ヱ、常ヲ、言割降りて、主体、五心、礼ア、仁イ、智ウ、義エ、信ヲ、客体、五心、敬
ワ、恵ヰ、政ウ、化ヱ、常ヲを成し、五心、五鎮を図りて、主体、理性カ、気情サ、神識タ、境智ナ、客体、理意ラ、気志ヤ、神思マ、境慮ハ、八意
を成し、五心、八意より、三十二、心意を成す、言霊、五十音、是れなり。心鎮、無限神体、中に遍在し、宇宙を主宰するゆえに宇宙を心霊宇宙とも
いう。この時、未だ、意志、情覚、せず。一心信真。五理、降る五心は、五神を通じて、五理を制御し、五気を支配する。

神皇本紀、心は、木、理は、木の文の如し。神教経、心は、萬法、謀り、究極る。理は、法を成し、極を成す。理は、法則文。

識 心 神 理 気 気

識、礼、精、縁、寒、水 液体
識、仁、魂、生、風、木 気体
識、智、神、極、熱、火 雷体
識、義、魄、易、燥、金 固体
識、信、霊、定、湿、土 混体

禮敬は、質量、入出、制御し、仁恵は、熱力、増減、制御、智覚は、光力、増減、制御、義剋は、圧力、増減、制御、信は、質量、増減、制御。量発現する。

冥生(くらみのならし)、玄極(ふかみのきはめ)は、命(みことのり)すべくして、未(いま)だ命(みことのり)せず。
道(みちひきこと)すべくして、未(いま)だ道(みちひきこと)せず。教(をしへこと)すべくして、未(いま)だ教(をしへこと)せず。法(のりこと)すべくして、未(いま)だ法(のりこと)せず。

その先(さき)も非記(いさ)。その後(のち)も非記(いさ)。

これを神理(かみのことわり)と謂(い)ふ。

是(こ)れ、理(ことわり)を説(と)く教(をし)への其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

冥定(妙定)とは、道なり。見れず。故れ、冥なり。常を為す。故れ、恒に定る。
妙生(冥定)とは、世なり。議れず。故れ、妙なり。物を成す。故に、生成する。
玄極とは、中なり。微密なり。故れ、玄なり。節有り。故れ、中極なり。
幽易とは、法なり。至精なり。故れ、幽なり。限有り。故れ、変易なり。
真縁とは、行なり。精微なり。故れ、眞なり。依縁有り。

氏れを神理と謂ふは、其の始め无き神法、妙に五極の微を成して、流布を五理と云ふ。

理は、縁、生、極、易、定、物理、縁とは、電磁力、入出、生とは、原子核粒子を結び付ける強い相互作用、極とは、原子核の静電分極に生じる静電作用、重力、加速度、易とは、素粒子破壊する弱い相互作用、定とは、E保存法則。

電気宇宙理論、根源力は、電子の入出力によって正負を発生する電気力として、磁力、光、重力もこの電気力によるとする。
著者は、原子核粒子、結び付ける力、原子核と電子の間、静電分極、流れる力、素粒子を破壊する弱い力、留まる、力を成す。

氣(みいき)、幽(かすみのかはり)に依(よさ)し、心(みこころ)、玄(ふかみのきはみ)に託(かか)り、理(ことわり)、冥(くらみのならし)に
貫(つらぬ)き、神(みたま)、妙(たへみのさだみ)に活(いか)り、往空已來(みそらありしよりこのかた)、天祖(あまつみおや)の存(みさね)爲(な)る。

之(こ)れを神活(かみのいのち)と云(い)ふ。

靈壽(ことほき)の神命(みゐのち)は、初(はしめ)も無(な)く、終(をはり)も無(な)し。

是(こ)れ、神(みたま)を説(と)く教(をし)への其(そ)の法(のり)の元(もと)なり

氣、幽に依しとは、精妙の氣質、精妙に集るなり。
心、玄に託りとは、精妙の心性、精妙に具るなり。
理、冥に貫くとは、精妙の理法、精妙に穿るなり。
魂、妙に活りとは、精妙の魂霊、精妙に存るなり。

之を神活と云ふとは、其の始め无き神霊、妙に五霊の存を成して、流布を五魂と云ふ。


神とは、虚漠中に、静寂存在する、五神末分、一神黄霊、五理、発現、黒精、青魂、赤神、白魄、黄霊、発現する。

一神(ひとりかみ)にして、而(しか)も、縁(よさし)も無(な)く、妙(たへ)に坐(ま)して、しかも、處(みもと)も無(な)し。

其(そ)の廣(ひろさ)、限(かぎり)無(な)く、その界(さかひ)、極(きはみ)無(な)し。

之(こ)れを神虚(かみのみそら)と云(い)ふ。

天(あめ)も未(いまだ)し。地(つち)も未(いまだ)し。倫(ともから)も無(な)し。儀(のりこと)も無(な)し。

是(こ)れ、空理(みそらのことわり)を説(と)く、其(そ)の法(のり)の元(もと)なり

五理、末発。

カバラ、無、無物、絶対無、超絶神、アインである。無限空間に偏在する原因無き原因なる無縁、無限、無極、無物の神である。ただし、
先に物無し、無物とは、この空天時代に創造物が存在しないという意味で、原始物質が存在しないことを意味しないので、注意が必要。
よく、この無~有の宇宙論をカソリックの神父が提唱した非科学的ビックバン仮説に類似するという誤聞が吹聴されることがままある
が全く異なる。事実は、プラズマ宇宙論の大成者、アルベルトアベルーンの言葉通り、空間も無始無限。物質も無始無限にして存在する。
この空天、以前にも、別の宇宙世界、喪天、盛天、開天、空天~喪天~空天が永遠の過去に無限に存在した。この空天時、無限空間(
理鎮)には、原始物質、四鎮、一神、一心、一気、一境が非物質、理鎮を内包して偏在融合していた。一神は、五神、黒精(腎)、青魂(
肝)、赤神(心)、白魄(肺)、黄霊(陰)が融合した一神体、五光球電結合組成生命体、この内、赤神は、五神の電磁気信号を集約して、
意識の識炎(心霊)を発生させ、礼、仁、知、義、信、五心を発現させる。信は、物質の質量の増減を制御する能作、禮は、物質の入出
を制御する能作、仁は、物質の熱力、知は、物質の光力、義は、物質の圧力である。信と禮を以て神を祭り、日神の日霊の火を玉体に鎮
め、太陽の温徳仁、照徳知、烈徳勇にて、天地人を支配する、天皇陛下の統治術は、實は、現実のプラズマ物理力学の応用そのものなの
である。心霊、五心は、神霊、五神を支配し、五神は、五理を支配し、五理は、五気を支配する。ゆえに、五神、五心を生し、五心を練
り、五神を磨きて、五理を支配し、五気を支配するを造化の順序とする。先天本紀、中理、世理、以降、有限の気身中に五方五神五心五
理五気五境定りて、陽気、陰気、分離して、九天、神体の右身は、陽に化し、左身は、陰に化す。とある。右身の陽化は、発光プラズマ、
左身の陰化は、暗黒プラズマ、共に陰身から陽身へ陽から陰へ電流が流れ、電磁気を帯び、五理を生じ、五気を引き付ける。世理、開天、以降、
五気は、液体分子、気体分子、雷体分子、固体分子から、各々五温五品の変化を為す液体(水、大陽)、気体(木、両小)、雷体(火、両小)、固体(金、限陽)、混体(土、大陰)の物体に変化する。水素、ヘリウム、プラズマ、塵、磐、氷等、是れなり。宇宙空間は、-
273度、K温度、0度だが、プラズマ熱により、液体、気体、固体が存在する。ちなみに、両小陰陽の火気、雷体は、気霊とも云ひ、これは、プラズマの素体。
この気霊、五温、五品が複数合体して、知覚、記憶、意識を持つ神霊(霊魂)となる。プラズマ生命体である。還流、保存の法則によって
永久に存在する。神事本紀、天地有るときは、五行あり。五行あるときは、気あり、気あるときは、霊有り。霊有るあるときは、神有り。
神有るときは、性あり。性有る時は、心有り。云云、是れなり。支那における神とは、この素体の気霊をさす。気霊は、人体の肉体、霊体
の情報を形状記憶するため、神霊と同一視されたのだが、これは、無意識プラズマである。空理天祖は、無限プラズマ宇宙神体。空理は、
人脳における、シータ波、無意識状態。現時、大気層における雷電発生時の電磁波の共振作用が脳波に酷似することが判明している。シュ
ーリーマン共振。これは、プラズマ宇宙に於ても同様とみられる。天にあるもの地にもありと伝えられる。天人唯一なり。空天、空理、カ
バラには、無、佛典には、体、無、無明、無我、空理、一心、道典には、無為、太元、太玄、大羅天、是れなり。

神化数

宗源、倫道

一水中、二火下、三木左、四鐘上、五土右に在り。一、三、五は、九は、陽極数。九天、二、四は、六は、陰極数、六地数。
即ち、九天、六地、数理、空天に内在する。左一、右五は、六、偶数、左二、右四、六、中三中三、六は、水、成数、六、六、六は、
霧蒸し、満つ、即ち、霧水を為して、五気が、空天に蒸し満ちる霧水、一に結している状態。言霊、ム、数は、六、形は、円。白河
神祇伯王王家、言霊伝に、原初の言霊は、ム、産、蒸、生、群、咽、ムである。ムは、子音、ムではなく、言霊が、口から出る前、
体内に於て気が蒸せる状態の根源音である。言霊、祖として祖音という。と伝える。まさに、皇室、空天、天祖、天先霧、地先霧、
蒸、六、水、成数伝である。五気、水先霧、融合、密合される状態、萬物総持、融和して完成数。一から五、相生理、天祖意、五か
ら一、相剋理。天尊意。相生、一、二、三、相剋、五、四、三、霧水、六六六にして、水霧、偏在、活動する。之を神活という。聖書、666、是れなり。

後に、土五、水一に会ひて還元して、水、一、位する。この一は、二に対する一に非ず。萬品総持の一、言霊は、ス、統、総、巣、吸のス。
大石凝真素美、言霊伝。是れなり。このスは、子音のスに非ず。気を体内に吸い込む、スの音。気を体外に蒸し出すム音に対する音、
ムは、陰―陽、スは、陽―陰。この一気の呼吸による原初の神活、ム、ス、ヒという。古事記、産 巣 日、に作る。是れなり。

空天数理、四金、虚漠中に静寂貫通せる、五理末分、一理妙定。五理発現、因縁、生起、極政、易化、定常、発現する。

アイン、ソフ

神氣(かみのみいき)、玄(ふかみのきはめ)に滿(み)ち、神心(かみのこころ)、玄(ふかみのきはみ)に宰(つかさと)り、
神理(かみのことわり)、玄(ふかみのきはみ)に法(のりと)り、神神(かみのみたま)、玄(ふかみのきはみ)に活(いか)り、
神境(かみのみさか)、玄(ふかみのきはみ)に具(そなは)る。一(ひとみ)に融(とろ)け、虚(うつせ)に体(のりと)り、
鎮道(しづめのみのり)と云(い)ふ。鎮道(しづめのみのり)は、有(ありこと)を発(おこ)す。之(こ)れを眞縁(まことのよさし)と云(い)ふ。

眞縁(まことのよさし)は、物(ものこと)を發(おこ)す。之(こ)れを冥生(くらみのならし)と云(い)ふ。

冥生(くらみのならし)は、必(かなら)ず窮(きはま)る。之(こ)れを玄極(ふかみのきはめ)と云(い)ふ。

玄極(ふかみのきはめ)は、相(あ)ひ變(かは)る。之(こ)れを幽易(かすみのかはり)と云(い)ふ。

幽易(かすみのかはり)は、常(つね)に歸(かへ)る。之(こ)れを妙定(たへみのさだめ)と云(い)ふ。

其(そ)の理(ことわり)は、自然(おのつから)にして、其(そ)の事(ことわざ)は、忙然(せはしく)あり。

靈空(みそら)の妙中(みなか)は、聲(おと)も無(な)く、香(か)も無(な)し。

是(こ)れ、中理(みなかのことわり)を説(と)く教(をし)への其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

アイン、ソフ

神は、自分を見ようとした。主観、其の意志は、象徴的に無限光になって現れ無所に輝き、全所に輝き、隅
から隅まで全知した。主観、無限光は、絶対全に全知した。中理、天祖は、無限、全知した無限神アインである。
神気、玄に満ち、神心、玄に宰り、神理、玄に法り、神に玄に活り、神境、玄に具る。とは、天祖、無限空間を
八根にて知覚したことをいう。この空天、中理とは、天祖、相生、五十五、陽、天尊、相剋、四十五、陰に
分離していない五十、五十、天数百数の均衡中体状態を云う。詮理、均衡に喩える。天御量柱、是れ。カバラで
は、メテケラ。秤の均衡というが同伝である。不二神、太上皇神と称する。後に分離して、両尊、別して、相生、五十五の生理を天祖の神理、相剋、四十五の剋理を天尊の神理という。

空天、九百萬年中、七百二十万年から、二百八十萬年頃は、中中然としてあるとは、右、中理の世代にあたる。
しかして、空天、九百万年、是に終る。開天、九百萬年、始まる。

四天空天数伝に、五気、水一、中に在りて、四気、四方に密合し、水一に融和する。五数、和数、十五、天祖の本数、本数、十五に五数を倍し、倍数五を得て十五に合せ
九十を得る。この九十、九百萬年の大数とする。本数、十五に五を倍し、十五に合すは、五鎮、五気、活動、倍増し、
満ち張り、天祖、身体、活動、倍増するが故。増数、数玉は、実は、原子中の電子の数。電子の配置、増減によりて、物質は、構成される。是れなり。

神化数に、宗源。水一中、五気の五数を備え、外四方に五数を増す。とある。下二は、外に十を増し、左三は、外に
十五、~右土、外に二十五を増加する。是れ、同じく、五気、増加、神活の数理。気、満ち、心、宰り、理、法り、
神、活り、神境、具る。次、世理、神、造化、心、発し、真縁、心、造化、理を催し、冥生、理、造化の気を鎮め、
玄極、気、造化の境を通し、幽易、境、造化の神を通し、天尊生る。即ち、天尊び神霊始めて出現し、五鎮、球状に集合し、有限球体宇宙が誕生する。

中体、状態、中理は、カバラに、無限神、アイン、ソフ。佛典に空中仮、中理、中道、相、儒典に中庸、

是(こ)れ、中理(みなかのことわり)を説(と)く教(をし)への其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

アイン、ソフ、アウル

此(こ)の神(かみ)、時(とき)に中(あた)り、造化(よつくり)する心(こころ)を發(おこ)したまふ。眞縁(まことのよさし)、茲(ここ)に肇(はしま)る。

心(こころ)、造化(よつくり)する理(ことわり)を催(もよほ)し、冥生(くらみのならし)、茲(ここ)に起(おこ)る。

ケテル

理(ことわり)は、造化(よつくり)する氣(みいき)を鎭(しづ)め、玄極(ふかみのきはめ、茲(ここ)に基(もと)つく。

氣(みいき)は、造化(よつくり)する境(さかひ)を動(うごか)し、幽易(かすみのかはり)は、茲(ここ)に成(な)る。

境(みさか)は、造化(よつくり)する神(みたま)を通(かよは)し、妙定(たへみのさだめ)、此(ここ)に貞(さだ)まる。

本(もと)、先後(さきのち)なし。造化序(よつくるつぎて)に隨(したか)ふ。

この際(あひた)に間道(ひまのみち)有(あ)り。神(かみ)の御所(のりますところ)は、道(い)ひ難(かた)し。

是(こ)れ、世(よ)の理(ことわり)を説(と)く教(をし)への其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

