聖徳太子傳註之掲示板
伏夷祝言(ひなふしのりと) - 神斎 大和
2025/04/29 (Tue) 07:25:29
伏夷祝言(ひなふしのりと)
(第一、神命神国)
八百萬之神等(やほよろづのかみたち)、神事(かみこと)の由因(よし)を如是(かく)と申(まを)しき。吾(あ)が天孫之尊(あめみまのみこと)をは、天帝(あまつおほきみ)、天后(あまつこぎみ)の各(おのおの)、天上尊之命(あめたかぎみのみこと)を以(もち)て、神議(かみはか)りに議(はか)りたまひ、神定(かみさだ)めに定(さだ)めたまひて、吾(あ)が斎元(いつきみもと)の霊国(あやしくに)の元永久(もとひたぶる)の主上(たかぎみ)為(な)し奉(たてまつ)りて、天孫(あめみま)の末懸(すゑかけ)て日月知(ひつぎしろ)しめし、天孫(あめみま)の下(くだ)り子(みこ)の輩(ともから)、臣(おむ)、造(みやつこ)、氏(うじ)、姓(かばね)の族(やから)、永(なが)く上禅(かみゆづり)し、禅(ゆづ)る方無(のりな)しと既(すで)に事定(ことさだま)りす。
(第二、斎元厳定)
如是(かく)、事(こと)定(さだま)りては、天孫(あめみま)の子(みこ)、王(きみ)の号(みな)休(や)めせる、及(およ)び、元来(もとより)、臣(おむ)、造(みやつこ)、氏(うじ)、姓(かばね)の家(いへ)の人(ひと)、凡神(ただがみ)の子(こ)、異鬼(あたしをに)の孫(まご)、天祚(あまつひつぎ)を窺(うかが)ふ者(もの)、天祚(あまつひつぎ)を軽(かろ)みする者(もの)、咸(みな)、是(こ)れを夷戎(えみし)の族(やから)として、天帝(あまつおほきみ)地后(くにつこぎみ)の天御神(あめおほむかみ)、八百萬伴(やほよろづども)の衆大神(もろおほかみ)諸倶(もろとも)に、天利弋(あまのとぼこ)の神利弋(かみとぼこ)を以(もち)て、身(み)を伐(き)り、魂(たま)を伐(き)り、運(いたま)を斬(さ)き、家(いへ)を割(さ)きて、終(つひ)に是(こ)れを断(た)ち失(うしな)ひたまふのみ。
(第三、天罪地罪)
如是(かく)、断(た)ち失(うしな)ひたまへば、日月(ひつぎ)を窺(うかが)ふ者(もの)を以(もち)て、重(おも)きの中(なか)の重(おも)き罪(つみ)とし、日月(ひつぎ)を軽(かろ)みする者(もの)を以(もち)て、重(おも)き罪(つみ)に
次(つげ)る罪(つみ)とし、是(こ)れを天底罪(あまつつみ)と則(のり)別(わ)けて、天孫(あめみま)に敵(あたな)ひ奉(たてまつ)る者(もの)、次底罪(つぎつつみ)に次(つげ)る罪(つみ)、天孫(あめみま)に叛(そむ)き奉(たてまつ)る者(もの)、又(また)、其(そ)の罪(つみ)に次(つげ)る罪(つみ)、是(こ)れを地底罪(くにつつみ)とは則別(のりわ)けてき。
(第四、地赦天罰)
如是(かく)、則別(のりわけ)ては、地底罪(くにつつみ)は、理(ことは)り宥(なだ)む理(ことわ)り有(あ)りと雖(いへど)も、天底罪(あまつつみ)は、赦(ゆる)す処(ことわり)有(あ)る事(こと)無(な)しと申(まを)す。
(第五、天罰神伐)
如是(かく)、赦(ゆる)す処(ことわり)無(なけ)れば、この罪人(つみびと)を以(もち)て、神(かみ)と人(ひと)諸倶(もろとも)に、法伏(のりしたが)へ、神伏(かみしたが)へに伏(したが)へたまひ、武伏(いくさしたが)へ、征伏(うちしたが)へに伏(したが)へたまひて、止(な)、宥(なだ)め赦(ゆる)したまひそと申(まを)す。
(第六、斎元永久)