アイン、ソフ  アウル 無限光

神は、自分を見ようとした。主観、其の意志は、象徴的に無限光になって現れ無所に輝き、全所に輝き、隅
から隅まで全知した。主観、無限光は、絶対全に全知した。そして、神は、全知の地点から離れて存在、鏡、
を作り、自分の姿を眺めようと思った。客観、其の時、神は、中心を定め、光を抑制し、絶体全の中で内外
から光の収縮が発り、球体宇宙に変化し、内部に末顕現の存在界、即ち、空所境界が生じた。陰、空間周辺
を取り巻く、無限光は、白い頭、王冠中の王冠、秘められたる者の秘められたる、老いたる者の老いたる者、
最も聖なる老いたる者、老いたる者、日の老いたる者、原初の点、滑らかな点、計り知れぬ高みという。神、
意志、無限から、空間、貫き、内部に浸透、一条、光に射し込み、この時、絶対、分離した。無限は、封印された。浸透した、光は、
三要素に焦点が、合わされた。一は、神の意志、王冠、心美、意志受けて言、行為、知恵、智、出来言、力、受けて、中に、含み、枠組みを与える、
限定、理解、三の働き、秘められた輝き、音は、根の部分で、最初の法則から、宇宙のすべてが支配される。
神、意志に監督、拡大、収縮、過程、発生、監督から最初の慈悲、峻厳、働き、音は未顕現、顕現属さず。宇宙、支配。
未顕現、神の渦巻きに収斂され、大きさ無い点、モナドを顕現させる。モナドは、顕現、萬物、根源、モナド、
セフィラ、ケテル。均衡状態、世界を包む。過去、現在、未来、種限となる。最初、光、ケテルは、無形、限定を超えて、自由に存在し、且つ、創造、意、があふれる。神の創造、意志、火花、
空間の境には、光に包まれる。光に包まれた空間は、セフィラ、範疇、渦巻く、意識、中心、点、モナド、形成する萬物、萬最初のセフィラは、ケテル、王冠、称され、十の数を含み、萬物の根となる。
神、意志、行為、限定、拡大、縮小 王冠、心美、知恵、理解、慈愛、峻厳、神五心と流出、創造、形成、活動、永遠、神五理のことである。心、信、智、禮、仁、義と、縁、生、極、易、定

この時、開天、九百萬歳、初頭。一百万年、神は、心、発し、真縁、金気、太虚に秀で張りて、四気を包み、
球形宇宙、生し、心、理を催、冥生、金気、湿を生し、湿、風を生し、風、炎を生し、炎、湿を濁し、水を
生し、風を焼き、木を生し、燥気、化へ、金気を生し、湿を凝せ、土気を生し、五気五行、運理を生し、理、
五気、鎮め、玄極、五気五行、運理、以て、運気を鎮め、気、境を見し、幽易、有限球体宇宙を出現させ、
境、神を通し、妙定、天尊、神霊、鎮め、定る。中に空境為る有限、宇宙空間が誕生した。五鎮、無限空間、
一所一円に集合融合、球状の有限空間を造る。即ち、球体の有限宇宙が誕生した。理、気、鎮め、気、境、動かし、
無限空間の天祖の腹に出現せる、五鎮、含有、有限空間を天祖の皇胎、其の中に鎮まり来る造化、神霊、天尊、
大甘美葦黴彦舅尊という。この神霊、天祖、日輝身、鏡、神霊にして、命令下に於て、分霊、神霊にして有始、
有終、有限宇宙を支配する言霊神である。ゆえに、天津御言という。時は、開天、九百万年、始め、一百萬、
神、造化心発し、真縁発し、心、造化理催、冥生起り、理は、造化気鎮、玄極基き、気は、造化境動、幽易成り、
境、造化神通、妙定貞神は、五理に即きて、五神、黒精、青魂、赤神、白、黄霊、プラズマ五光熱体、心は、
五理に即きて五心、禮力、仁熱、智光、義圧、信量、プラズマ物力、気は、五理に即きて五気、寒、風、熱、
燥、湿、固、液、気、雷、混、原子、分子、星雲、境は、五理、五境、耳、目、口、鼻、陰、五理に、五境、

数伝、空天、神、造化心(心火)を発せる時、赤神、心火、識炎、膨張し、火、金を剋む理を以て、上南金気、原始物質、
燥気、剋め、燥気、膨張して、四気を包み、四気、金気に当りて、五気、一気、帰る。金四気を包むは、金四、数理あり。
五気、一気に帰る は、金気、土五、押し、土五、中の水一に帰る、水、成数、六、得る数理。心(心火)、造化の理を催せる
時に、心識、心理、以て、金気、水気を生す理を以て、先に水の原始物質、湿気を生し、金生水、湿気、火気に当りて、動気(木)を生し、水生木、
火気、風気を得て炎を発して虚に燃え、木火生、水気、火の為に濁され、木気は、火為に焼かれ、金気は、火の為に化られ、
土気は、火の気の為に凝らされ、遂に土と成る。火生土、金の気、土に会ひて懐れ、即ち、光性と成る。土生金、相ひ集へり。
色無くして気有り。位無して化あり。五行、神理、生る本。即ち、五理、五気を鎮め、心理に於る、五気、五行、実気を鎮める。
理催す、気鎮め、間、鎮道は、測り難し、冥生、玄極、由。是れなり。カバラ、アイン、ソフ、アウル、ケテル、神の意志、心発、と、行為、限定、拡大、収縮、法則の起、光、空間、発生、是れなり。五気、原子、分子、集合して、液、気、雷、固、混合、生成される。

佛典に世理、俗諦、体相用、用、理、

神化数伝に、神造化の心を発す、この時、上南金気(燥気)、右西土五数を押して、中水一に合ひ、六数を得る。
ここに水位、一六を得る。是れ、神、造化の心を発す、真縁、是に始まる時、六上北金気、右西土気五数を押して、中水一に還位、成数六を得る神事ありき。即ち、造化の因縁発起に於て、然る五気の元位定冠の活動ありき。

心、造化理を鎮め先、冥生、天の下北二数、掛、外五気数は、増数十を為せり。十は、陰数。陽は、陰に変じ、陰は陽に変ず、
ゆえに、陽数は、陰を以て、除き、陰数は、陽数を以除く。陽数は、天帝七代、陰数は、地后四代を以てする。陰数
十は、天帝七代の陽数七を以て除きて、陽数三を得、さらに陽数三を下北元数二陰を以て除き、後天の上北、水一位を定む。

理、造化気を鎮め、玄極、是に基く時、増数十陰、陽七を以て除き三を得、さらに元数陰二を以て除き、後天、上北水一の王位に位する神事ありき。天祖、上北水一の
王位に即位せり。一は、萬法、萬物、十数を含む一という伝。この一位、は、百二十萬歳、時。開闢、六十萬を甲子として地無き故に空算、百二十萬歳、乙丑として地
一有る故に一紀始年とする。カバラ数伝に、水源一位、ケテル、王冠。萬法、萬物、十数を含み、十数を発現する。是れなり。

暦道本紀

開天、一百萬年、初年、開闢元年、甲子を以て始年とし、推古天皇、十二年、甲子以て終年とし、其の年数、七百六萬九千九百十六年、
之を獲て、之を置き、積年に置きて、之を除かざるときは,成らず。之を除くに日分を以てす。八十四分を以て、一刻とし、八刻、
二十八分以て、一時とし、十二の八刻、九十六国と為し、併せて、百刻、成して、一昼夜、為す。一時、七百分、十二七百、八千四百
を成す。是れ、一日日分とす。月に在り月を得、日にありては、日を得て、時にありては、刻を獲て、分に在りては、故に、積歳の年数
を除くに、一日の日分を以てし、一機の絵ねを積みて、遂に法法、以て来年を得冬至、冬至に依る、又、気説、獲て、積年は、年年、日
分を増し増減無し。数法、左の如し。積年、七百、六萬、九千九百十六年、


開天元年、甲子六十萬歳、唯、天のみにして地無し。故に、甲子を以て空算とし、開地元年、乙丑、ならびに、地一水成る、
故に、乙丑、以、一紀とし、初数。五十九、既に成満ち六十空数を用ゐるのみ。満つるときは、之を棄てて、冬至、正余、其の一
を得るときは、乙丑を以て冬至とす。次第、随数、六十に至ときは、甲子を以て冬至とす。尚、余数為すときは、

Re: 聖徳太子の未来記が三種類存在する理由 - トバル

2015/04/29 (Wed) 23:19:02

尚、余数為すときは、一、二次第に
任せて其第の侘気、侘日、併せて、みな、之に、依らずというふこと無し。

日分、八千四百 一昼夜、日分、
紀分、五十萬四千、一甲子六十日、日分、
余分、四萬四千五十五、年日、三百六十五日、除く、三百六十日余五日の分数、
気分、一千八百三十五、二十四気、中、一気の日分、
年分、三百六萬八千五十五、一年、三百六十五日の日分


ケテル

一霊四魂、メルカバ、渦巻き

此(こ)の神(かみ)、獨(ひと)り坐(ま)すと雖(いへど)も青魂(あをみたま)を東(ひむかし)に弥(ひろ)げ、風氣(かざいき)に
生(ならし)の理(ことわり)を和(あ)へたまふ。明目(あかきめ)は、常(つね)に見(みそこなは)し、春性(はるのさが)は、常(つね)に惠(めぐ)みたまふ。

赤魂(あけみたま)を南(みなみ)に弥(ひろ)げ、熱氣(あついき)に極(きはめ)の理(ことわり)を和(あ)へたまふ。
◇耳(みみ)は、常(つね)に聞(き)き、夏性は、常(つね)に知(さと)りたまふ。

素魂(しろみたま)を西(にし)に弥(ひろ)げ、燥氣(かはくいき)に易(かはり)の理(ことわり)を和(あ)へたまふ。
聖鼻(はな)は、常(つね)に嗅ぎ、秋性(あきのさが)は、常(つね)に任(ただ)したまふ。

玄魂(くろみたま)を北(きた)に弥(ひろ)げ、寒氣(さむいき)に縁(よさし)の理(ことわり)を和(あ)へたまふ。
正陰(みと)は、常つねに産(う)み、冬(ふゆ)の性(さが)は、

此(こ)の神(かみ)は、焉(こ)れ、人(ひと)に利(くほさ)無(な)く、人(ひと)を剋(せ)むること無(な)く而も利(くほさ)を蒙(かがふ)る者(もの)、之(こ)れを出(い)づといふこと無(な)し。

久方(ひさかた)の目(め)、久方(ひさかた)の耳(みみ)、宇宙(よのみさか)は、是(こ)れより發(おこ)る。これを神鏡(かみのみさか)と言(い)ふ。

是(こ)れ、境道(みさかのみのり)を説(と)く教(をし)への其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

常(つね)に節(ゐや)びたまふ。

黄霊(きいみたま)を中(なか)に弥(ひろ)げ、湿氣(しめいき)に定(さだめ)の理(ことわり)を和(あ)へたまふ。
弁口(くち)は、常(つね)に説(と)き、用性は、常(つね)に信(まこと)したまふ。

「石偏に萬」天(もろあめ)は、乾は、一(ひとたび)は、開(ひら)き、一(ひとたび)は、喪(ほろ)び、或(ある)いは、空(むなし)く、
或(ある)いは、盛(さか)り、其(そ)の中(なか)の神神(かみ)は、恒(つね)に天祖(あまつみおや)と止(とどま)るなり。

是(こ)れ、円理(まろきめぐりのことわり)を説(と)く、其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。


此(こ)の神(かみ)は、焉(こ)れ、人(ひと)に利(くほさ)無(な)く、利(くほさ)を蒙(かがふ)る者(もの)、之(こ)れを出(い)づといふこと無(な)し。

久方(ひさかた)の目(め)、久方(ひさかた)の耳(みみ)、宇宙(よのみさか)は、是(こ)れより發(おこ)る。これを神鏡(かみのみさか)と言(い)ふ。

是(こ)れ、境道(みさかのみのり)を説(と)く教(をし)への其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

久方の目とは、天明の神目、天然に具足る。久方の耳とは、天聴の神耳、自ら、具足る。

これを神境と言ふとは、其の始め无き神体、妙に五処の根を成し、流布を五境と云ふ。


鎮法は、則ち氏れ、天祖の身、


天祖、神魂、皇胎、中、五魂を以て東西南北中、五方、配し、五方の五気(肝生、心熱、肺燥、腎寒、脾湿)に配し、五気に五理を与え、
五気の五境を造る。青魂、目、赤魂、口、白鼻、黒魂、耳、黄霊、陰。一心五理を得て、五心、発現する。この五魂、五心、五理、五気、
五境の有限宇宙を支配する。五理含む原始五気が混在し、渦転の活動を成し、太極の元気と成る。元極、元気より、陰陽を造る。陰陽元気、
陰陽分離して、①大陽、縁理冬気、②終陰、生理春気、③両小、極理夏気、④限陽、易理、秋気、⑤大陰、定理、用気となる。老子、陰陽
不測の神という。支那、陰陽家、気霊を神と云う。五神の理、五気を動す、知らず。五境は、青魂の目、黒精の耳、白魄の鼻、赤神の口、黄霊の陰。五境、五臓、五神に通じ、五神、赤神に識る。識炎、
識心、意、成る。後句、久方目、久方耳は、五境、約句。冥生、玄極、二句、縁、易、定、五理、如し。
   
   青魂

黒魂 黄魂 赤魂   

   白魂

黒魂(和魂)、北、縁理、大陽、寒氣、水冬、陰
青魂(幸魂)、東、生理、終陰、風氣、木春、目
赤魂(荒魂)、南、極理、両小、熱氣、火夏、耳
白魂(奇魂)、西、易理、限陽、燥氣、金秋、鼻
黄霊(術魂)、中、定理、大陰、湿気、土用、口

黒精の礼水の縁理、太陽の寒氣の陰霊を和魂と云う。
青魂の仁木の生理、終陰の風氣の陽霊を幸魂と云う。
赤神の智火の極理、両小の熱氣の陽霊を荒魂と云う。
白魄の義金の易理、限陽の燥氣の陰霊を奇魂と云う。
黄霊の信土の定理、大陰の湿氣の用霊を術魂と云う。

は、五色五魂は、大気プラズマの五温五段の性能を意味する。渦、円理、カバラ、渦巻く意識、原初動、渦巻き、を成す。是れ。

円理、天祖、宗源道総統家「中山家」(勅命の霊号「山蔭」)に太元神霊の天津渦渦志天八都奈伎之天祖大神。
天津渦とは、一宇宙の光の渦巻螺旋溝造を意味する。一円の八方に○がある図形を中心に置いて、右から左へ
螺旋の渦状に中心図形の分解図羅列したカタカムナ(形神名)は、この太元神霊、天津渦渦志天八都奈伎之天
祖大神の実際上の造化の働きを図形化したものである。形象神名とは、造化の言霊の原理の形象を図形化した神象文字のことである。

まかたまの、あまのみなかぬし、たかみむすひ、かむみむすひ、みすまるのたま
曲魂の天御中主、高御産巣日、神産巣日、御統丸之玉

一神同体の造化三神は、宇宙理体「太元霊神」を現成する。其の霊姿は、八坂の曲玉に象徴される。伊勢宗源神道に同伝あり。)

ひふみよい、まわりてめくる、むなやこと、あうのすへしれ、かたちさき
一二三四五、回りて廻る、六七八九十、合うの統べ知れ、形象霊割き

(天祖の本数は、五、次に十と為り、一~十の数を持つ。この内、一六、二七、三八、四九、計五十五を倫道相生数=高皇産霊尊、一六、七二、九四、三八、五、計四十五数を獨道相剋数=神皇産霊尊とし、合計百数を宇宙の神数とする。)

この渦巻螺旋は、現代科学では「プラズマ宇宙論」による「エレクトニック・ユニバース理論」に於てプラズマ
を媒体として流れる電流と共に發生する電磁気流の渦として説明される。(十種神宝(カバラのセフィロトの
木)を主傳とする物部神道系武道の継承者である石田盛山氏が其の奥義を著した著書「本朝武道論」によれば、
空間中の電気を体内に取り込み、螺旋運動によって光を發光させるという神傳が伝承されているという。即ち、
カバラのセフィロトの木、螺旋の雷光は、電磁気流である。)そして、この太元神霊から映現機能神たる四光
四主四元産霊産巣日生成化育大神(よひかりよあるじよもとのむすひむすびならせならせるおほかみ)が映現
する。この四光四主四元の映現神は、一宇宙空間に於て銀河や太陽系等を造化形成管理する大宇宙の一霊四魂
を意味する。この四魂は、太陽や惑星の自転公転活動と同じく一霊の周囲を自転公転して宇宙萬物を生成化育
していると傳えられる。この一霊四魂は、自転し、渦を為す一箇のプラズマの電磁気流の四方に生成される別
のプラズマ子球「プラズマ渦列」のことである。この一霊四魂は、自転し公転し各々に能作があるが、これは、プラズマの五色五温別の能作を意味している。

                  ―宇宙創造・生成化育の法則
                 |
       無の働き―法則活動―
      |          |
      |           ―四季循環・公転・自転 
      |
大環宇大霊―
      |
      |
      |           ―日月星辰の映現
      |          |
       有の働き―現象活動―
                 |
                  ―森羅万象の映現


                 創造発生を促す一切根元の御働き。
                |
         ――奇日霊―― 
        |       |
        |        宇宙形象の理念としての根元の御働き。
   無――――|
   |    |
   |    |        宇宙調和の御働き。
   |    |       | 
   |     ――幸日霊――
   |            |
   |             宇宙の変化と情緒を起す御働き。
   |
   |
   |
太霊―
   |
   |
   |
   |              宇宙活動を制御し発生したるものを形成する最初の御働き。
   |             |
   |     ――和日霊(幽魂) 
   |    |        |
   |    |         宇宙エネルギーを固める最初の御働き(即ち気の御働・幽魂)のこと)
   |    |
   有――――|
        |        
        |
        |         固体の映現、固体組織の建設力としての御働く。
        |        |
         ――荒日霊(顕魂)
                 |
                  宇宙万物を破壊して新生(更新)する因をなす御働き。


四魂は、一霊の周辺を公転し、各魂、左周りと右周りとに自転しているという。渦巻の環を為して活動しているという。

この宇宙の一霊四魂の正体は、回転する一の大気プラズマ光球の四方に回転する別の大気プラズマ光球が分け出でる「プラズマ渦列」と呼ばれる大気プラズマ光球のことである。大気プラズマ科学を宇宙の根本真理とする神道では、この大気プラズマ光
球の分身を分御魂(わけみたま)と呼ぶ。大中臣嫡流藤原氏九鬼家では、太元神霊を太元輝道神祖、母止津和太良世大神と呼び、この太元輝神
祖の四方に活動する神号を天津御光大神として傳えるが同傳である。即ち、天津渦渦志天八津奈和天祖大神と四光四主産霊産巣日生成化育大神(
太元輝神祖、天津御光大神)とは、大気プラズマによる宇宙形成統括理論「プラズマ宇宙論」を傳えたものである。この宗源神道におけるプラ
ズマ宇宙傳は、聖書の奥義「カバラ」のセフィロトの木における、この一宇宙(X宇宙、大規模(泡型)宇宙、超銀河団、銀河団、銀河群、銀
河、太陽系、太陽、惑星、人体、原子)が雷光(プラズマ-ビルケルト電流)の渦巻螺旋(スパイラルφ)によって形成されているという神傳
とこの一宇宙が一神の四方に燃える炎(ケルビム=プラズマ生命体)によって統括支配されていること傳える(即ち、四光四元四主の一霊四魂)
神炎の戦車「メルカバー」の神傳を傳えたものである。(十種神宝(カバラのセフィロトの木)を主傳とする物部神道系武道の継承者である石
田盛山氏が其の奥義の要旨を著した「本朝武道論」によれば、空間中の電気を体内に取り込み、螺旋渦巻にして光を発現するという神人合一の
技があるという。これは、カバラの宇宙と人体が螺旋の雷光=電磁氣力=プラズマによって支配される奥義を傳えたものである。)カバラのこ
のカバラの知識は、宇宙最高の科学知識と科学技能を持つ存在である「神」が直接、神の子として作られた人類の預言者に傳えてきた
ものである。神が創造した意識と知性を持つ霊魂、霊体とは、プラズマ生命体のことである。神がこの宇宙万物を創造した光とは、プラズマの
ことである。神が宇宙万物を支配する炎とは、プラズマのことである。神が地上の預言者達に送り込んだ情報伝達媒体としての預言の霊=聖霊
の分霊=神の火(預来の赤御魂)とは、情報を伝達する低熱プラズマのことである。聖書に於て霊という言葉には、息や風という意味があるが、これは、大気プラズマのことである。

この神(かみ)は、焉(こ)れ、虚(うつけく)、焉(こ)れ、靈(あやしく)、焉(こ)れ、玄(かすけく)、焉(こ)れ常(とことは)にして、元(もと)の元(もと)なり。

斯(こ)の鎭(しづまりのみよ)を以(もち)て、天祖(あまつみおや)の代(みよ)と道(い)ふ。

是(こ)れ、理(ことわり)も未(いま)だ顕(あらは)れず。氣(ものいき)又(も)未(いま)だ芽(きさ)さず。

神道(かみながらのみち)を説(と)く教(をし)への一義(つぎつはしめ)の神道(かみながらのみち)の其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

ケテル

神は、自分を見ようとした。主観、其の意志は、象徴的に無限光になって現れ無所に輝き、全所に輝き、隅
から隅まで全知した。主観、無限光は、絶対全に全知した。そして、神は、全知の地点から離れて存在、鏡、
を作り、自分の姿を眺めようと思った。客観、其の時、神は、中心を定め、光を抑制し、絶体全の中で内外
から光の収縮が発り、球体宇宙に変化し、内部に末顕現の存在界、即ち、空所境界が生じた。陰、空間周辺
を取り巻く、無限光は、白い頭、王冠中の王冠、秘められたる者の秘められたる、老いたる者の老いたる者、
最も聖なる老いたる者、老いたる者、日の老いたる者、原初の点、滑らかな点、計り知れぬ高みという。神
の意志が無限から空間境界を貫いて内部に一条の光が射し込み始めた。陽、この時、存在は、絶対から分離し、
無限は、封印された。ゆえに無限は、最奥に穏されたものという。そして、空間内部に、浸透した無限光は、
三要素に焦点が合わされた。一段は、絶体の意志は、二に、意志を受けとめて言、事を起す、行為、三には、
出来事、エネルギーを受けとめて中に含み、枠組みを与える器、限定である。ケテル、意志、コクマー、流出、
言、琴、事、ビナー、創造、最初、これをザーザーオト、秘められた輝きという。オトは、穏れた根の部分で、ここから、最初の法則が発り、この法則が存在を支配する。さらに、オトは、神の意志
に監督され、拡大、収縮の過程を発生させた。これは、絶対監督下で行れた最初の慈悲、峻厳、最初の働きとされる。オトは、末顕現、顕現に属さず、枠外にあるにも関らず。其の輝き
は、宇宙、本質、影響を与える。宇宙は、この輝きの相互作用による結果、アインから、意志、発して存在
する。顕現した光は、セフィラという。ケテル。絶対と空間の境目にあり、均衡状態、全世界を含む。セフィラーは、
過去現在、未来、一切種、田根、足根となる。ケテル、神、渦巻く、意識、原初、動の渦巻き、ハシット、ギルグリム、
起こす。ケテル以下、マルクトまで神の木、神が世界が存在するように意志を発すると種が神の木の根を出し、
幹が二伸び、枝が生え、果実、実らす。木は、神と世界との間を媒介する。

鎮道(しづめのみち)は、玄玄(はるけく)して、天祖(あまつみおや)の久智(ときはのさとり)も未(いま)だ
届(とど)き得(え)ざるなり。遥(はる)かに、初(はしめ)の元(もと)を覚(もとむ)るとも冥冥(くらやか)
にして思貌(おもひ)も尽(つ)きたり。終(をはり)の限(はて)を尋(たずぬ)るとも幽幽(かすけく)して識(
さとり)も絶(た)へたり。「「帝」偏に「口」」(ただ)、中間(なかま)を見(み)るに妙妙(たへたへ)にして
萬法(もろのり)を為(な)す。復、境界(さかひ)の極(きはめ)を議(はか)るに眞眞(まさやか)にして虚妄(
みだり)を離(はな)れたり。之(こ)れを名(なつ)けて鎮(しづめ)の理(ことわり)と言(い)ふ。強(し)ひて、
其(そ)の主(つかさとるもの)を度(はか)らば、但(ただ)、遠(とほきかなた)に居(ま)せるに依(よ)りて、押(を)して天祖(あまつみおや)と知(し)らるなり。

右、中今伝。白川神祇伯王家に、天津金木伝に天津金木の始めと終りを元打切、末折絶ちて、永遠の中今を観る伝あり。大中臣、中取り持つに同じ伝。

大(おほき)なるときは、即(すなは)ち、天蓋(あめほと)、地繁(つちほと)、小(ほそき)なるときは、微塵(ち
りほと)、枚枚(ひらほと)、霊(くしび)たるときは、天龍(あまつみ)、海鮫(わたつみ)、化(かは)るときは、夜
蚊(よはのか)、穴蟻(あなのあり)にして神霊(かみ)を含(ふく)みたり。遂(つく)すとも「「虫」偏に獨」(てにとるむし)のごとく得(え)られざるなり。

上帝(かみつきみ)も大仙(おほひしり)も白老(をいひと)も赤幼(あかこ)も、焉(こ)れに至(いた)りて
は、皆(みな)、同(おなじ)にして、其(そ)の中(なか)に満(み)ちたり。

庶民(もろひと)に生(うま)れて、道(みち)を行(おこな)ふ者(もの)は、大(おほき)に之(いた)り、行(おこなは)ざる
者(もの)は、小(ほそき)に如(お)つべし。

其(そ)の法(のり)の極(きはめ)は、天性(あめのさが)なり。其(そ)の行極(わざのきはめ)は、天覚(あめのさとり)なり。
併(あは)せて、粗(あらき)より精(くはしき)に往(ゆ)きては、初(はし)めて冬心(ふゆこころ)に在(あ)る。次(つぎ)て
秋心(あきこころ)在(あ)り。其(そ)の次(つぎ)には、夏心(なつこころ)、其(そ)の次(つぎ)には、春心(はるこころ)なり。
春心(はるこころ)を押(を)さば、空心(むなしこころ)なり。空心(むなしこころ)を押(を)さば、霊心(あやしこころ)、霊心(
あやしこころ)を押(を)さば、覚心(さとりこころ)なり。覚心(さとりこころ)の繊(くはし)きときは、扶(たすけ)も癖(くせ)
に任(た)へず。太(ふと)きときは、乾(あめ)も喩(たとえ)とするに足(た)らず。是(こ)れを内分(うちわけ)の地(ほとり)と云(い)ひ、是(こ)れを内体(うちむね)の道(みち)と言(い)ふ。

是(こ)れ、内性(うちさが)の道(みち)、其(そ)の教(をしへ)の元(もと)なり。

天祖(あまつみおや)は、五鎮(いしづ)を有(たも)てり。其(そ)の数(かず)増減(ましへり)無(な)し。

分(わ)けて一(ひ)と四(よ)を成(な)す。

一(ひ)は、元(もと)なり。四(よ)は、象(きさし)なり。

一(ひ)は、奇数(かたかず)にして貴(たふと)し。四(よ)は、偶数(あひかず)にして卑(ひくき)なり。

一(ひ)は、唯一(ただひとつ)にして分(わか)てず。四(よ)は、一(ひ)と三(み)に分(わか)る。

一(ひ)は、極(きはめ)なり。三(み)は、才(あめつちひと)なり。皆(みな)、奇(かたかず)と偶(あひかず)無(な)し。

故(か)れ、此(こ)の時(とき)に中(あた)りて純男(まをとこ)にして女(をみな)無(な)し。

一(ひとはしら)は、皇神(すめかみ)と成(な)り、四(よはしら)は、帝神(あまつかみ)と成(な)る。

一(ひ)は、分(わか)れなき元(もと)なり。是(こ)れ、皇神(すめかみ)の位(くらゐ)なり。

四(よ)は、相(あ)ひ分(わか)れて底(ひくき)なり。是(こ)れ、帝神(あまつかみ)の位(くらゐ)なり。

是(こ)れ、元(もと)を過(こゆ)るときは、政(まつりこと)、任(ことよさし)せず。其(そ)の理(ことわり)の元(もと)なり。

(著者注、一は、太虚根元、四は、太極と三才(天地人))

空天、九百萬歳

先天本紀

空天(むなしあめ)の量年(としかず)、七百萬有二十萬歳(なほよろづあまりはたよろづのとし)、後(のち)
の百萬有八十萬歳(ももよろづあまりやそよろづのとし)の頃(ころ)、其(そ)の間(あひた)、中中然(な
かなかしく)あり。次(つぎ)の開天(ひらきあめ)の量年(としかず)、九百萬歳(こほよろづのとし)の鼻(
はしめ)、斬(やくやく)、時(とき)至(いた)りて、肇(はし)めて、芽萌(きさし)を生(な)す。

天祖(あまつみおや)の身(むくろ)の氣(みいき)、久(ひさし)く虚(みそら)に流(なが)れ、神集(かみ
つどひ)に當(あた)りて、復(また)、天(あめ)成(な)る。肺金(いきふくろのかないき)、秀(ひい)で
て、太虚(おほそら)に張(は)り、色(いろ)無(な)くして強堅(つよき)なり。包(つつま)るるの四氣(
よつのいき)、能(よ)く包(つつ)むの金氣(かないき)に當(あた)りて、而(しか)も、五氣(いついき)、一(ひとつ)に帰(かへ)る。

肺燥金気が、腎寒水気、肝風木気、心熱火気、肝風木気、脾湿土気を包み、当りて、一気を為す。

自然(おのつか)ら、先(さき)に湿(しめいき)を生(な)し、金水生、
火氣(ひのいき)に當(あた)りて、次(つぎ)て、動氣(うごくいき)を生(な)し、水木産
火氣(ひのいき)、風(かぜいき)を得(え)て、而(しか)も、炎(ほのほ)を発生(な)して、
虚(みそら)に熱(も)ゆ。木火産