如是(かく)、天孫(あめみま)、赦(ゆる)ししたまはず、人赦(ひとゆる)ししたまはざれば、吾(あ)が天孫(あめみま)の天祚(あまつひつぎ)は、天地(あめつち)と倶(とも)に永久(ひたぶら)し、吾(あ)が天孫(あめみま)の蒼生(あをひとぐさ)は、国磐(くにいは)と等(ひと)しく富(と)み饒(にぎは)ひて謁(つ)きせずものをと申(まを)す。
◆八咫烏の使命(斎元守護)
神皇本紀
頭八咫烏(やたがらす)、奏(ことあげ)して、曰(まをしたまは)く、「宗宮(もとつみや)の前(みまへ)には、神門(みかと)を立(た)てたまへ。神門(みかと)と謂(い)ふは、兩氣(めをいき)の柱(はしら)、天(あめ)の蓋棟(おほむなぎ)、地(つち)の横梁(よこうつはり)、人(ひと)の心柱(さなこばしら)を總(す)べ立(た)つるなり。是(こ)れ、神形(かみのみすかた)なり。吾(あ)れは、是(こ)れ、天魂(あまつみたま)なり。八極(やすみ)に瀰(ほびこ)りて、八箇(やつ)の頭(かしら)有(あ)り。天照太神(あまてらすおほみかみ)の分(わ)け爲(な)しませる荒魂(あらみたま)なり。天孫(あめみま)を尊(たふと)ぶが故(ゆゑ)に、下(あまくだ)りて、臣(やつかれ)と稱(い)へり。末世(すゑつよ)の衰(おとろ)ふる時(とき)と雖(いふと)も、齋元(いつきみもと)の法(みのり)有(あ)らむ限(かぎ)り、日神(あまてらすおほみかみ)、世(みよ)に在(ま)さむ限(かぎ)り、寶祚(あまつひつぎ)の長續(みつづき)を護(まも)り、齋元(いつきみもと)の永傳(みつたへ)を守(まも)らむ。爲(ため)に、故(か)れ、日太神(あまてらすおほみかみ)の坐(ま)せる祠(みや)にては、必(かなら)ず、吾(あ)れ、來至(まゐのぼ)り、飛(と)び詣(まゐい)でて、直(ただ)ちに、正月(むつき)の供(
みそなへ)を受(う)け持(も)ちて、上(まゐのぼ)り、直(ただ)ちに、日神(あまてらすおほみかみ)の膳(かしはて)に捧(ささ)げたてまつらむ。八頭(やつかしら)を密(かく)して代(か)ふるに、白羽(しらは)を以(もち)てせむ。吾(あ)れ、日宮(ひのみや)を出(い)づるとき、羽(はね)の度(ちのり)は、百里(ももちのり)、四天(よつぎのあめ)にては、五十里(いそちのり)、三天(みつぎのあめ)に至(いた)りては、一十里(つつちのり)、二天(ふたつぎのあめ)に至(いた)りては、一里(ひとちのり)、一天(ひとつぎのあめ)に至(いた)りては、百丈(ももつゑ)、地(つち)に來(まゐき)たりて、八尺(やた)、後世(のちつよ)には、二尺(ふたあた)なり。是(こ)れ、大神(おほかみ)在(ま)す、其(そ)の御倉(みてくら)の信(しるし)なり。」とまをしたまふ。
是(こ)れ、五十宮(いそのみや)、及(およ)び、熱田宮(あつたみや)の御烏(みからす)が度御(わたります)、其(そ)の祭(まつ)りの元(もと)なり。
吾(あ)れは、常(つね)に、其(そ)の神門(みかと)に棲(す)みて、天皇(すめらみこと)が御世(みよ)に供(つか)へ奉(たてまつ)らむ。」とまをしたまふ。
今(いま)、此(こ)の門(みかと)を鳥居(とりゐ)と謂(い)ふ。總(す)べて、神門(みかと)に立(た)つるものなり。
是(こ)れ、鳥居(とりゐ)を立(た)つる、其(そ)の事(こと)の元(もと)なり。
詠歌本紀