水(みつ)の氣(いき)は、火(ひ)の為(ため)に濁(にご)され、木氣(きのいき)は、火(ひ)の
為(ため)に焼(やか)れ、金氣(かねのいき)は、火(ひ)の為(ため)に化(かへ)られ、土氣(つ
ちのいき)は、火(ひ)の為(ため)に凝(こら)され、遂に土。成る。金氣(かねのいき)は、土(つ
ち)に会(あ)ひて相(あ)ひ懐れ即、光性成る、土生金、集(つど)ふ。

色(いろ)無(な)くして、而(しか)も、氣(いき)有(あ)り。位(くらゐ)無(な)くして化(かはり)有(あ)り。天祖別代、天尊、其の先現久方神、

湿気→火気⇒動気(風気)⇒炎気⇒虚熱、

①火気→寒水、濁、②火気→動木、焼、②火気→燥金、化、③火気→湿土、凝、金気→土湿、集

天祖別代

気体、神、天尊、現る。

空天、九百萬年、縁、二百二十五万年、生、二百二十五万年、極、二百二十五万年、易、二百二十五萬年

縁、生、時代は、天祖、極、易、時代は、天尊。

天尊、玄極に即きて、妙定中に生る、は、縁、生、極、四百五十萬年、初頭の神事。


総合

カバラ

アイン

萬物、原因、無原因、0、無、萬全、遍、創造、前段階、

最初に超絶神、絶対無、アインが存在した。

アインは、無、無物である。アインは、存在を超えており、如何なる物からも切り離されている。
絶対無、アインの上にも下にも何物も存在しない。無音であるが静的状態でも動的状態でもない。

無物、無始、無終、無識、不知、非記、虚莫、無空、天祖は、原因無き原因、萬物全に普く無の神、アインである。創造の前段階、0

神道、空理

禅宗、静慮

アインソフ

超絶神は、自身を意識せしめようとした時、無は、無限に収斂し、偏在神、無限神、アインソフとなった。00

神依、心託、神貫、神活、無限は、無限、永遠、源因、偏在、無限神、アインソフである。

無限、志向意識、顕現、前段階

神道、中理

禅宗、静慮

アインソフアウル

否定光、大海

神は、自分を見ようとした。主観、其の意志は、象徴的に無限光になって現れ無所に輝き、全所に輝き、隅
から隅まで全知した。主観、無限光は、絶対全に全知した。そして、神は、全知の地点から離れて存在、鏡、
を作り、自分の姿を眺めようと思った。客観、其の時、神は、中心を定め、光を抑制し、絶体全の中で内外
から光の収縮が発り、球体宇宙に変化し、内部に末顕現の存在界、即ち、空所境界が生じた。陰、空間周辺
を取り巻く、無限光は、白い頭、王冠中の王冠、秘められたる者の秘められたる、老いたる者の老いたる者、
最も聖なる老いたる者、老いたる者、日の老いたる者、原初の点、滑らかな点、計り知れぬ高みという。

世理は、アイン、ソフ、アウル

神の意志が無限から空間境界を貫いて内部に一条の光が射し込み始めた。陽、この時、存在は、絶対から分離し、
無限は、封印された。ゆえに無限は、最奥に穏されたものという。そして、空間内部に、浸透した無限光は、三要素に焦点が合わされた。一段は、絶体の意志は、二に、意志を受けとめて言、事を起す、行為、三には、
出来事、エネルギーを受けとめて中に含み、枠組みを与える器、限定である。ケテル、意志、コクマー、流出、
言、琴、事、ビナー、創造、最初、これをザーザーオト、秘められた輝きという。オトは、穏れた根の部分で、ここから、最初の法則が発り、この法則が存在を支配する。さらに、オトは、神の意志
に監督され、拡大、収縮の過程を発生させた。これは、絶対監督下で行れた最初の慈悲、峻厳、最初の働きとされる。オトは、末顕現、顕現に属さず、枠外にあるにも関らず。其の輝き
は、宇宙本質、影響を与える。宇宙は、この輝きの相互作用による結果、アインから、意志、発して存在
する。顕現した光は、セフィラという。絶対と空間の境目にあり、均衡状態、全世界を含む。セフィラーは、
過去現在、未来、一切種、田根、足根となる。ケテル以下、マルクトまで神の木、神が世界が存在するよう
に意志を発すると種が神の木の根を出し、幹が二伸び、枝が生え、果実、実らす。木は、神と世界との間を媒介する。

ケテル

神、造化、心、造化、理、造化、気、造化、境、造化、神、世理~一霊四魂、渦巻き、円理、天尊、出現、までは、ケテル、神伝。

別伝

最初に、人、空間、時間、三が存在した。そして、其の3をコピーして、6を形成した。これに、四大精霊を加え、10セフィロトを形成した。
この10セフィロトがマルクトを通じて顕現したのが、ケテル、以下、マルクトである。顕現

空天、五数あり。中一、下二、左三、上四、右五、和の十五は、天祖、本数。一~五は、相生、五~一、相剋、理。一、三、五、奇数、陽数、和、九は、九天の数理、二、四は、偶数、陰数、六地の数理。九、六、和は、本数、十五に帰す。

順一、逆五、六、順二、逆四、六、順三、逆三、六、六六六を為す。

アイン、ケテル、四段

アイン、流出
アインソフ、創造
アインソフアウル 形成
ケテル 活動

エーイエ、絶体意志、存在、三位相たる一体神、単一である三位一体、竿の中心点で表される単一、均衡は、天秤メテケラで表す。


心(こころ)、造化(よつくり)する理(ことわり)を催(もよほ)し、冥生(くらみのならし)、茲(ここ)に起(おこ)る。
は、アイン、ソフ、アウル。

十二支、子、根、音

ケテル

理(ことわり)は、造化(よつくり)する氣(みいき)を鎭(しづ)め、玄極(ふかみのきはめ)は、茲(ここ)に基(もと)つく。
伊勢神道に、元初宇宙は、球体で、三枚の鏡が闇空間を照らしていたという。太元霊球、是れなり。宗源道、山蔭家に、三段、磐境と傳えている。




末顕現の無限光に発生した渦巻く意識、ラシット、ハ、ギルガリムは、無限光を収斂し、極限に至る時、
大きさのない中心点、ケテルが顕現する。其の顕現点は、モナド、ハディト、精神の中心、顕現の万物の
宗源である。ケテルは、無形の存在にして、限定、時間を超えて自由に存在し、且つ創造の意志が溢れる、
純粋に神の火花である。ケテルは、絶対空間の女王と交わることによって永久に宇宙を顕現する。①ケテ
ルは、②コクマー、⑩マルクトに至る、セフィラを合わせ持つ。其の實は、御父である。神名は、エへイ
エ、ヤハウエ、エロヒムという。御子、ヤハウエ、エロヒムを統括する。ゾロアスター教では、無限時間の神、ズルワーンという。

ケテル、王冠

属性、均衡、根源、元初、唯一、至高、源泉、神木、魂木、種根
性能、アダム、カドモン、左身、陰、右身、陽、創造、意志、
神名、エへイエ、在りてある、呼称、大きな顔、
数霊、1 10含む   
形象、点
現象、第十、天体、元初動の渦巻き、星雲、第十天、海王星、
守護、メタトロン
定色、白、
ダイヤ

属性、均衡、宗源、根源、元初、唯一、至高、源泉、神木、魂木、種根、天真名井
性能、太虚、霊神、左身、陰、右身、陽、創造、意志、
神名、天祖、天津御親、天譲火、天先霧、地譲月、地先霧、皇尊、山蔭、天津渦渦志八津那伎天祖大神
数霊、一、十を含む。
形象、○
現象、渦巻造化
定色、黒

十種神宝

①品品比礼、王冠、十種

十二支、牛、初、領、

○神化数、倫道相生数図、北水、数霊、一(霊)。カバラのアイン0、ソフ00、オール000、セフィロトの木のセフィラ①「王冠」(言霊)とパス(言路)に対応に対応。

斎元は、神化を以て極とす。神化数に三科有り。曰く倫数、曰く独数、倫数に三有り。宗数、斎数、霊数、氏なり。独数に三有り。亦、
宗数、斎数、霊数なり。宗数は、祖尊、及び、七代天神、七世天王、出現数なり。皆、天地と与に生り、萬物と与に現る。普く領して、
之を保ちて、総治めて、之を育む。其の神は、斎元肇基の神なり。故れ、神化の数、斎元の中に入る。斎数は、専ら皇天を主り、神は、
祖尊に及ぶ。既に傳の中に見ゆ。霊数は、専ら、空天を謂ふ。四天を兼ね、萬化を7め会ふ。故れ倫独同一にして分差あること無し。
斎数の實傳とし、宗数 斎元の諸神、元来、宗源の神に出づ。實は、浅深無しと雖も暫く、序次を開示す。故れ、宗数を以て竟傳とす。

夫れ、数と理と互いに相發る。数の元は、理、理の元は、数なり。故れ、数義を窮めずは、理實を見ること無し。空開盛喪、之を四天と謂ふ。
空天は、祖尊、之を主る。開天、天神、之を主る。盛天、地神、之を主る。喪天、魔鬼、之を主る。其の消滅、盛衰、遷移の如き、氏れ、鎮五の所為なり。
五鎮、仮、盛衰すと雖も實には、曽て生滅有ること無し。故れ、空天除く五各虚莫中に周偏して融和密合すること、光雨謁火同霧の猶し。
水一、火の二、木の三、金四、土五、数総べて十有五、之を本数と謂ふ。万物の生、皆、此に本く。之を天祖の身と謂ふ。之を天祖の心と謂ふ。
五形、生剋有り。其の生は、天祖、其の剋は、天尊、空天の際、水方に旺す。故れ其の位、中に居る。火二下に居る。木三左に居る。
金四上に居る。土五、右に居る。天道、左旋を順る。故れ、数の序、然れり。此時、五形、末だ位せず。故れ、水一、中に居りて虚莫、皆、水の如し。
火二、下地に居りて木三、火位に次、間金四、上蓋と為り、土五邊処に居る。氏れ、皆、其の処失るに似て実に氏れ真位なり。対侍りて剋を為し、
右歩して密に生を生す。唯、其の生剋するや、空天を待つ所以なり。九とは、陽の成数、六は、陰の成数、左旋して一より五に至り、
則ち九六の数を具ふ。其の数、末だ成らず。天道、満すときは、其の数、末だ九六に満ず。べきの数無し。氏れ、天地末だ開かず。
神人、末だ成らず。万物萬化、末だ萌芽、現れず。然して此際に於て天地神人万物万化、瞭然として茲に娶会す。夫れ、至静虚の中、
神活の動き無きに非ず。故れ、幽然として左旋して、歩を遂げ、一より、五に至るは、氏れ、天祖の意なり。此れ氏の動きや動くとも
亦動くに非ず。旋るも旋に非ず。目は、明を失ひ、耳は、聴を失せ、神御す処、道ひ難し。若し、尋ねて六に至りて成数に至るときは、
天地開闢し、万物化生す。然れども時に末だ到らず。乃に止り逆転して還、五より一に至るときは、天尊の意なり。順は、相生を為し、逆は、相剋を為して生剋の理暫くも止らざる。亦見るべし。

復法総傳

五行、運を違へ、位を失ひ、神人去り、天地、壊る。数、亦随ひて穏伏す。倫数、各復法有り。



神化分傳

天祖

空天の際、五形、融和して虚莫に周偏す。水一、中に居る。火に、下地に居る。木三、火位に次、金四、上蓋を為し、土五、邊処に居る。対待して互いに剋を為し、右歩して密に生を為し實に氏れ真位なるのみ。

天尊

水一、木三、土五の九、陰偶二四の中に独歩して順より、又逆に依りて空天を維持す。

二四の傳

二四の数、乃ち、氏れ、天祖本数中に在り。二は、火数、四は、金数、天地開闢に臨みて金四、天数と為り、火の二、地の数と為る。天地の在限、天地を保全す。

左旋右旋

至静至虚の中に於て神活の動き無きに非ず。幽然として左旋して、歩を遂げ、一より、五に至るは、氏れ、天祖の意なり。
乃に止り、此より逆転して五より一に至るときは、氏れ、天尊の意なり。増数は、氏に於て在り。

空天像数

水旺して中に居る。四友、密合し、娶会して水一自然に五を具へて五、又外に融ず。四方に五を増し、外に又内融図、二三四五。自、内囲を為て作為理に有ること無し。然も斯の如し。

先天増数、潜に増し、暗みに満つ。

時に中りて、天祖、造化心を發す。

天祖在現

金氣、上に位して堅く空天を持ち、時に金数、既に満ちて土数又満ちて、加、金氣を扶けて、空天、此に於て土五を壊る。又、
金氣の為に推されて水一に合ひ、六を得て、始めて成数を為す。北方、水位を定む。氏れ、水盛にして還りて己位に帰する所以なり。天一水を生す。と謂ふは、則天祖、位に臨むの数なり。所謂、此神、時に中りて、造化心を發したまふ。とは、氏れなり。

徐数

陰は、陽に変じ、陽は、陰に変ず。故れ、陰を除くには、必ず、陽を以てし、陽を除くときは、必ず、陰を以てす。陽は七を用ゐ、陰は、四を用る。氏れ、七代の帝神、四代の女神の数を用るなり。北方の増数二五、七を徐きて残数三つ。元数の二を借きて一を生す。之を天祖在現数と謂ふ。

造化を発さむと欲し、天祖在現、

北数、数を除く、水、一、位を定む。

北方既に数を徐き天一水位を定め、之を天祖の分代と謂ふ。此れ、氏れ、一は、万を総べ、二に対するの一に非ず。所謂、理が、造化の氣を鎮めて玄極、茲に基く。とは、氏れなり。

独道総傳

陽は、過余有主り、陰は、不足を主る。陽道は、常に過余すれば、陰道則、之を7れ、氏則ち祖尊の意なり。倫独の由起る所以なり。
倫道は、天天祖に本き、独独道は、天尊に本く。一三五の九を独道の本数とす。五級は、増数とす。一二三四五六七八九、壱一、壱三、之を変数とす。中五、一九、二八、三七、四六の数、之を成数と謂ふ。天地神人萬物万化皆独道の功に依らずとふこと無し。

独数分傳

独道本数

空天の五行、密合す。然も其の中に三易、二陰を率ゐて空際に独歩するの勢有り。中と四方と四維と自迩として位す。各自ら五を具ふ。之を天尊の意とす。独道本数という。

一三五数、独歩して空際、中と八方と自然に位を為す。


○界化数

此(こ)の時(とき)、数(かず)有(あ)り。維(こ)れ、鎮(いしづ)の五(いつつ)のみ。
常数(つねかず)は、変(かは)らず。奇数(かたかず)は、偶(あひな)らず。奇(かたよる)なり。

故(か)れ、男神(をのかみ)なり。偶(あは)ざるが故(ゆゑ)に一神(ひとりかみ)なり。

其(そ)の鎮五(いしづ)を以(もち)て直(じき)に後神(のちつかみ)に配(くば)る。是(こ)れ、亦、男神(をかみ)にして一神(ひとりかみ)なり。

祖数在現

幽易にして在現数成る。氏れ、天祖の分代なり。一二三四五の数、之を約むときは。五形の五なり。此の時、数有り。氏れ、五鎮のみとは、氏れなり。

祖臨開天、数を除きて在現す。

五形の五、天尊を生む数

神代本紀箋

(此の一章は、秘伝にして、本経、之れを除くと雖も、爰に、今、之れを箋書す。猶、師傳を受けて数理の妙を知るべし。)

此の章、及び、後七代の下、各、数理を述ぶ。是れ、天地造化、諸神出現の数なり。

凡そ、数道に両科有り。曰く、神化数、曰く、界化数。

神化に二有り。曰く、倫道数、曰く、獨道数、倫道に三有り。宗源数、斎元数、霊宗数なり。獨道に三有り。曰く、宗源数、斎元数、霊宗数。

界化に三有り。曰く、配神数、曰く、造天数、曰く、造地数。

今、此の章は、界化数を説く。此の時とは、空天の時、天祖の代を云ふ。数とは、一二三四五六七八九十百千万億等の数なり。
数有りとは、空天の時、天地五行、萬物萬化、悉く滅没すと雖も、唯、数と理とは、常恒存在す。数と理とは、互いに相發す。
故に、数の元は、理と云ふ。理の元は、数と云ふ。理の條理を分ち、事の自然に出るは、皆、数の所為なり。故に、理は、元
数。数の増減、及び、然る所以の者は、理の所為なり。故に、数の元は、理なり。畢竟、理極に事見るは、数なり。数極に實を
見るは、是れを以て、数理を示さざるときは、理實を見るといふ無し。故に、数傳を以て、之を深秘として、数義を以て、之を累要とするなり。

維れ、鎮五とは、数有るの数、則ち、是れ、鎮五の数なり。鎮五の五と言ふが猶し。則ち、是れ、天祖の五鎮なり。五鎮とは、
神、心、理、氣、界の五の鎮なり。亦、是れ、水、火、木、金、土なり。神は、木、心は、火、理は、金、氣は、水、境は、土なり。
其の数は、水は、一、火は、二、木は、三、金は、四、土は、五なり。此の五数を以て、五鎮と云ふ。具に之を言ふときは、十有五なり。
此の五、天地萬物を造化するを以ての故に天祖の本数と云ふ。此の五形、開天に位するときは、水の一、北に在り。火の二南に在り。
木の三、東に在り。金の用は、西、土の五は、中なり。是れ、神、心、理、氣、境の序なり。春、夏、秋、冬の序なり。空天は、
唯、理のみにして、位も無く、形も無し。故に、一、中に旺し、虚莫、皆、水なり。火の二、北に在りて、水を制せられ、光火稲を
潜め、密かに南金を制す。木の三、東に在りて、水火を宥め(水火を和して寒勢をして偏ならしめず。是れ、木仁の徳なり。)
西土を制す。水、中に旺する時、常に其の相を受く。故に東に在る。金四、南に在りて水を相け、空天を扶持し、且つ、東の木を制す。土の五、南に在り。是れ、東方に衝ふ。木の
為に制せられ、万物、保音の功を欠く。南の根に在り。南金を相く。斯の如く、理、自然に在りと雖も、五行尽く、皆、虚莫
に充満して和融するが故に、之を無位無形の数と云ふ。是の故に、開天の天地、亦、皆、此の数理に外るる者無し。深く玩味
すべし。常数は、変らずとは、則ち、此の五鎮を指して、十五、遂に亡滅せず。是れ、変らずと云ふ。奇数は、偶らずとは、
奇は、双数なり。是の故に、一は、奇なり。偶は、双数なり。是の故に、両は、偶なり。一三五七九、之を奇とす。陽数とす。
二四六八十、之を陰数とす。祖数は、五なり。故に之を奇と謂ふ。二四六八十の数に非ず。故に偶ならずと云ふ。奇なり。故
に男神とは、男は、陽に出でて、女は、陰生す。五は、陽数、是の故に、男神なり。偶ならず。故に一神とは、奇にして偶な
らず。故に比者無し。天祖の在現、一神にして配神無し。其の鎮五を以て、直に後神に配すとは、其の鎮五尾は、天祖の五鎮
なり。直には、曲らざる。天祖の数、曾て、増減せず。其の数を以て、直に配する。後神とは、始生出天尊なり。祖数を以て、
直に天尊に配す。之を後神に配すと云ふ。凡そ、数道は、祖尊の数を以て之を元とする。天祖、天尊は、元、一神にして両体、
一体にして両神なり。天祖は、常に和融を主り、天尊は、常に分理を主る。或時は、天祖と成り、或る時は、天尊と成る。其
の不二の名を太上皇神と号す。空天の時、五鎮常恒に虚莫に充塞し、偏く和融して密合を為すと雖も各其の分理を失はず。其
の性徳を変へず。此の和融と分理と二にして不二、不二にして二なり。是の故に此の書、空天の記、唯、天祖一神を生し、天
尊神名を著さず。若し、二神に記すときは、不二の義を失ふ。(不二なるが故に天尊出現の當体に於て天祖自在にする故に天祖の出現を記さずと雖も天尊の詔を以て天祖の詔とるすなり。)

且つ神化数、北の数一を以て天祖と為すなり。是れ、二及び万を兼ね、一にして太上皇神の義に非ず。然れば、二神記すときは、
祖尊各別の解きて恐らくは、二を兼ねるの一に誤らむ。若かず。唯、一神を記して一神両有ることを見るときは、是の故に両徳を兼ねて天祖一神を記すなり。其の實は、天祖は、是れ、空天の虚帝、天尊は、一太極の虚帝なり。
太極、空界を離れず。空界、太極に非ず。不二にして二、須く知るべし、天祖の鎮五、天地四方四維に融通す。是の故に鎮五、界化の増数を備ふ。

一に曰く、一三五は、陽数、二四は、陰数なり。陽奇は、動きて主寄し、陰偶は、静にして順従す。故に
一三五は、前後左右四偶の数と為りて各五とする。四二と分れて上下と為して各五とする。四は、一を増
し、五、二は、三を増して五。是れを天祖界化の増数とす。経文、造天の次第、四十八万里の下と云ふ。四
の数を見るは、此の金数。造地の次第、二十四万里の上と云は、二の数を見す。此の火数なり。

天尊の数は、祖数鎮五の中の一三五の陽数なり。陽首にして常に動きて牽、陰は、尾にて常に静にして陽
に従ふ。故に三奇常に両偶を牽いて其の中に獨歩し、此の三奇、全数九。四方四維に位して、各五数を備
へて四十五是れを天尊界化の増数とす。皆、是れ、祖数の中に在り。故に一にして二、二にして一なり。

或時は、天祖と成り、或時は、天尊と成る。亦。此れの謂なり。三奇陽の剛の力を以て相剋の徳有り。減
制の徳有り。是れ陰を離れて陽に偏る故に減剋の徳を為す。是を以て陰陽相伴、之を陽と生し、偏陽なる
を之を陰と為し、天道は、みちを雇今きて、不足を益す。往昔、不足なるが故に増数有り。今既にみち満
るが故に数を除く。天に空開盛喪の四天有り。故に四天の数を除く。四を以て之除く。祖数、五十五、四
十を除く。十有五残る。是れ、乃ち、天祖の本数なり。一二三四五の全数、十有五にして亦是れ水火木金
土の数なり。故に之を約して五とす。其の鎮五を以てと云は、是れなり。直に後神に配するとは、鎮五の
数、不分、除ずして、直に天尊に配当するなり。是れなり。空天際、尊数、常に陰偶の中に獨歩す。是の
故に開天せんとするに臨みて天祖は、在現したまふひ。天尊は、獨り出現したまふ。其の数は、天祖の五
を以て、出現す。是を其の鎮五を以て直に後神に配すと謂ふ。又男神にして一神とは、陽数なるが故に男神なり。奇にして偶ならざるが故一神なり。

天祖の咒象

咒象(まじかた)

(木(親指)、火(人差指)、土(中指)、金(薬指)、水(小指))

二土、腹を合せ、二木、脇を合せ、火、金、水共に相ひ叉(あざ)ふ。

咒歌(まじうた)

①始(はし)めなく、終(をは)りなければ、空天(むなしあめ)、尚(なほ)、その先(さき)の天祖神(あめみおやかみ)

②久方(ひさかた)の天祖(あまつみおや)の太神(おほかみ)は、現(あらは)れながら、天天(あめあめ)に在(あ)る。
(じゃんけん、ぐーは、陰陽末發の太虚天祖の呪象である。)

解鎭總傳

五鎭、九天を成す。九天、三天に在り。三天、四天を為す。四天、四神を配す。四神、五鎭に帰す。

五鎭は、事なり。唯、皇胎に在り。皇胎に品在り。中、過、大、小なり。又、爰に品有り。已と末、氏れなり。已と末と五を成す。五、終に一に帰す。一に至るや融分に在り。

偏無為神秘書伝

解鎮分傳

虚形とは、理体にして太虚に遍き、氏れなり。(本紀に霊体に作る。蓋し誤りなり)
霊体とは、玄身、八根を具る。氏れなり。
霊息とは、妙息にして虚莫に塞る。氏れなり。

諸れを神氣と謂ふとは、其の始め无き神氣、質妙に五運の功を成して、流布くを五行と云ふ。

空心とは、空に充ちて志と情と想と念と无し。
聖性とは、法の心、霊明、道法を為す。

これを神心と謂ふとは、其の始め无き神性、妙に五徳の覚りを成して、流布を五常と云ふ。

冥定とは、妙定道なり。見れず。故れ、冥なり。常を為す。故れ、恒に定る。
妙生とは、冥定世なり。議れず。故れ、妙なり。物を成す。故に、生成する。
玄極とは、中なり。微密なり。故れ、玄なり。節有り。故れ、中極なり。
幽易とは、法なり。至精なり。故れ、幽なり。限有り。故れ、変易なり。
真縁とは、行なり。精微なり。故れ、眞なり。依縁有り。

氏れを神理と謂ふは、其の始め无き神法、妙に五極の微を成して、流布を五理と云ふ。

氣、幽に依しとは、精妙の氣質、精妙に集るなり。
心、玄に託りとは、精妙の心性、精妙に具るなり。
理、冥に貫くとは、精妙の理法、精妙に穿るなり。
魂、妙に活りとは、精妙の魂霊、精妙に存るなり。

之を神活と云ふとは、其の始め无き神霊、妙に五霊の存を成して、流布を五魂と云ふ。

久方の目とは、天明の神目、天然に具足る。久方の耳とは、天聴の神耳、自、具足る。

これを神境と言ふとは、其の始め无き神体、妙に五処の根を成し、流布を五境と云ふ。


鎮法は、則ち氏れ、天祖の身、



(編集「宇宙神体=宇宙人体」の画像掲載)

神天、空天は、過神の道体、位に帰す。開天は、偏神、常に用ゐて位に進む。盛天は、中神、行相、位に住る。遷天は、邪神、時に用ゐて位に退く。
四天配神、四品行状、元理融成、神行之画。

(編集「四天四位」画像)

神鎭、神は、境、皆、具(そな)へて、唯、理、有るのみに非ず。四天毎に在りて、唯、盛天のみ非ずとは、五鎭、常に經る故に散滅すること无くして庸在す。唯、理气のみに非ず。心境、神を具ふ。五鎭、一を分る神鎭の画。

(編集「神鎮」の絵図の画像掲載)


心鎭、心は、識靈を體とす。又、明虚を相相とす。而も知覚を用とす。表は、境に在り。裏は、意に在り。人我著在し、万法を納れ持つ。聖智を元とするとは、工夫の精を以て分分して得べきとを示す。唯、度慮のみに非ず。心万物に在り。五鎭一を分つ。心鎭の画。

(編集「心鎮」の絵図の画像掲載)

理鎭、理は、玄極の玄なり。象无く法を作し、色无く物に託り、靈无く妙を成す。性无く道を分つとは、理體は絶无なり。理の相は、万有なり。理の用は、諸法なり。所有事事理に依らずといふこと无し。其の極を見んことを示すのみ。唯空極のみに非ず。法物皆理。五鎭一を分つ。理鎭の画。

(編集「理鎮」の絵図の画像掲載)

气鎭、气は、一と二と三と四と五と六と天地、人物、諸象、起滅、成敗、貞易、一として气の所作に非ずといふこと无しとは、世間の善悪、禍福、一切、气変易に依る。之れを知らざるに仍りて之れを修めざるときは、道成らず。徳迎ず。唯形无き非ず。乍に万形を成す。五鎭一を分つ。气鎭の画。

(編集「気鎮」の絵図の画像掲載)

境鎭、境は、有情の具なり。非常は、密に具ふ。万物、皆、具るなり。小なる者は、芥塵、大なる者は、天地、具はざる者无き者なり。異道は、理解者、具はざる地を見る者有り。之れを破らずんばあるべからず。と云ふ。唯質根に非ず。識と气と理と具はる。五鎭一を分つ。境鎭の画。

(編集「境鎮」の絵図の画像掲載)

天祖神号

大中臣系藤原氏の山蔭家の宗源道に、太上太元至至尊眞神天地自然霊大御中主天津渦渦志八都奈伎天祖大神
大中臣系藤原氏の九鬼家の宗源道に、太源輝道神祖、母津和太良世乃大神、天津根真大神、
大中臣系卜部氏の吉田家の宗源道に、太元尊神
大中臣氏藤波家の宗源道に、天祖根皇大神、天地身一眞神、元無極主王大御神、天皇尊
物部伝、三輪編、穂妻伝に、天祖
山王一実神道に、天地人本命神 天地経律神明


始生出天神(はしめてなりいでますかみ)(陰陽神祖。玄極理神、幽易理神。老経に「有」。神包。)

天祖、天尊は、共に、是れ、理体の神にして、空天に在し、互いに体と用と為ると雖も、開天に臨むときは、
天祖は、体と成りて常在して現れず。天尊は、用と成りて、茲に於て、始めて、出生したまふ。故に始生出
天神と云ふ。天地、末だ開けざる時、之を天神と謂ふ。亦、天祖の義に同じ。蓋し、祖尊の両神、其の空天
に於て、互いに体と用と為さる。亦

Re: 聖徳太子の未来記が三種類存在する理由 - 教会員

2015/04/29 (Wed) 23:25:52

ありがとうございます。
 
漢文の訓読(大和言葉)ができる必要があるのですね。

天祖(天の御親)と天尊(天の御言)の部分を教えてくれて感謝します。

訓読文から現代語訳文への翻訳は、できそうもないので、なるべく誤解しないように簡単な説明文程度に読むようにします。
その中から、既存の教会で使用している聖典や預言者の教えの中に欠けている点や補強する点がないか探ってみます。
本当にありがとうございました。

Re: 聖徳太子の未来記が三種類存在する理由 - トバル

2015/04/29 (Wed) 23:38:04


始生出天神(はしめてなりいでますかみ)(陰陽神祖。玄極理神、幽易理神。老経に「有」。)

天祖、天尊は、共に、是れ、理体の神にして、空天に在し、互いに体と用と為ると雖も、開天に臨むときは、
天祖は、体と成りて常在して現れず。天尊は、用と成りて、茲に於て、始めて、出生したまふ。故に始生出
天神と云ふ。天地、末だ開けざる時、之を天神と謂ふ。亦、天祖の義に同じ。蓋し、祖尊の両神、其の空天
に於て、互いに体と用と為さる。亦、開天に臨みては、獨り体と用を分つことは、何そや。空に於るや、天
祖は、常に和融を主り、相生を主る。天尊は、常に分理を主り、相剋を主る、分理を為すときは、其の融通
する者は、分離す。是の故に融通は、体、分理は、用なり。又、分理するに依りて融通す。是れ、乃ち、分
理は、体、融通は、用なり。然るに、体と用を分つ者は、陰陽、相ひ分れ、天地、以て定るは、皆、是れ、
分理の所為なり。故に、開天に臨みては、天祖は、体に在りて常に在し、天尊は、用に在して出現す。之を始生出天神と謂ふ。