橿原宮(かしはらのみや)に御宇(あめのしたしら)しめしし天皇(すめらみこと)、東征(ひなむけ)を企(くはだ)て、中國(なかつくに)を治(をさ)め、始(はじ)めて、皇極(あまつひつぎ)を立(た)て、新(あらた)に天下(あめのした)を知(し)らしけり。其(そ)の功(いさをし)、天皇(すめらき)の造化(はじめ)なり。時(とき)に、頭八咫烏(やたがらす)、之(こ)れを讚(ほめたた)へて謠(うた)へり。
頭八咫烏(やたからす)
大神之、命畏執、行軍、皇極乎、初立只然、御門御名立載、御法立載、我天皇者、日識于坐只(おほかみの、みことかしこみ、いくさとり、あまつひつぎを、はつたたし、みかとみなたて、みのりたて、あがおほきみは、ひじりにますも)
(行軍、異本に、三軍(みたむろの))
(祝歌、大文、長歌、質製)
御和(みかへし)を給(たまは)りて、次(つ)ぎて、之(こ)れを謠(うたよみ)したまふ。
神武天皇
這國者、非吾國、天于在爾、日靈之神之、所知御國
(このくには、あがくにならず、あめにます、ひるめのかみの、しらしめすくに)
(祝歌、大文、短歌、平製)
詠歌本紀
伏夷歌(ひなふしうた)
天從傳之、寶祚之、敵者、天共地共于、倶責亡于
(あめゆつの、あまつひつぎの、あたなへは、あめもつちもに、ともせめほろに)
(咒歌、大武、短歌、言製)
敵呪歌(あたのろひうた)
内外于生若武太神之守る我于向斯る敵者、自諸亡已
(うとにます、おほかみの、もるあれに、むかへるあたは、おのれほろびぬ)
(咒歌、小武、短歌、平製)
崇咒歌(たたりのまじうた)
天之胤、神之心之、成若人乎、祟諸了鬼者、自乎崇兮去諸
(あめのたね、かみのこころの、なすひとを、たたれるをには、おをたたりされ)
(咒歌、小武、短歌、平製)
大武、
若桜宮天皇(わかさくらのみやのみかど)、韓征(からうち)の時(とき)、兆庶(もろひと)、神祝(かみほき)して、之(こ)れを詠謡(うた)へり。
神祝于、敵対西之、■等者、沫与消以、神酒成清爾
(かみほきに、あたなふにしの、えみしらは、あわときえもて、みきなりすみす)
干(ここ)に、諸民(もろひと)、君恩(おほきみのめぐみ)に感(おもは)えて、誠信(まことごころ)を以(もち)て、祝壽(ことほぎ)を為(な)しけり。
諸神(もろかみ)、之(こ)れを感(おもは)えて、祭場(ゆには)に現形(あらは)れ、庶人(もろひと)と為(な)りて下和(かへし)たまふ。
八百萬、多諸神之、神祝于、天皇御壽、賊服生
(やほよろづ、さわもろかみの、かみほきに、おほきみみほき、えみしまつろふ)
右の五句、成篇、質製の体。
(祝歌、大武、短歌、質製)
◆君が代
先代旧事本紀(大成経)
詠歌本紀
金刺宮(かなさしのみや)に御宇(あめのしたしら)しめしし天皇(みかど)、世(みよ)を治(しら)しめし、而(しか)も、大政(おほきまつりごと)、先皇(さきつみかど)に下(くだ)らず。兆民(おほみたから)、之(こ)れを悦(よろこ)び、世(みよ)を祝(ことほき)して、之(こ)れを謠(うた)へり。
時(とき)の人(ひと)
君之代者、千代于八千代于、徴小砂石之、磐嚴與成而、苔之絡迄。
(きみがよは、ちよにやちよに、さざれいしの、いはをとなりて、こけのむすまで)
(祝歌、属文、餘歌、質製)
(欽明天皇の時の人とは、秦大津父か、秦河勝か。敏達天皇の後胤を称する橘氏の子孫、友常貴仁氏は、君が代の詠歌の作者が誰か秘伝を継承しているらしい。)
君が代の初出は、先代旧事本紀(大成経)の詠歌本紀である。又、欽明天皇の御代を祝した詠歌である。元々天皇の御代を祝した詠歌ではないとする巷の説、解釈は間違っている。
詳細は、拙著、真典・先代旧事本紀の研究「聖徳太子と日本神道」下巻、日本神道篇を参照してほしい。