(「理体神会図②」掲載)

天尊(あまつみこと)、大甘美葦芽彦舅尊(おほうましあしかびひこちのみこと)、

大甘美葦芽彦舅大神(おほうましあしかびひこちのおほみかみ)の更名(またのな)は、天御始化尊(あめのみはしめなりのみこと)、

(又名は、常世不動皇尊(とこようごかずのすめらみこと))

神代本紀箋

此の章は、神名を挙げて徳の全体を述ぶ。大甘美といふより大神尊に至るまでは、天尊の神名なり。此の神名に就きて亦句義と字義有り。
其の句義は、大甘美とは、和順至極なり、甘美は、調和の味なり。其の味甚だ以て甘ずべき極なり。故に大甘美と云ふ。此の時、五形、
大に和し、天地将に開かんとし、萬物を生せむとするの時なるが故に其の神徳を以て之を号る。葦芽とは、草名なり。蘆秀たる者なり。
芽は、葦なり。又、苗、地を出るを芽と曰ふ。葦葉僅かに出でては、将に秀でんとする形なり。是れ、陰陽の氣を含み、是れより陰陽
流行を成し、陽は、昇りて天と為り、陰は、降りて地と為るの芽、僅かに出現するの形を謂ふ。故に其の神徳を以て之を号しるなり。
彦舅は、彦は、大なり。美士を彦と曰ふ。舅は、尊長の称なり。此の神、男神なり。故に男子の尊称を彦と号るなり。大神と広大の神徳なるが故に大神と云ふ。

字義を以て言へば、

大とは、此の尊、出現して生、太元、太極、三元、五行、皆生成するを以て大と云ふ。(太元は、陰陽の元、太極は、天地万物の元、三元は、天地人の元なり。)
甘とは、五鎮五行の調和の至極、快好、美味なり。
美とは、五鎮五行和合の形、甚しく美好なり。
蘆とは、此の尊、出現したまひて、万物、万化、群生の徳、之を名く。
芽とは、此の尊、出現したまひて、万物、万化、其の芽を為すを以て之を名く。
彦とは、男子の勝徳を云ふ。
舅とは、父老の称を云ふ。此尊群生の父老たるを以て之を云ふ。

天始化尊は、天は、猶、天神と言ふが猶し。御尊崇の称、始化とは、始肇化出するの義なり。天地、始めて、其の萌化するが故に御始化と号す。


先天本紀箋

更名、常世不動皇尊は、更称なり。別号と云ふ。常世は、変没無きの称なり。此の尊、久在神にして消滅無き神なり。
今始めて出現することは、仮権なり。實を論するときは、不生不滅の神なり。是れ、常世神なり。不動とは、開天の
始め、金氣秀張し、初めて一物を成す。状、混沌、一大極なり。円中の五氣、変変化化し、九十九万歳を経て出現するなり。
数理九十九数なり。此の時と数と天尊の極と謂ふ。此の一大極円、是れ、天尊大神なり。故に天尊と云ふ。腰より上
半は、斯れ、天、腰より下半は、斯れ地なり。此、大円一大極、天地有る限り、曾て変動せず。故に此の尊は。不動
皇尊と云ふ。然も是の如しと雖も、此の尊は、始め有る神なり。故に喪天の時は、或いは、他天に遷るなり。天祖大神の無始無終の如きに非ず。
今、所謂、不動は、天地有るの限り不動なり。


著者註、天津御言、天御始化尊、常世不動尊は、天地の始めであり、終りである、天津御親エルの息子にしてエルの言葉であるヤハウェ=イエス・キリストの實理一体神。

神代本紀

天(あめ)に先(さきた)ち、玄極(ふかみのきはめ)に即(つ)きて、妙定(たへなるさだめ)の中(なか)に化(な)り出(い)でます。

是(こ)れ、魂託(みたまはらみ)の教(をし)へを説(と)く、其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

神代本紀箋

自下は、天尊の徳を述ぶ。玄極に即きて、下二句、体に就きて徳を謂ふ。玄は、深遠なり。極は、至極なり。其の極、甚深、微妙なり。故に玄極と云ふ。
玄極に即きてとは、天尊、茲に出現したまふの義は、空天九百万歳の間、大に之を分る。自ら、縁、生、極、易の四を有り。定理は、其の中に有り。空天量年、
九百万歳の中、四の二百二十五万歳を得るを以て、是れを縁、生、極、易を宛つるときは、始四百五十万歳を
過ぎて、次の二百二十五万歳の間、是れ、空天の玄極なり。是に於て、空天の極に至るが故に、必ず、開天に赴く時至るなり。
是れより、斬斬、空天、変易す。之を空天の幽易とす。其の量二百二十五歳なり。其の中の後の百十万歳、是れを妙定の量年とするなり。

空天の量年、九百万歳、是れを四に分けて、縁、生、極、易に宛つるなり。定は、其の中に在り。

始四百五十万歳とは、二百二十五万歳を二合せたる数なり。次の二百二十五万歳とは、第三の二百二十五万歳の時なり。
後の二百二十五万歳、是れ、幽易の時なり。其の中、後の百十万歳とは、空天量年、九分するときは、九十万歳、八つ。
百八十万歳、一つなり。是れ、亦、開天七代の量年なり。是の九百万歳を以て、一季九十日に准するときは、九十万歳。
八つ。合せて、七百二十万歳なり。六候、七十日に准す。一の百八十万歳は、土用、十八日に准す。故に百八十万万歳
を妙定の量年とするなり。或いは、一天中を以て、四時、五時に宛て、或いは、総の四天を四時五理に宛て、其の量年
を立つ。是れを手を引きて、之を執らしめ、口に入れて、之を喫せしむる義なり。畢竟、空天、極りて開天に至る理の
自然なり。玄極、幽易の理、須く知るべし。此の理に有りて、以て循環す。則ち、是れ、妙定の理なり。

是れ、開天に赴く定理なり。玄妙、定理なるが故に妙定と云ふ。天尊は、天祖の別代を過ぎて出現したまふ。實は、空天の玄極に即きて妙定の中に出現したまふ。
化出とは、神霊、此の理に乗りて出現したまふ。

是れ、聖傳なり。此の章、魂託を説く。神霊、氣に乗りて託鎮の魂託と謂ふ。空天は、神魂、氣に乗ること無し。此の時に至りて、此の神、始めて化出し、其の神霊、氣に寄り託るを以て其の法の元と云ふ。


眞縁(まことのよさし)も未知(いさ)。冥生(くらみのならし)も不疏(いさ)。渾沌(まろかり)も未識(いさ)。溟幸(くくもり)も不録(いさ)。天尊(あまつみこと)、化(な)り出(い)でまして、眞縁(まことのよさし)を得(え)たまふ。

是(こ)れ、因縁(たなつよさし)を説(と)く、其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

時(とき)に、天尊(あまつみこと)、出(い)で生(あ)れまして、天祖(あまつみおや)に向(むか)ひ、臣(やつかれ)と稱(なの)りたまふ。

是(こ)れ、吾(わ)が國(くに)は、天君(あまつおほきみ)を尊(たふと)びて、盡永(ひたふる)の主(きみ)として易(かは)らざる、其(そ)れ、その法(のり)の元(もと)なり。

コクマー

此(こ)の時(とき)、彼(か)の妙定(たへなるさだめ)、其(そ)の眞縁(まことのよさし)に即(のりと)りて、肇(はしめ)て、
冥生(くらみのならし)を感(うごか)して、初(はし)めて、一物(ひとつのもの)を成(な)して、化状(みかたつくり)し、渾沌(まろか)れて、猶(なほ)、
鶏卵子(とりのこ)の如(こと)し。溟(くくも)り、芽(きさし)を含(ふく)みて、蓮肉(はちすこ)の心(さなこ)の如(こと)し。

混沌は、天地、根状、法りて、卵子。元気は、真実、蓮子心、実、如し。

玄極(ふかみのきはめ)、王(おほきみ)として位たかみくらに立(た)ち、幽易(かすみのかはり)、宰(つかさ)として御行(のりおこな)ふ。

師伝、妙節、具りて、未動かず。王徳、不動なるが如し。幽易、寄り、御行ひて、すでに、変易、道を生す。理、奉行、政、職るが若し。

一(ひと)たび縮(しじ)み、一(ひと)たび伸(の)びて、旋(めぐ)り轉(めぐ)りて、休(や)むといふこと無(な)し。

師伝、其の易、陽を萌え、故に、初め、変は、先に縮む。縮むときは、伸び、氏れ、理。不休は、道ならくのみ。

其(そ)の化(ものな)すこと自(おのつか)ら節(ほと)あり。其(そ)の行(おこな)ふこと自(おのつか)ら度(のり)あり。

其(そ)の流(ながる)る功(いさをし)、其(そ)の瀰(ほびこ)る功(いさをし)、瀰(ひろこ)りて、洪(おほ)きに伸(の)び、
洪(おほ)きに縮(しじま)りて、變(かは)り化(かは)り、造(な)し爲(な)して、陽(をのいき)成(な)し、陰(めのいき)
成(な)して、未(いま)だ二儀(めをのいき)、及(およ)び、五行(いゆきのかたち)現(あらは)れず。

この元極(もとつきはめ)や、名(なつ)けて、これを道(みち)と曰(い)ふ。

師伝、神道、自理を以て、7末、逸無く。之を布き、之を運び、法然りて徳に帰す。

諸(こ)れを天尊(あまつみこと)の代(みよ)と道(い)ふ。

回転する天尊=太極大円は、球状の原始宇宙か原始太陽系円盤の生成造化。電気的に中性状態のプラズマ円盤。ここから、陰-と陽+の電荷を帯びたプラズマ渦列(天常立)が生成され、回転運動を始める。(天御中主尊)

此(こ)の神(かみ)は、縁(よさし)を製(つく)り、縁(よさし)は、能(よ)く成(な)ることを作(つく)り、成(な)ることは、能(よ)く物(ものこと)を起(おこ)し、物(ものこと)は、能(よ)く事(ことわざ)を起(おこ)し、事(ことわざ)有(あ)りて、善惡(よしあし)有(あ)り。善惡(よしあし)に依(よ)りて法(のり)を生(な)す。

是(こ)れ、善惡(よしあし)の戒(いましめ)を説(と)く教(をし)への其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

此(こ)の神(かみ)は、陰(くらみいき)、陽(あかみいき)を製(つく)りたまふ。天地(あめつち)の根(ね)は、ここに興(おこ)り、吉凶(よしあし)、安否(あかたち)、皆(ことこと)く、之(こ)れに依(よ)りて生(な)る。

是(こ)れ、陰陽(めをいき)の易(かはり)の中道(なかつみち)を説(と)く教(をし)への其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

陽気は、祖の理、相生、陰気は、尊の理、相剋、神理による生成される。

老子、玄、神、易学、易という。易に、真易、周易、有り。真易には、六四卦、三十六計、数陣を含む、十次真方陣を含む、百次、一万の数陣、伝り。森羅、万象、を含む、太玄、太極、我が国、宗源道、藤原家、二条家相伝せり、という。

此(こ)の時(とき)の造化(つくりこと)を以(もち)て天尊(あまつみこと)の代(みよ)と道(い)ふ。外(そと)に化(な)る道(みち)を謂(い)ふ。

原始太陽系円盤は、電気的に中性状態のプラズマ。中道、是れなり。

是(こ)れ、性(さが)の外(そと)に現(あ)る道(みち)、其(そ)の教(をしへ)の元(もと)なり。

天(あめ)に変(かはり)の無(な)きこと能(あた)はず。天性(かみながら)、性(さが)を外(そと)に変(かへ)るときは、
喜(ゑらき)、怒(いかり)、憂(うれへ)、悪(わろさ)、成(な)りて、次第(やくやく)に幽闇(くらやみ)迫(せま)る。

是(こ)れ、貧(むさほり)に耽(ふけ)る盗(ぬす)みの害(そこなひ)なり。

是(こ)れを変氣(かはるいき)の邪(よこしま)と言(い)ふ。

又、外乱(そとのみだれ)と言(い)ふは、何故(なにゆゑ)そ。

心(こころ)は、双(めを)の氣(いき)に鎮道(しづま)ればなり。

心(こころ)と氣(みいき)は、融(とけあ)ひ、双(めをのいき)、併(あは)せて同(ともな)ふ。

故(か)れ、道(みち)に帰(かへ)り、治(をさめ)に帰(かへ)り、本(もと)に帰(かへ)り、理(ことわり)に復(かへ)る。

春心(はるみこころ)は、寛(ひろ)く、尋(つぎ)て、夏心(なつみこころ)は、明(あか)く、秋心(
あきみこころ)は、清(きよ)く、冬心(ふゆみこころ)は、厳(きびし)く、用心(まどきこころ)は、念(
おも)ふ。以(もち)て、之(ここ)に止(とどま)るときは、人(ひと)の天性(かみながら)の位(くらゐ)調(ととの)ふべし。

是(こ)れを外分(そとわけ)の地(ほとり)と言(い)ふ。是(こ)れを道(みち)と言(い)ふ。

是(こ)れ、外性(そとのさが)の道(みち)を説(と)く、其(そ)の教(をしへ)の元(もと)なり。

此(こ)の二神(ふたはしらのかみ)は、空数(そらかず)に在(あ)りて、而(しか)も、萬法(もろのり)の本(もと)と為(な)る。

理(ことわり)と言(い)ふは、法(のり)なり。妙(たへ)にして無(ものなき)なり。
氣(みいき)と言(い)ふは、行(わざ)なり。妙(たへ)にして有(ものある)なり。
神(みたま)と言(い)ふは、霊(かみ)なり。妙(たへ)にして主領(つかさとる)なり。
心(こころ)と言(い)ふは、変(かはり)なり。妙(たへ)にして能領(よくしらす)なり。
境(さかひ)と言(い)ふは、稟(うく)なり。妙(たへ)にして所領(つかさとらるところ)なり。

能(よ)く領(しらし)に即(つ)けるを心(こころ)と言(い)ふ。

則(すなは)ち、心(こころ)とは、累者(かさぬるもの)なり。

中(なか)に性情(さが)を持(たも)てり。

意(むなはせ)の念(おもひ)、「小古」(ねたみ)の怠(なまけ)の性情(さが)なり。

惠(めぐみ)、義(ただし)、禮(ゐやび)、智(さとり)、信(まこと)の質(たち)、意(むなはせ)
に移(うつ)るときは、志(こころさし)、想(おもひはせ)、慮(おもはかり)、小偏に寸、小偏に替と為(な)る。

妬に静(しづ)むときは、志(こころさし)、想(おもひはせ)、慮(おもひはかり)、小偏に寸、小偏替
は、凶(わろきこころ)と為(な)る。

性(さが)の意(むねはせ)と小偏に古()とを別(わく)るときは、其(そ)の諸(もろもろ)は、識(さとり)に帰(かへ)る。

識(さとり)は、摂(ふさねと)る者(もの)なり。

性(さが)と意(むね)、摂(ふさねと)りては、爰(ここ)に体(むね)と用(わざ)有(あ)り。

霊覚(あやしさとり)は、是(こ)れ、体(むね)なり。知記(さとりしるす)は、是(こ)れ用(わざ)なり。

性(さが)と意(むね)と宰(つかさと)りて余(あま)るときは、情(こころ)と成(な)る。
喜(ゑらき)と憂(うれへ)、怒(いかり)と憂(うれへ)とは、偏(かたよ)る。

故(か)れ、節道(ほとのみち)、爰(ここ)に作(つく)る。

意(むなはせ)余(あま)るときは、念(おもひ)成(な)る。

善悪(よしあし)は、公(おほやけ)なり。公(おほやけ)に思(おも)ふ。

故(か)れ、正道(ただしのみち)、爰(ここ)に寄(よさ)す。

小古、余(あま)るときは、怠(なまけ)成(な)る。

修行(おこなひ)して観証(みさとり)に止(とどま)る。

故(か)れ、学道(まなびのみち)、爰(ここ)に用(もちゐ)る。

一(ひたすら)に心(こころ)を節(ただ)すの学(まなび)を建(た)てて心道(こころのみち)を行(おこな)ふ。

心道(こころのみち)の方行(のりおこな)ふときは、理(ことわり)と氣(みいき)と境(さかひ)とは、位(くらゐ)し、
理(ことわり)と氣(みいき)と境(さかひ)と位(くらゐ)するときは、神道(かみながらのみち)の實(まこと)位(くらゐ)す。

此(こ)れ、神道(かみながらのみち)の幽(くらき)を尽(つく)し、尽(つく)せば得(え)る。是(こ)れを神(かみ)と名(い)ふ。 

是(こ)れ、宗源道(もとつみもとのみち)は、諸(もろもろ)の神神(かみがみ)を生(な)す、其(そ)の法(もと)の元(もと)なり。

此(こ)れ、二神(ふたはしらのもとつかみ)は、是(こ)れ、萬法(もろのり)の本(おほもと)にして、微(かすか)なるを盡(つ)くし、盡(つ)くせるを得(え)たり。是(こ)れを神(かみ)と名(い)ふ。

是(こ)れ、宗源(もとつみもと)の道(みち)、諸神(もろかみ)の神生(かみなり)の其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

斯(こ)の神(かみこと)、之(こ)れを得(う)る。是(こ)れ、人(ひと)の中(なか)の神(かみ)なり。

是(こ)れ、眞人(かみつひしり)を説(と)く教(をし)への其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

此(こ)の徳(いさをし)の中(なか)に至(いた)りて、空(そら)に駕(の)り、方(のり)に御(の)る。

是(こ)れ、人(ひと)の神(かみ)に親(ちか)き靈人(あやしひと)なり。

是(こ)れ、至人(なかつひしり)を説(と)く教(をし)への其(そ)の元(もと)なり。

此(こ)の中(なか)に聖(とほ)り、未(いま)だ見(み)ざる者(もの)を知(し)り、未(いま)だ聞(き)かざる者(もの)を識(し)る。

是(こ)れ、靈人(あやしひと)に隣(とな)る徳人(いきほひあるひと)なり。

是(こ)れ、聖人(しもつひしり)を説(と)く教(をし)への其(そ)の元(もと)なり。


此(こ)の間(あひた)に賢(さかし)く、敏慮(おもほしとく)、行智(わざさとしく)、皆(ことこと)く、理(ことわり)に中(あた)る。

是(こ)れ、神學(かむまなび)の人(ひと)なり。

是(こ)れ、賢人(さかしひと)を説(と)く教(をし)への其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。


右(かみにありし)、天祖(あまつみおや)は、獨(ひと)り在(ゐま)し、天尊(あまつみこと)は、獨(ひと)り出(い)でます。父子(かそこ)夫婦(をめ)、及(およ)び、昆弟(をえ、をと)の倫(ともから)も無(な)し。


時(とき)に、天地(あめつち)は、未(いま)だ開闢(ひら)けず。故(か)れ、代(みよ)の數(かず)に入(い)れたまはず。

是(こ)れ、天祖(あまつみおや)は、元君(もとつきみ)、天尊(あまつみこと)は、出(い)でて臣(やつかれ)と稱(まを)したまふ。

蓋(けだ)し、君(おほきみ)と臣(みやつこ)の倫(みち)有(あ)り。故(か)れ、王道(おほきみのみち)の祖(みおや)なり。

獨(ひと)り坐(ま)し、獨(ひと)り出(なりい)でたまふ。師道(ものをしへのみち)の祖(みおや)なり。
王道(きみのみち)、師道(ものをしへのみち)有(あ)りて、世(みよ)を御(し)り、世助(よたすけ)する、其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

(此れ、則ち、神国、君臣の礼を重んずるの義なり。祖と尊とは、父子の如し。父の世には、其の子としては、父と称し、君とし、子は、則ち、臣の列のみ。)

天尊の御言=御事

コクマー

智恵

水源、井戸であるケテルから涌き出て溢れる創造の意志は、コクマーを流出、形成させる。コクマーは、ケテルの能動の意志を發現する
動力、活力として顕現作用する。其の実体は、世界万物を活動(振動)せしめる神の言の音の霊である御子ヤハウエ、イエシュアである。
50智恵とは、50音、言霊である。エノクが二匹、獅子にあ開 うむ閉で、50音、言霊伝、阿吽、狛犬、是れなり。御子、ヤハウエ 
言霊は、客体

属性、能動、智恵、
性能、流出、元型、元始、神名、光輝、意志、振動、言葉、芽
神名、ヤー、イエホヴァ、イエシュア、アッバ、萬物父、
数霊、2
形象、線―
現象、天球、十二宮、天王星
定色、灰
天使、人間、YHVH
守護、ラツィル
アウファにム車輪
トルコ石


天津御言

属性、能動、智極
性能、因縁、原型、元始、太元、太極、三元、振動、言葉、芽
神名、天津御事、萬物父
言霊、ウ
数霊、2
形霊、△
現象、天球、十二宮、
定色、赤、

十種神宝

大蛇の霊礼

神化数、倫道相生図、南火、数霊、二(増)。カバラのセフィロトの木のセフィラ②の智慧と其のパス(神の言霊の経路)に対応。数霊、二。


天尊出現

火、水の為に剋められるや火臼火識、倍盛りにして昇る、南金を剋めて南、火位を定む。之を地二火を生すと謂ふ。則ち天尊、位に臨むの数なり。

除数

南方、数を増すこと二十、十四を除きて残数六、元数、四を借きて二を生す。之を天尊出現数と謂ふ。

開天せんと及ぶ。天尊出現、

南方、数を除く。火二位を定む。

南方、既に数を除きて、地二火位を定む。之を天尊の分代と謂ふ。此、氏れ、二は、万を総べ、三に対するの二に非ず。一は、分けて二とす。初めて一物を生し、とは、此の謂れなり。天祖独り在し、天尊独り出でて時に末開闢せず。故れ、末だ代数に入れず。

独道総傳

陽は、過余有主り、陰は、不足を主る。陽道は、常に過余すれば、陰道則、之を7れ、氏則ち祖尊の意なり。倫独の由起る所以なり。
倫道は、天祖に本き、独道は、天尊に本く。一三五の九を独道の本数とす。五九は、増数とす。一二三四五六七八九、復一、復三、之を変数とす。中五、一九、二八、三七、四六の数、之を成数と謂ふ。天地神人萬物万化皆独道の功に依らずとふこと無し。

独数分傳
空天の五行、密合す。然も其の中に三易、二陰を率ゐて空際に独歩するの勢有り。中と四方と四維と自迩として位sう。各自ら五を具ふ。之を天尊の意とす。独道本数という。

三易九位、自迩として五を具ふ。空際先現

独道変数

九位、各五又互いに融和し、南五を減らし、北位の五に加、維五に二を減らして南維五数に加ふ。西五三を減らして東位の五に加ふ。西維五、四を四四 四を減らして、東維の五数に加ふ。一に三四五六七八九数、氏に於て始めて備る。

自ら一より九に至る。亦氏れ全数。


界化数

天祖(あまつみおや)の一(ひとつ)、天尊(あまつみこと)の五(いつつ)、合(あは)せて六(む)つ。
皆(みな)、鎮數(しずめのかず)なり。祖尊(みおやとみこと)、分(わけ)に依(よ)りて鎮数(いし
づかず)の分(わけ)を得(え)たり。方(まさ)に雙(ならび)三(みつ)を得(え)て、後神(のちつかみ)に
配(くば)る。三(みつ)を皇(すめらき)に配(くば)り、三(みつ)を帝(おほきみ)に配(くば)る。

是(こ)れ、合(あ)ふ者(もの)は、又、分(わか)る。其(そ)の法(のり)の元(もと)なり。

尊数出現

天尊の己数、五、出現の数、則ち、十、祖数より来るのみ。其の鎮五を以て直に後神に配ると謂ふは、氏れなり。

祖開天に臨む。鎮数五を承る。

己数、自対して、陰陽、茲に分る。

初代現数

承来の数、五、四天に宛て、之を除く。四を除く。一を得て、己数に合せて六、之を、二分として双三を得、三を皇に配る。三を帝に配る。所謂、双三を得て後神に配るが、氏れなり。

数を除き、一とし、己数に合せ六、
分けて双三を為し、後神に配る数。

(「天尊界化数図」掲載)

神代本紀箋

此の章は、天尊の界化の数なり。中に天祖より承來る数有り。祖尊の合数有り。後神に配する数なり。

天祖一は、是れに数傳に二義有り。

一に曰く、天道は、みちるときは、減し、又、不足するときは、増す。陰陽は、必ず、屈伸し、数道は、
定りて増減す。増す者は、序順じて増し、減る者は、積りて頓に減す。故に天祖の五数、四を減らして一と為し、是れを天祖の一と云ふ。

二に曰く、天祖の五数にして五なりと雖も、祖神一神の数なるを以て、承数と為るときは、五を総べて、
一と為る。天尊の五合わせて六とは、物、各五鎮の五を具ふ。一滴の露、細微の草芽に至るまで、此の
五に有ずといふこと無し。故に天尊、数の五を一に合せて六なり。鎮数とは、天祖の一も、天尊の五も、
皆、是れ、元極、鎮五の数なり。祖尊、分るに依りて、鎮数、分を得るとは、前章に、常数、変らず。
是れ、鎮数、元、不分の義なり。是の故に、天祖より天尊の配する数、其の鎮五を以て、後の神に配す
と云ふ。今、天尊、後神を生して、数を配するに至りて、六を分けて、双三と為す。以て、初代の皇帝
に分つ。其の六は、一と五にて、祖尊の鎮数と雖も、既に祖神、身を分けて、天尊に現縁したまひ、祖
と尊と相分るが故に、彼の一、五の六数、之を分ち得るなり。且つ、合ふ者は、必ず、分つ。一と五、
合して六と為る。故に、又、分れて、双三と為る。方に双三を得て、後神に配す。三を皇に配し、三を
帝に配してとは、正になり。又、猶、初めて、日方に昇るが猶し。是れなり。六を分けて、双三と為す、
三を初代の皇に領ち、又、三を以て、其の帝に配す。是れ、倫道の祖なるが故に、初代より両神を生す。
是れ、乃ち、偶生の理なり。然と雖も、三は、元、陽数、故に、二神、共に陽神なり。是を以て、初代は、倶生天神と云ふ。

是れ、聖傳なり。合は、祖の一尊の五合するを云ふ。又、分るとは、六を分けて、三と為し、初代の皇
帝に配するを云ふ。祖尊、各、自数、相合と雖も、合ふ者は、定めて分る。是の故に又分る。是なり。天然の理なり。

天祖数五-四天数四+天尊五数÷皇帝倫数二=

大中臣系藤原氏山蔭家の宗源道に、四光四元四主産霊産巣日生成化育大神
大中臣系藤原氏九鬼家の宗源道に、陰陽神祖、天津豊受大神、国津豊受大神、天地万有造根大神
大中臣氏藤波家の宗源道に、中末分主神、霊豊本葦牙氣皇主身光大神、造化氣萬男身光天皇



初めに、神は、天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。 (日本聖書協会「新共同訳聖書」創世記、1章1節~5節)。


新約聖書

始めに言葉(ロゴス)があった。言葉は、神と共にあった。言葉は、神であった。言葉が万物を創造した。

アブラハム書

さて、主は、わたしアブラハムに、世界が存在する前に組織された英知たちを見せてくださった。そして、
これらすべての中には、高潔で偉大な者たちが多くいた。神がこれらの者を見られると、彼らは良かった。
そこで、神は彼らの中に立って言われた。「わたしはこれらの者を、治める者としよう。」神は霊であっ
たこれらの者の中に立って、見て、彼らを良しとされた。そして、彼らの中に神のような者が一人立ち、
ともにいた者たちに言った。「あそこに空間があるので、わたしたちは降って行こう。そして、これらの
材料を取って、これらの者が住む地を造ろう。そして、わたしたちはこれによって彼等を試し、何であろ
うと、主なる彼らの神が命じらるすべてのことを彼らがなすかどうかみ見よう。

その後、主は「降って行う」と言われた。そして、彼らは最初に降って行き、彼らすなはち、神々は天と地を組織し、形造られた。

(英知とは、御父エルが創造した霊の子供達=神神)

3章22節~5章3節

モーセ書

さて、主はモーセに語って言われた。「見よ、わたしはこの天とこの地についてあなたに示す。わたしが語る
言葉を書記しなさい。わたしは始めであり、終わりであり、全能の神である。わたしの独り子によって、わたしはこれらのものを創造した。まことに初めに、わたしは天とあなたが立っている地とを創造した。

地は形なく、むなしかった。わたしは深い淵の面に闇を來らせ、わたしの御霊が水の面を動いていた。わたしは、神である。

2章1節

倫道七代


秘伝口決

◇天尊(あまつみこと)の咒象(まじかた)

象(まじかた)

二土、開き伸べ、二木、脇を合はせ、火、金、水共に相ひ叉(あざ)ふ。

咒(まじうた)

①始(はし)め有(あ)り、空天(むなしあめ)ゆも、氣(いき)萌(きさ)し、生(あ)れ出(い)でませし、天尊神(あめみことかみ)。

②日標方(ひさかた)の天尊(あめのみこと)の神(かみ)よりぞ、天地開(あめつちひら)く因(たね)は起(おこ)れる。

(じゃんけん、チョキは、陰陽分理の太極天尊の呪象である。)

◇太上皇神(天祖―天尊)の咒象

象(まじかた)

両(もろて)の掌(たなごころ)を仰(あおむ)け、八指を叉(あざ)へ、左右の木を伸し立つ。八指を叉(あざ)へるは、八極、混合して分かたざるなり。左右の木指を伸ばし立つは、唯、木気のみ動きて、開天の芽を含む故に此の象を為すなり。芽を含むこと蓮肉の心の若し。

咒(まじうた)

天蓋共、地磐共无且、虚空従、神座在而、万物共成些(ひさかたも、あらがねもなき、みそらより、かみましまして、もろものもなる)

天神七代(天地人創造七代)

Re: 聖徳太子の未来記が三種類存在する理由 - 教会員

2015/04/30 (Thu) 22:24:40

ありがとうございます。
創世記の研究にいかします。
また質問すると思いますので、よろしくお願いいたします。
 
ところで、飛鳥兄弟は近いうちに発表しますがイエス・キリストの体を覆った聖骸布ではなく「顔を覆った聖骸布」がどこの神社に保管されているかご存知でしょうか?
 

謹賀新年「日の出蒲鉾」の奥義 - トバル

2015/01/01 (Thu) 12:49:11

新年、明けまして、お目出とうございます。


お正月、神と共にお食事をする為の神聖な料理、おせち料理ですが、お食事をする神は、歳神様というだけで其の正体は、詳らかにはされておりません。しかし、其の膳を共にする神を特定するヒントは、おせち料理の中に隠されています。紅白の「日の出蒲鉾」(かまぼこ)です!もう、お分かりでしょう!日の神、天照大御神=イエス・キリストです!正月のおせち料理は、鏡餅と御屠蘇の鏡開きの神道儀式=原始キリスト教「神の道」の聖体拝領(聖餐式)の一部だったのです!それは、神道秘伝に日倶来(ひもろき)と訓む鏡餅の紅白の御幣と四方紅が紅白の日の出蒲鉾に対応していることでも明らかです!まぁ、なんということでしょう!


という感じで、今年も、少しづつではありますが、神道秘伝を公開していきたいと思います。あなかしこ。


歳神様と鏡餅の関係についてご参考までに。↓

http://www.mitoshijinja.jp/mean/tosi/tosi.htm

Re: 謹賀新年「日の出蒲鉾」の奥義 -  ぐっちぃ教団・超越神力グル

2015/01/03 (Sat) 07:46:37

おけましておめでとうございます

そこは葛木のカモの社の歳神様の総社ですね
カモの総社の妹神にあたりますね

Re: 謹賀新年「日の出蒲鉾」の奥義 - トバル

2015/01/06 (Tue) 16:28:30

さっそくかぎつけられましたか(笑)実は、奈良の鴨三宮と京都の鴨三宮に関する秘密資料が存在します。これは、京都の下鴨神社のある社家一家と時のある天皇しか閲覧できなかったレアな代物で、いずれ、明らかにするつもりですが、これとは別の資料に奈良の鴨社の御祭神をヤタガラスとするものがあります。とすれば、お正月の御歳神=御歳魂の儀式一式(日待ち=初日の出、鏡餅、御屠蘇、おせち(日の出蒲鉾等)、注連縄、門松等等)は、天照大御神=イエス・キリストの十二使徒「ヤタガラス」が取り仕切る原始キリスト教「神の道」の聖体拝領(聖餐式)の儀式一式となり、、、以下略。

つまりは、そういうことですね(^_^)b

Re: 謹賀新年「日の出蒲鉾」の奥義 -  ぐっちぃ教団・超越神力グル

2015/01/07 (Wed) 22:40:19

御歳神=カヤナルミであり皇室の守り神として延喜式に登場してます。
二山谷も照す葵の将軍の東照宮の二荒山は兄神ですね。

Re: 謹賀新年「日の出蒲鉾」の奥義 - トバル

2015/01/09 (Fri) 14:53:16

加夜奈留実命は、相殿の高照姫命の別名とされるものでしょう。

先代旧事本紀(大成経)には、歳神(年神)について、


地祇本紀

大年神。亦名、猿田彦命、亦、知地歳命(しるくにとしのみこと)

(別の箇所に御年神もあり。)

とあります。

猿田彦命は、ヤタガラスの別名を持ち、ヤタガラスは、天照大御神の荒御魂ともあります。即ち、歳神(年神)は、日の神、天照大御神であり、其のお祭りを斎元道を司る忌部と賀茂の頭であるヤタガラスが管理している、ということになります。これは、斎元道の神傳です。

Re: 謹賀新年「日の出蒲鉾」の奥義 - トバル

2015/01/19 (Mon) 17:32:51

天照皇太神宮天岩戸出現図には、ズバリ、天照大御神の天岩戸開き神話における真榊の鏡持ちの神が、猿田彦大神となっています。これは、鴨氏の祖神、猿田彦大神(ヤタガラス)が忌部氏の祖神、天太玉命と同一神であることを意味するのみならず、鏡餅、そして、日の出蒲鉾を入れる正月のおせち料理の起源が天岩戸開き神話にあることを意味しています。即ち、歳神の究極的な正体は、天照大御神であり、其の儀式を忌部、賀茂の祖神、猿田彦大神(ヤタガラス)が掌握していることになります。

天照大御神を主祭神とする皇道(祭)を斎元道(いつきみもとのみち)と云い、其の祭司王を天皇、其の御手代(みてしろ)を金鵄=ヤタガラス、忌部、賀茂と云います。

神道奥義「鏡餅の奥義」 - トバル

2012/04/25 (Wed) 13:40:30

お正月の定番、鏡餅は、実は、三種神器を模倣した神物である。二枚の鏡餅は、二枚の八咫鏡、鏡
餅の上に載せる串柿は、草薙剣、其の上に載せる、橙は、八坂瓊の曲玉を象徴している。では、何故、
お正月に三種神器を飾り、鏡餅を食べるのであろうか?実は、これ神道の行事「祭」なのである。

祭とは、天照大御神が天窟(あまのいはや)にお隠れになった際、忌部の祖神、天太魂命が榊に
天照大御神の神体(鏡)、神心(玉)、神気(剣)を象徴する三種神器と和幣を付けて、それを
かかげて、天照大御神を復活させた神事を云う。日本神道に於て、祭とは、京都、賀茂皇太神宮の
葵祭をさすが、葵のあおいとは、古語で逢日(あふひ)即ち、日神に出逢う、という意味であり、
実は、天照大御神のお隠れ~出逢い、即ち、御身生現(みあれ)=復活の神事を再現する祭なの
である。これが祭の真相である。逢日祭を仕切る鴨氏(賀茂氏)の祖神は、実は、天太魂命で、
忌部と同族である。実は、其の系譜を記した古文が存在しているが、鴨氏の家伝となっている。

お正月の三種神器(鏡餅、串柿、橙)とジグザグの紙(御幣)と裏白のお飾りは、この「祭」における天照大御神
の神体=鏡、神心=玉、神気=剣と青白の和幣、そして、榊である。ちなみに、扇(末広=永遠の命)を付ける
場合もあるが、これは、日を象徴とする、天照大御神が復活したことを象徴している。そして、鏡
餅を食べることをいう鏡開きとは、鏡=神体を刃物で割る切る=殺されるの忌言葉で、鏡による祭
=天の岩戸の「岩戸隠れ」(殺死)と「岩戸開き」(復活)の両方のことを意味する。明け=開け
ましてお目出とうございますの目出(めで)、面白(おもしろ)、天晴(あっぱれ)、等の言祝(
ことほぎ)は、すべて、天照大御神の身生現(みあれ)=復活をさしている。

そして、重要なのが、天照大御神の神体=鏡餅を切り分けて食べるという鏡開きの儀式である。これは、いうまでもなく、
原始キリスト教におけるイエス・キリストの最後の晩餐、即ち、聖体拝領、即ち、聖餐式である。其
の証拠に、酒樽の蓋を割ることも鏡開き(鏡抜き)という。これは、最後の晩餐における酒=イエス
の血をさしている。つまり、神道は、原始キリスト教「神の道」(聖書に記述される「神の道」が神
道の語源)であり、太陽を象徴とする現人神、天照大御神は、義の太陽に象徴される光の神、イエス・
キリストであったのである。天皇陛下は、其の日神の皇位を天津日嗣を以て継承されし神王(かみ)なのである。

ちなみに、三種神器、玉、剣、鏡は、玉=セフィラ、剣=パス、鏡=セフィロトから形成される
ユダヤ・キリスト教神秘主義カバラの奥義図「セフィロトの木」(命の木)からきている。イス
ラエルの三種神器も、カバラのセフィロトの木の玉=マナの玉壷、剣=アロンの杖、鏡=十戒石板
からきている。鏡餅が二重なのは、神の石板が二枚存在したことを意味している。また、十種神
宝は、この三種神器から形成されるカバラのセフィロトの木(命の木)を十個に分解した物である。

鏡餅の風習を作ったのは、頭に八咫鏡を頂く頭八咫烏である。彼等こそ、聖体拝領、即ち、聖餐式
を伝えるイエス・キリストの十二使徒で、人呼んで大天狗小天狗十二天狗という!配下の組織を烏天狗という。

大天狗=大烏
小天狗=小烏
烏天狗=烏

Re: 神道奥義「鏡餅の奥義」 - トバル

2012/04/29 (Sun) 19:44:32

葵、あふひの語源をネットで調べると、、、

語源は、花が日を仰ぐように咲くことから「仰日(アフヒ)」が転じた説、

神を饗応する日を意味する「饗ふ日(あふひ)」が転じた説、

万葉集の1首「・・・後も逢(あ)はむと葵(あふひ)花咲く」から「逢日(アフヒ)」に由来する説


三説があった。しかし、仰日も饗日も、日神、天照大御神を招き奉る=逢日に集約される。すべて、正解といったところであろう。

ちなみに、鏡餅の下に敷く四方紅とよばる紙(神)は、天地四方を拝し、災いを祓うものとされるが、これは、イエス・キリストの十字架と罪の無い血(紅)による贖罪の象徴であろう。この他にも色々とお飾りはあるが、いずれも、天照大御神=イエス・キリストの復活を祝福するものといえるであろう。

Re: 神道奥義「注連飾りの奥義」 - トバル

2012/05/07 (Mon) 14:59:55

注連縄(しめなわ)に紙垂(しで)、裏白、譲葉、橙等をあしらって作る注連飾りも、天照大御神が二度と天磐戸に隠れないように天磐戸にひいたシリクメ縄(閉め縄。注連縄、七五三縄)に由来する。即ち、正月の注連飾りは、鏡餅とワンセットで、天照大御神の天の磐戸開き~磐戸閉め=復活を象徴するものである。

神道奥義「十種神宝」の秘密 - トバル

2014/07/13 (Sun) 22:07:36

ニニギ系王朝(天孫)である現皇室以前に日本を支配していたニギハヤヒ系王朝(皇孫)は、十種神宝を皇璽としていた。この十種神宝は、ユダヤ教神秘主義カバラにおける奥義図「セフィロトの木」(命の木)を(十個のセフィロト=球体の数に合わせて)分解したものである。

これらの事実は、この掲示板の前身である「聖徳太子研究最前線」で公表した。既にご存知の方もおられよう。実は、この先がある。カバラのセフィロトの木には、穏された十一個目のセフィラ(球体)「ダアト(知識)」が存在する。十種神宝がカバラのセフィロトの木を分解したものならば、必ず、隠された十一個目の神宝が存在するはず。しかり!!!実は、十種神宝には、穏された十一個目の神宝が存在するのである。それには、ダアトのセフィラ(球体)がちゃんと付いている。何故、今、この事実が公開されるのか?

それは、神の言葉であるイエス・キリストの再臨が近いからである。ダアトは、御父の喉=神の言葉に対応する。即ち、穏されたセフィロトがダアトが公開される時、神の言葉(ロゴス)である、イエス・キリストがこの地球に再臨、出現するのである。ゆえに、この終末に公開されるのである。この事実は、皇家、そして、皇家を守護する十二天狗へのイエス・キリスト再臨の徴となる。十種神宝に穏された十一個目の神宝が存在する事実を公開したのは、著者、トバル、即ち、本サイトがはじめてである。十一個目の神宝の存在を記していない人間は、奥義を継承していない。ちなみに、十一個目の神宝の名は、●●●(これは、まだ公開しない)で『熱田神宮から伊雑宮へ移管されるアロンの杖のコードネーム』となっている。大天狗=大烏=三羽烏が号令を出す日は近い・・・・・・・・・。

Re: 神道奥義「鏡餅の奥義」 - ぐっちぃ教団・超越神力グル

2014/07/15 (Tue) 07:34:14

それは剣祓札の印の位置にあたるところですね。
ここに一つ入ると、どこからでも5つになります。
伊雑宮の女神は12の青侍などを持ち、暦の理の原初ですね。伊雑宮の女神の夫は、八意思兼命の阿智彦で陰陽道の祖でしょう。気象神社でも御祭神として祀られてます。

Re: 神道奥義「鏡餅の奥義」 - ぐっちぃ教団・超越神力グル

2014/08/27 (Wed) 21:54:14

思兼命は知識の神様です。
伊雑宮の剣祓大麻の寸法は約3の倍数で三重に偉大となる。ヒルコが美(ティファレト)とするのならば知識(ダアト)は思兼となり夫婦である。その下に位置する基礎(イェソド)は裸の男性で表され、ヒルコと思兼の御子である手力男となる。天岩戸開きに於いては思兼命が業を仕切るが姿は見せない。知識(ダアト)は隠されたセフィラとなる。
この関係は秀真伝のみ合点する。

Re: 神道奥義「鏡餅の奥義」 - 御玉杓子

2014/09/04 (Thu) 00:55:25

後ろ姿の生命の木は、背を向けて目を隠している事になり、

隠されたダアト知識=隠された目

榊(上下逆の木:逆木)=頭を下げる(上下逆)

頭を下げて目を伏せる事を会釈というのは、

シャク(会釈)=サカ(上下逆)

鏡は見る道具なので、目を内包(目を隠す)している事になるので、

鏡=屈み(背を向けて目を伏せる)

酒を注ぐ事を酌と呼ぶのは、

シャク(酌)=サカ(酒)

鏡開き=開けましてお目出とう、
の構図は隠されていた目(隠されたダアト)が現れる事を意味する。

知識が与えられる事を目が開かれるとも言います。

Re: 神道奥義「鏡餅の奥義」 - 御玉杓子

2014/09/04 (Thu) 01:13:36

後ろ姿の生命の木と、上下逆の生命の木は同じ意味で、

屈み(高慢の逆)が神の本質であり、

屈み(高慢の逆)が生命の木を上昇する(神に近づく)事を意味する。

上下逆の生命の木は、
高慢になれば生命の木の根に近づく事(生命の木を下降)を意味するので、根が上を向いています。

Re: 神道奥義「鏡餅の奥義」 - 御玉杓子

2014/09/04 (Thu) 01:37:50

形が相似しているマナの壺、杓子、手鏡は、

マナの壺=杓子=手鏡(屈み)

の構図で、御玉杓子の相似形。

底部が球形のマナの壺は足が立たず、ひっくり返ります。

御玉杓子(シャク)=ひっくりカエル(逆:サカ)

御玉杓子は、四肢(手足)を内包したカエル。

四肢(手足)を封じられた磔刑のイエスキリスト=御玉杓子(屈み)

足が立たない(ひっくりカエル)=十字架に吊るされたイエスキリスト

磔刑のイエスキリストは、神の本質(屈み)の象徴。

勾玉(御玉杓子)=首をうなだれ背を丸めた磔刑のイエスキリストの死亡時の姿勢(屈み:鏡)

剣=吊る木(十字架)

杓子=掬い(救い主メシア)

Re: 神道奥義「鏡餅の奥義」 - 御玉杓子

2014/09/04 (Thu) 01:43:43

シャク(サカ)の語源は、

釈迦(サカ)=イエスキリストの予型

「生まれては死ぬるなりけりおしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も」
『一休咄』

釈迦=達磨=猫=杓子

達磨は四肢(手足)を封じられ、吊るされた(足が立たない)磔刑のイエスキリスト。

達磨に目を入れる=鏡開き

マナの壺=達磨

底部が球形のマナの壺は、足が立たないので、
達磨と同じ起き上がり小法師構造と思われます。


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